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辛いものの先にあるもの

「よういち先生は、現役でスポーツをしていた時、楽しかったですか?」

こう生徒に聞かれる時があるが、正直なんと答えたらいいのかわからない。

僕は学生時代に器械体操部に所属していた。多分、それなりに真剣に向き合っていたと思う。


まず、迷いなくいえることが、僕は体操が好きです。

当時の僕は時間があれば、体操のことばかり考えていて、家に帰れば、パソコンをつけ、強い選手の演技を見ては、自分もそれができるつもりになっていました。

次の日の練習では、自分がオリンピック選手みたいな演技ができると思っているので、それはもう自信に満ち溢れた感じで演技をするのですが、当然そんなものができるはずもなく、大失敗をしてチームメイトに笑われました。

その時に僕がよくいっていたことは、「イメージまでは完璧だった」です。

そういったアホな思い出もありますが、体操が楽しかったかといわれると、あまり前向きな返事はできないというのが本音です。

これは、いいすぎでもなんでもなくて、当時のことを思い出そうとしても、辛かったことしか思い出せません。

僕は、嘘をつくのが得意ではないらしく、子供達から不意に当時のことを聞かれると、かなり動揺してしまい、「楽しかった」と答えるのですが、「絶対嘘じゃないですか」と返される。

なぜバレた?!


こんなこといっていますが、実は僕、この「体操」というものを、小、中、高、大と続けてきました。

辛かった辛かったといってるくせに、なんで?


正直なところ、「こうだから!」っと声高らかにいえるような明確な理由は見つからないのですが、アホが理由でないことは確かです。

確かなのですが、それが理由でないのなら、なぜ僕は辛いことしか思い出せないような、「体操」という競技に青春全てをつぎ込んだのでしょうか?

「だから明確な理由はないっていってるだろ」

自分にツッコミを入れてやりたいところなのですが、流石にそれはアホがすぎる気がしたので、不明確なりに理由を1つあげるとしましょう。

当時の事を考えて、「辛かったこと」に次いで、もう1つ鮮明に思い出せるのは、
「嬉かったこと」です。

この、「嬉しかったこと」というものが、当時の僕を、ここまで体操にどハマりさせていた要因に1つだったのではないかな?と思っています。

本当に辛いことばかりの毎日で、それを我慢して乗り越えていくと、極たまに、嬉できごとが訪れました。

ある時には、監督やクラスメイトの賛辞になって、またある時には試合結果となって。こいつは本当に、どこかで隠れて僕を見張っているのではないかと思うほどに、いつもちょうどいいタイミングで現れましたそしてこれまでの辛かったできごとを全て帳消しにしてくれたのです。

「辛いことを乗り越え、嬉いことが現れる」このサイクルを、なんども繰り返していくと、5回目、6回目あたりから、アホな僕でも、分かってくるんです。

ああなるほど、
「辛い」の先にはあるものは、「嬉しい」というものなのか。

それが分かってからは、「辛い」という場面に直面しても怯み難くなりました。

これまでは「やったってどうせ同じだ」と思っていたことが「やればきっと良くなる」という思考に変わっていったのです。

これは今の僕が努力する際の活力となっているものであり、なにものにも変えることのできない、とても大切な経験です。

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