この序章において既に、リーマンの画期的な着想が提示されている。リーマンの本講演により、私たちが「確実である」と認識しているものは、経験的に確実であるに過ぎないことが表明された。そこに必然的な理由は何もないのである。
ここでリーマンが想定している理論はもちろん、ユークリッド幾何学である。西欧の伝統では、ユークリッド幾何学があらゆる学問領域の規範となり、とても大きな権威を持って存在していた。いわゆる古典物理学はユークリッド幾何学の理論をベースに組み立てられている。
ところが、近代になって非ユークリッド幾何学という別の理論が存在することがわかった。つまり、ユークリッド幾何学をなにも特別視する理由はどこにもない。古典物理学も、西欧人が常識的な観察の範囲内において整合するから有用である、と考えられていたにすぎない。
なので、リーマンの言うように『観察の限界を超えた』対象について理論を立てようとすれば、どのような幾何学を私たちは構築すればよいのか、全く手の打ちようがない。私たちが経験できる範囲というものは、この無限なる宇宙に比べれば、些細な有限なる部分に過ぎないのだから、リーマンに言わせれば「事柄の性質上、完全には決まらない問題である」ことになる。
リーマンが提唱する《何重に拡がったもの》は、ユークリッド幾何学を規範として発展してきた西欧伝統の考え方を、俯瞰した視点から見直すことに関して抜群の威力を発揮する概念である。その際に、この概念を『量の概念』との関連のもとで研究をしていくことをリーマンは問題とした。
リーマンの研究は数学を哲理的に考察していくという点において、極めて独創的な仕事であると言える。
今のわれわれがリーマンを読んでも、なお学びになる部分はとても多いように感じる。