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おつかれさまでした

今日は弟の四十九日法要でした。
弟は私よりも7歳年下なので52歳という早すぎる生涯を終えました。

私が18歳の時に自分の夢を叶える為に静岡の実家を離れたので、最も多感だった中高生の弟(その時、弟はまだ小学生5年生)と一緒に暮らしていなかったり、話もしなかったので兄弟とはいえあまり密に接していなかったと思います。もちろん実家に帰った時はお互い近況報告はありましたが、わざわざ電話やメールで連絡を日常的にすることもありませんでした。
私は彼をどのくらい知っていて、理解していたのだろうと考えます。
もっと色んな話をしておけば良かったと本当に思います。
その点に関しては後悔しかありません。

まだやり残したこと、これからやりたかったこととか沢山あったことだろうに可哀想でなりません。私も含め残された者たちはもう少し頑張ります。
悲しいけれと前を向いて生きていこうと思います。


実は、弟が患ったものと同じ病に戦っていた私の高校の先輩ミュージシャン、松風鉱一さんに治療のことを相談していました。面識はあるものの、なかなか普段の音楽活動で接点がなかった松風さんだったのですが、松風さんから、2022年秋、静岡で高校OBのプロミュージシャンによるライブをやりたいので是非参加して欲しいという依頼がありました。そのタイミングで弟の治療のアドヴァイスをいただいていました。

松風さんは私が高校在学中にゴダイゴのバックミュージシャンをやっていたりしていたのでTVで見ることの出来る憧れの先輩でした。とはいえ私がプロになってからも一緒になることはほとんどありませんでした。唯一の接点は私が20代中頃位、彼が参加していた渋谷毅オーケストラに私がトラに行った時です。その時話す他愛のない話は、同じ高校、同郷ということもあったのか親戚のおじさんとしているようでした。

そんな松風さんも最近急逝してしまいました。
最後に電話で話したのは弟の危篤の時でした。内容は今年のOBによるライブについてでした。。

改めて松風さんの音楽の記録を辿っていくと、本当にご自分の音楽を全うされていて、沢山の作品を遺されていました。もっと早くそれを知って、直接松風さんから音楽について学びかたったです。

生物学上は誰もが必ず一度は経験しないといけないことですが、とても割り切ることは出来ません。

とにかく今まで本当にお疲れ様でした。



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