「挫折つづきの君たちへ」本編

幼稚園の制服を、いつまでたっても着ることができなかった。ボタンを留めるのがどうしても苦手だった。ひとつ留めていくごとに、こっちの体まで動かなくなってしまう気がするのだ。
最初はボタンの留め方を逐一教えてくれていた母も、毎朝癇癪を起こすぼくにあきれ果て、いつしか諦めの表情でじっとこちらを眺め、バスの時間ギリギリになって無言でボタンを留めるようになった。

「リンゴが3つ、ミカンが6つあります。あわせていくつになる?」
両手の指で数えようとしたが、ミカンの分の指が足りなかった。
困惑するぼくを、母は信じられないという表情で見つめていた。

物心つく頃にはもう、兄に比べて自分が大切にされない存在なのだと、なんとなく納得していた。
兄は賢く、母の自慢だった。100点以外のテストを見たことがなかった。
「兄弟でどうしてこうも違うんだろうねぇ」
「お前は橋の下で拾ってきたからね」
不思議と傷ついてはいなかった。皮肉っぽい母の性格に順応していたのかもしれないけれど、そもそもぼく自身、兄は特別だと信じ込んでいたから。

「駿ちゃんはまた凜々しくなったわねぇ。あら、弟君も元気そうね」
顔立ちの整った兄は、そこにいるだけで人を幸せにするようだった。毎回、親族からのお年玉も、祖父母からのお小遣いも、兄とは倍以上の差があった。
兄はそれに気づいてから、たまに二人でできるゲームを買ってくることがあった。
それを知った大人たちは「優しい子だねぇ」と兄を褒めた。兄は人から愛されるようにできているのだと思った。

昔から、人が集まるところでは、飛び跳ねたり、大声を出したりすることを抑えられなかった。
兄は静かにしていても、誰かに目をかけてもらえる。自分はそうではなかった。
祖父母の家ではオモチャをめぐって年上のイトコと喧嘩し、思わず手が出て相手を泣かし、祖父に殴られた。先に横取りしようとしたのは向こうだったが、ぼくの事情はいつも聞かれることがなかった。

小学校に入ってからも、カッとなって手が出るクセは直らなかった。
「何その服、ボロボロじゃん。それに、紫の服って、オカマが着るらしいよ」
兄のお下がりの、お気に入りの服。気づくと顔面をグーで殴っていた。相手は泣いて、ぼくは先生に怒られた。
その服は胸のところにバスケットボールのロゴがプリントされていて、ボロボロ剥がれていたが、兄が大事にしていたものだった。でも、「どうして殴ったんだ」と聞かれても、気持ちはひとつも言葉になってくれないのだった。

「山下くん、いつも足をブルブルさせてるね。それ、貧乏ゆすりっていうんだよ。将来お金持ちになれないね」
クラスの女子に言われてはじめて、授業中の自分がつねに動いていることに気がついた。止めようとしても、なにか熱っぽいザラザラしたものが足元にまとわりついてくる気がして、動くことをやめられなかった。ずっと動かずにいると、自分が石像のなかに閉じ込められて、そのうちサラサラと砂になって、世界から消えてしまうのではないかと不安だった。

年に一度、兄は学校からお菓子を持ち帰ってきた。クラスの女の子がくれるのだという。
羨ましそうにキレイな箱を眺めるぼくを見て、兄はそのいくつかを分けてくれた。
小学生になったら、ぼくも貰ったお菓子を兄に分けてあげようと思った。でも、その機会はやってこなかった。
「なんだぁ」
ガッカリ、というのではなかった。自分が特別ではないことを知ることは、ぼくにとって当たり前のことだったから。
「お返しできなかったな」
特別になりたいわけではなかった。ただ、兄と対等になりたいと思った。

兄はゴジラ松井に憧れて少年野球をはじめ、すぐにレギュラーになった。怪物みたいに野球がうまいわけではなかったが、とにかく物覚えがよく、練習したプレイをミスすることがなかった。
自然、兄の練習に付き合うことが増えた。
近所で一緒に素振りをしているとき、ふと兄が「お前、スイングいいな」と褒めてきた。
何かの才能を褒められることがはじめてで、早速仕事から帰ってきた父に「見て見て」とせがみ、玄関も上がらせないまま素振りを見せた。
面倒そうだった父の顔は、一振りで期待と興奮に満ちた。

父はぼくを少年野球のチームに入れて、自分もコーチに名乗り出た。キャッチボールや素振りにも熱心に付き合ってくれた。
明らかに兄よりも期待されていることに少し戸惑いつつ、最初の頃はぼく自身やる気に満ちあふれ、打球も同級生の誰より飛ばせた。

しかし結局、ぼくは父の期待に応えることはできなかった。
テレビゲームのせいか、小3くらいから目が急激に悪くなり、メガネをかけてもボールがよく見えなくなった。
「スイングはいいんだけどなぁ」
トーンダウンする父と一緒に、ぼくの熱意もなくなっていた。
一方兄のチームは、県大会で優勝し、母は兄のメダルをリビングの棚の真ん中に飾った。兄も同じくらいゲームをしていたのに、兄の目は悪くならなかった。
「運動神経は翔の方がいいんだ」
父の言葉を母は信じず、ぼく自身も信じられなくなっていた。
そもそも野球がやりたかったのか、兄の真似をしたかっただけなのか、よくわからなくなる始末だ。
野球のユニフォームがやたらと窮屈に感じられ、ボタンにソックスにベルトと、身につけるたび体が石になる感覚が蘇る。

中学になってバスケをはじめた。漫画の影響だったが、兄の影がないスポーツは楽しかった。コンタクトに変えて、視覚と動きがスムーズにつながるようになった。簡単に着られるユニフォームは、自然体の自分を引き出してくれる。

新人戦で地区の優秀選手に選ばれ、はじめて賞状をもらった。母はそれをリビングの壁に飾った。
3学期、はじめて母親以外の女の人からチョコレートをもらった。兄は毎年こんないい思いをしていたのかと思った。
3年の夏、有名大学の付属校からスポーツ推薦の話がきた。受け取った名刺を母に渡すと、目を丸くして「うそ、すごいじゃない」と叫び声をあげた。兄が県で一番の進学校に合格したときも、これほど素直に感嘆してはいなかった。

兄は高校の途中から、深夜に帰宅することが増え、学校に行かない日も多くなった。ぼくが2階で歯を磨いていると、階下からドアの開閉音と、母のヒステリックな叱責の声が聞こえ、それを無視して兄がコツコツ階段を上がってきた。
兄は不機嫌そうに眉間に皺を寄せ、しかしどこか悲しそうな顔をしていた。すれ違った瞬間にタバコのにおいがして、そのまま兄が煙になって消えてしまうような感じがした。

高校での練習初日、特待の同級生に、最初のマッチアップで一瞬のうちに置き去りにされた。体がついていかない以前に、そもそも目で追えていなかった。
ボールを持ってもすぐさま間合いを詰められ、何もさせてもらえないうちにボールを奪われた。スクリーンアウトもフィジカルで押し込まれ、リバウンド争いにすら参加できない始末だった。降参のボタンがあるゲームなら、開始1分でそれを押していたにちがいない。
久々に、自分が特別ではないことを思い知らされた。同時に、そこで見せつけられた力の差は、今後一切埋まることはないと、直感的に理解していた。帰り道、「やっぱりかぁ」と声が漏れた。

それからの一年は、何もいいことがなかった。
練習では何度吐いたかわからないが、誰もぼくを気にする人間などいなかった。
ベンチにも入れず、スタンドから眺める試合は退屈で、声援の渦に飲まれてそのまま自分が消えていくように思えた。
筋トレで体だけは大きくなって、それをまともに動かせない自分が、ひたすら惨めでもどかしかった。

学年が進み、隣の部屋から兄と両親が喧嘩する声が何度も聞こえるようになった。
「勝手に産んで、勝手に期待したのはそっちだろ!」
兄は涙ながらに、どこかで聞いたことのあるセリフばかりを吐いていた。
なんとなく、兄はもう、昔のように特別ではなくなってしまったのかもしれないと思った。

兄はその後、大学を中退して家を出て行った。
「俺みたいにはなるなよ」
久々にぼくに向けられた兄の言葉は、ひどく寂しそうだった。

あの兄でさえ挫折するのだ。自分がこうなるのは当たり前のことのように思えた。
母はひどくやつれて、仕事を休職した。父は毎日惣菜を買ってきて、一言「すまない」と残し、疲れた背中で寝室に入っていった。
このまま、特別な兄と一緒に、家まで消えてしまうような気がした。

ゴミや洗濯物が溜まるので、はじめて家事をするようになった。
家の中が循環し、どうにか自分も家も消えずにいられるように思えた。
特別ではない人間は、動き続けなければ消えてしまう。
何を目指しているのか自分でもわからなかったけれど、必死に部活の練習にしがみついた。とにかく止まってはいけないと思った。
ぼくに触発されてかは知らないが、母も少しずつ調子を取り戻し、兄のいない家がまわりはじめた。

モップがけとボール磨きが誰よりうまくなった。試合では一番声を出した。仲間と練習後にメシを食うことも増えた。高2の終わりに、ようやく監督に名前を呼ばれるようになった。
最後の大会でベンチ入りしたが、出番は最後までなかった。それでも、座っていることは苦痛ではなかった。自分はチームの動きのなかにいて、もう消える心配などいらなかったから。

大学でもバスケを続けることにした。
「出られないのによくやるね」
成人式の同窓会で、中学の頃チョコをくれた子にそう言われた。
「まぁ、就職にも有利だし」
本心はうまく言えなかった。動いている限り、消える心配はない。試合に出られなくても、特別ではなくても、自分が動く手段はいくらでもある。

兄から実家に本が届いた。小さな出版社で編集の仕事をしているという。『神童と呼ばれて』というタイトルで、エリート街道から道を外したが、自分なりの幸福を手にしている人たちの話をまとめたルポだった。母はそれを何度も読み返している。

「自分は特別な人間ではありません。特別でないということは、自分から動かない限り、誰にも見つけてもらえないということです。自分から動くことで、居場所を見つけること、私が部活を通して学んだのはこのことです。
声を出せば、チームメイトの士気が上がるかもしれません。モップをかければ、誰かが怪我する危険を減らせます。いつもボールを磨いていれば、いつも同じ感覚でシュートを練習できます。そういうことを積み重ねて、私はチームの一部になってきました」
就活では、ボタンもベルトも苦しくなかった。言葉も驚くほどスムーズに出てきた。すべて本心だったから。特別でないことは、自分の価値を何一つ減らしはしないのだ。

大学4年の最後の大会。リーグ戦の敗退が決定した試合の残り3分、監督に名前を呼ばれた。
コート中央でプレイが途切れるのを待つ。振り返ると、父と母の姿があった。二人とも涙ぐんでいた。母の「しっかり」という口の動きが見えた。
オフェンスではほとんどボールに触れなかったが、もみくちゃになりながらリバウンドを取った。筋トレだけはサボらなかったから、押し負けずにいられた。
残り1分を切り、こぼれ球が転がった。ワンマン速攻を出せる位置。手を伸ばし、がむしゃらに進んでいく。
「行け、翔平、行けー!!」
もはや勝敗が決まりトーンダウンする会場に、大声が響いた。来てたのか。口元に思わず笑みがこぼれ、普段通りのレイアップ。
「よっしゃー!!」
振り返ると、ゴール裏でひとりガッツポーズする兄。
「ははっ」
少し照れつつ、兄のいる方を指さした。

朝、スーツに着替え始めると、小さな娘が寄ってきて、ボタンを留める邪魔をする。
「パパ、行かないで」
娘をぎゅっと抱き寄せる。
「人間はね、動き続けなきゃいけないんだ」
頭を撫でてやると、幼いながらに何かを理解したような表情をする。
ボタンを留める。ベルトを締める。ネクタイを締める。ボタンを留める。
「行ってくるよ」
「いってらっしゃい」
体が軽い。今日もまた歩き出せる。

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