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佐藤 継信 忠信兄弟

全国の佐藤様の、本拠地のひとつといわれる、
飯坂。

2018年。岩手と福島と暮らしてきたのに、共通点(奥州藤原氏の時代のこと)を見ていなかったことに気付き、医王寺へいこうと思い立ちました。

(飯坂 愛宕山より)
  

(飯坂 佐藤さん宅の大門跡) 

表題の写真は、大鳥城へいたる道です。
大門から山のうえへかなり、かなーりのぼる「大鳥城」が佐藤さん宅跡と言われ、私もそう思っていました。

「大門からどんだけおうち離れてるのッ?…昔のひとって足腰つよいのね!?」と内心思っていたのですが、飯坂のまちなかの飯坂城跡が実際のおすまいだったらしいとネット情報をみつけました。
(今度みにいかなくちゃ)

 飯坂のまちなかといえば、
飯坂温泉✨

湯庄司ともよばれた佐藤氏。
きっと温泉でからだをやすめたでしょう…と思うのですが、佐藤兄弟の伝説と同様、激アツ。熱さ番付によると、最高69度クラス。

熱さ番付

なんでしょう。飯坂。熱いんです。
そうそう。ケンカ祭りも、熱いんです。

けんか祭りの飯坂八幡神社。

こちらで御守りをおわたししたことがある私。今のうちに見てらっしゃいと言われて体験したけんか祭りは、たしかに激しくぶつかり合っていらっしゃいました。いまはもうそのエネルギーのことしか覚えていません。

その熱いエネルギーに、佐藤兄弟を連想するわたくしです。

さてさて

佐藤氏の菩提寺「医王寺」です。

乙和椿も、墓碑も、そして拝観できる「伝弁慶の笈」「恨みの矢の根」なども、佐藤兄弟佐藤一族、奥州藤原氏の生きてきた人生の空想旅行へ誘います。

いま。
奥州藤原氏の哲学世界がそのまますべてのこることは結局なかっただろうな…とは思いますが、彼らの理想世界がもっと形としてものこっていたら?…そんな世界をみてみたかったとも少し思います。

奥州「征伐」したのは源頼朝ですが、いま鎌倉には中尊寺蓮がわけられて在るとか。彼らの哲学が生きているように思います。

 彼らの哲学。
源頼朝が奥州藤原氏を滅ぼしたあとも、奥州の覇者として、またそこで生きた先人として奥州藤原氏の生きざまや哲学にふれた伊達政宗公 伊達氏のようなかたがたが、いまの世になんとか繋いでくださったのだろうなと、そういうドラマも見えてきますがその話はまた今度。

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