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前回「次はサードプレイスに重要な3つの間について書くよ~」なんて書いちゃったもんだから、今回書かないといけない。本当は「カレーっておいしいよね」とか「今開催の大井競馬の馬場が四次元の生き物化している件」とか書きたいのに、しょうがない。


ところで、世の中には「3つの○○」など「3」がつくのが多い。結婚式の定番スピーチ3つの袋とか、トリプル3とか、三冠馬とか。三権分立、三国干渉、三国同盟。三国志なんて、三国が鼎立された期間が短いにもかかわらず(しかも、そのときだって公孫氏の燕があって、実際は四国だなんて言われる)三国志として確立されている。競馬でも三強対決が一番盛りあがる。

理由として3がバランスいいと言われている。自転車より三輪車の方がバランスいいよね、というお話。三権分立もそうだよね。相互の抑制と均衡。

四輪の方がバランスいいではないか、ってなりそうだけど、4だと多いだの「死」を連想させるだの言われるから駄目なんでしょう。四天王はあるけど。それに、偶数だとどうしても半分に分かれてしまうこともあり、どっちつかずになる。

だから、目を引くには奇数を使った方がいいといわれている。「7つの習慣」なんてそのいい例だろう。奇数だとちょうど半分には割れないので引っ掛かりやすいらしい。そういう意味でも3はいいらしい。

まあ、そういいながら世の中ではキリがいい数字が好まれる。「○○する100の方法」とか。100もあるのか多すぎだろ、と言いたくなるけど。

なお、出版界では5年ほど前「○○する48の法則」などタイトルに48が使われていたのが多かったイメージがある。それが、最近では「46」になってきた。流行は常に動く。アイドル界も出版界も大変だ。


何の話だ。


そうだ、3つの間の話をしないといけないのか。800字近く書いてようやく本題に入る。ここまで駄文につき合わせて申し訳ない。


サードプレイスに重要な3つの間。それは「空間」「人間」「時間」だ。


まずは「空間」。場所として空間が必要なのは言うまでもない。ここで「空間」の定義を厳密に詰めていくと、途端に哲学の話になって多くの人が離脱するからやめる。空間とは立法的に拡がりと限界を持ったものというくらいの認識でお願いしたい。

昔の「縁側」も部屋から張り出しているけど完全には敷地の外までいかないから公と私の間のサードプレイス空間として機能した。定義にあてはめると、張り出しているのが拡がり、敷地の外までいかないのが限界。あら、なんかこう書くと、「この人頭がよさそう」って思われるかも(思われない)。

サードプレイスなら、その空間が居心地のいいものでなければならない。家のようにくつろげるような。いわゆる空間デザインのお話になるのね。照明とか家具とか。どういう風に居心地よくさせるかはコンセプトによるけど、重要なのは間違いない。昔の「縁側」にあてはめてみると、庭が見えるところに位置しているのが多かった。これは、縁側から人為的に整えられた自然と対峙することにより、あたかも部屋にいながら季節の移ろいを視覚的にも空間的にも認識させることができ、風流だと思わせることにつながっていた。雅な世界。あぁ、なんと居心地のいい空間なのか(なかなか力技な文だなぁ)。今の季節なら、縁側でセミの声を聴きながら冷えたスイカを食べる。視覚に聴覚、味覚にも訴える。うん、素晴らしい空間だ。

まあ、そういうイメージ。


ただ、空間だけではサードプレイスは成立しない。「人間」が必要となる。

そりゃそうだ。空間に自分ひとりだったら、そこが居心地よくてもサードプレイスにはならない。単なる私空間、自分のお部屋だ。

サードプレイスがあくまでも公と私の狭間にある居心地のいい空間であるならば、他者の存在が必要となる。なお、人間の認識による空間の意味合いなどと言い出すと、途端に哲学の話になって多くの人が離脱するのでやめる。

「ひとりでいるのもいいけど、ふたりでいると悲しみは半分に、喜びは倍になるから、もっといいね」なんて甘い言葉を言われたいけど、言ってくれる人はいない。まあそんなことはどうでもよくて(個人的にはどうでもよくないのだが)、人間の存在がより居心地のいい空間となるというのは理解できると思う。共通の趣味を持った人で盛り上がることができるのは面白いし、大勢の人と騒ぐのは楽しい。意外な人と出会えるのは嬉しい。公ではないけど、完全なプライベートとも言い難いからこそ、サードプレイスは楽しくなるし、盛り上がる。

逆にサードプレイスを居心地悪くする人もいるのは事実であるが。暴力的に空間を破壊されたらたまったものではない。いくら支配から卒業したいからって、サードプレイスの空間の窓ガラスを壊してまわったら、ただの犯罪者だ。

ちなみに、ここで「人間」と「人」を使い分けて書いているが、厳密に考えると途端に哲学の話になって多くの人が離脱するからやめる。「人」は個々人のこと、「人間」は人と人の関係性というくらいに理解していただければ幸いである(そんなにしっかりと使い分けていたの?)。

様々な人がいて、その人と人がつながり、より楽しい空間となる。それがサードプレイスの醍醐味ともいえよう。

だから、サードプレイスでは人間が重要なのだ。


なんだかこれだと空間と人間だけでいいじゃん、いいじゃん、ってなりそうだけど、「時間」もサードプレイスには重要な要素の一つだと思うので、書いていく。

空間にしても、人間にしても、不変のようで時間によって変わっていくのは当たり前のことだ。まったく同じ人がいて、まったく同じ条件下にある空間なんて作り出せないのだから。

そうすると、空間における人と人の出会いなんて、偶然の出来事だし、それって奇跡なのである。瞬間的な出会い。この瞬間を無駄にはしない。一期一会。あぁ、タイミングって重要なのね。

サードプレイスを醸成させるには時間の積み重ねが必要だし、時間をうまく使うことでサードプレイスはより運命的な場所となる。

ちなみに空間における時間の意味と人間の認識なんて言い出すと、途端に哲学の話になって多くの人が離脱するのでやめる。


長ったらしくてまとまりのない文となってしまった。

そろそろまとめに入る。

すなわち

「あの日あの時(時間)あの場所(空間)で君(人間)に出会えなかったら僕らはいつまでも見知らぬ二人のまま」なのである(小○和正が突然に。ラブ・ストーリーは突然に)。

サードプレイスは、そんな見知らぬ二人を引き合わせることができる、運命的な場所なのである。そんな場所だったら、居心地がいいに決まっているでしょ?

(注:サードプレイスは必ずしも出会いを目的としている場所ではありません)

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