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ふてき(ノベライズ・ウィッチンケア第14号)

ほら、今年もちゃんと「きちゃった」してますから。(9回連続)

……あのねぇ。キミがこうして来るようになって、そろそろ10年なんですけれど。

「それがなに? お待ちどおさま。今年もできたよ、ウィッチンケア第14号。持ってきたんだから、ちゃんと読んでね」

 そう言って彼女は微笑み、真っ白なスニーカーが表紙の本を差し出す。

「いや、その、あの……そろそろ10年ってことは、当然キミもそれだけ歳をとったわけで」

「だから、それがなに? 言いたいことあるなら言ってみれば?」

「...つまり、こんなこといつまでも続けてると、お嫁に行けなくなっちゃわないか、なんて」

「令和6年。不適切にもほどがある。いまの発言、ネットに拡散しとく」

「すっ、すいません」

「しょうがないなあ。じゃ、いまのはここだけの話にしてあげるから、とにかく第14号、隅から隅までしっかり読むように」

「わかりました。でっ、あのぅ、もし読まなかったら今年も?」

「殺す。比喩じゃなく」

○□眼鏡が似合いそうな笑顔を見せて、彼女は去った。僕はウィッチンケア第14号をじっくり読み始める。


表紙、赤いドットのソックスがいい感じだ。ロゴと号数の配置は前々号から安定していて、エディトリアル・デザインを手がける太田明日香の美意識を、発行人が気に入っているに違いない。ちなみに第10号まで表1に配されていた《すすめ、インディーズ文芸創作誌!》というキャッチみたいなのは、今号でも見当たらず。風の噂では発行人が「『インディーズ』とか『オルタナティヴ』とかいう意識がいつのまにかなくなっちゃったんで」みたいなことを宣っていた、とか。

ページを繰ると、ロゴだけのシンプルな扉に続いて、おお、少女の写真と片起こしの「もくじ」。次ページにも見開きの「もくじ」が続く。作品名より人の名前が上なのは、創刊以来変わっていなくて...しかし「もくじ」に3ページを割くとは! と寄稿者数を確かめると42名。第12号と同数なのだが、あの号では2段組み1見開きだけだったから、この変化には発行人のなにがしかの意思が感じ取れる。

そして、次の見開き。なんだ、この不思議な風景は! 思わずピンク・フロイドの「原子心母」かThe KLFの「Chill Out」か、などとイミフなことを呟いてしまいそうになったが、それはまあいいとして、この世界観の源は、今号のヴィジュアルイメージを支配している写真家・張子璇の作風。彼女については2024年3月16日にアップした《写真家・張 子璇さんについて》に目を通してもらうのが一番だと思う。なお、今号は本文のインクの乗りがかなり良いので、この写真を見る際には次見開きとの間にちょいと小指を挟んだりして浮かせてみると、チル度がマシマシになる(チップス)。

今号のトップは谷亜ヒロコ。作詞家としての、サブスク時代の真実が赤裸々に語られている。続いて今回初寄稿の鶴見済。花を愛でる...いや、これは実験なのではないかと自問する、壮大なスケールのエッセイ。次も初寄稿の古賀及子が初の小説を...親戚の失踪について語る「私」の人生も、かなりヒリヒリする。木村重樹は、前号で語りきれなかった鬼畜系について、さらに踏み込んだ一篇を。初寄稿となるオルタナ旧市街はエッセイのような小説のような、風変わりなご近所さんについての話を。我妻俊樹の今号への小説は、あっ、わかりやすいぞ前作より。トミヤマユキコの一篇は、タイトルに付いている「み」が味わい深い。初寄稿となる九龍ジョーの小説の、颯爽としたいかがわしさがスタイリッシュ。次も初寄稿の内山結愛は、散歩に関するエッセイ...「ハード散歩」という言葉が鮮烈! 長谷川町蔵は、自身にとって忘れ得ぬ場所への喪失感を綴った。小川たまかは、世間で評判の映画を独自の視点で考察した。コメカの不思議な近未来小説は、メトロン星人が出てきても驚かないかも? 初寄稿の星野文月が描いたのは、親密な友達のある秘密について。武田砂鉄の疑似インタビューは、なんと芥川賞作品がらみの展開。初寄稿の絶対に終電を逃さない女は、自身初となる小説を...これは純愛、それとも...。武田徹は、詩を切り口に立花隆の意外な一面に迫った。初寄稿となる3月クララの小説には、地球の存亡がかかっている!? 加藤一陽の身辺雑記は、ちょっと穏やかならぬ日常について。木俣冬は自分のルーツを探るようなエッセイを。初寄稿となる稲葉将樹は名盤「ナイトフライ」についての、独自の解釈による考察を。次も初寄稿となる武塙麻衣子の小説は、美容室を舞台にした不思議な一篇。発行人・多田洋一は、恥ずかしげもなく大失恋小説を。宇野津暢子は、大好きな武田砂鉄作品のパスティーシュ。中野純は音に対する敏感さで「うるさい」への提言を。すずめ園は、仮想旅行に自由律俳句をブレンドした作品。仲俣暁生は長く住んだ町・下北沢についての思い出を語った。藤森陽子は、亡き夫への追悼の一篇。武藤充はホームタウン東京都町田市について、他では知り得ない逸話を。朝井麻由美はテレビについての愛憎交わる複雑な心情を綴った。宮崎智之は「寂しさ」について、自身の読書体験からの考察を。野村佑香は、10年前の旅行体験を今の視点から振り返る。柳瀬博一は著書『カワセミ都市トーキョー: 「幻の鳥」はなぜ高級住宅街で暮らすのか』を踏まえて、さらに都市論的な論考を。吉田亮人は、訪韓の際に実感したことを率直に語った。美馬亜貴子の小説は、「僕」と海外からの研修生との交流を描いた作品。久禮亮太は開店1周年を迎えた自身の書店について。かとうちあきは自分だけの風呂についての、ちょっと衝撃的な提案も。清水伸宏の小説はエレベーターの階ごとに忌まわしい過去が、何故? ふくだりょうこはかなり怖い日常の近未来像を小説で描いた。荻原魚雷は散歩しながらの思索...視点が文学的だ。蜂本みさの「バイツアート」...なんと壮絶なバトル芸術! 東間嶺はインターネットと世界の関係を小説に。久保憲司はチャットGPTの正体を独自の解釈で見抜いてみせる。  

42篇の書き下ろし後に、今号に関わった人のVOICEを掲載。その後にバックナンバー(創刊号~第13号)を紹介。QRコードが付いているのでWitchenkare STOREでその場で購入できるとは、世の中便利になったものだ。……こんなに読み応えのある本が、じつはまた少し値上げして(本体:1,800円+税)でして、みなさまごめんなさい。諸物価高騰のおり、小誌を続けていくためのこととご理解くだされば嬉しく存じます。

それで、今回もまた繰り返すしかないのだが「ウィッチンケア」とは、なんともややこしい名前の本だ。とくに「ィ」と「ッ」が小文字なのは、書き間違いやすく検索などでも一苦労だろう。<ウッチンケア><ウイッチンケア><ウッチン・ケア>...まあ、漫才のサンドウィッチマンも<サンドイッチマン>ってよく書かれていそうだし、そもそも発刊時に「いままでなかった言葉の誌名にしよう」と思い立った発行人のせいなのだから...初志貫徹しかないだろう。「名前変えたら?」というアドバイスは、ありがたく「聞くだけ」にしておけばよい。

そしてそもそも「ウィッチンケア」とは「Kitchenware」の「k」と「W」を入れ替えたものなのだが、そのキッチンウェアはプリファブ・スプラウトが初めてアルバムを出した「Kitchenware Record」に由来する、と。やはりこのことは重ねて述べておきたい、とだんだん話が袋小路に陥ってきた(というか、いつも同じ)なので、このへんにて。


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