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誕生日は忘れられてても仕方ないと思ってた

私は、なるべく誕生日は祝うようにしている。プレゼントは全員に渡すほどの財力はないため、渡す人はある程度絞るが、メッセージだけでも送るようにはしている。

見返りを求めているわけではないが、少しだけ期待してしまうのはまだまだ心が子どもなのかもしれない。

学生時代もやりくりしながら誕生日プレゼントを渡すような子どもだった。プレゼントを渡すようになったのはいつからだっただろうか。

一番記憶に新しいのは、中学生の時だ。

安いものではあるが、喜んでもらえるものを、と渡していた記憶がある。

と、お返しが来たり来なかったりは常だったが。


ほしいわけではない。ただ、何となく、その人にとって私はその程度なんだなと、自己肯定感は削られた。

誕生日を祝われることは、何となく自分のことを肯定してもらえているような感じがする。ここにいてもいいんだ。覚えててくれていたんだって。


ある人は、誕生日は親や周りに感謝する日だという。確かにそうだともいえる。周りの支えが合ってからこそ生きていける。生きてこれた。


でも、祝ってもらえることもうれしいのだ。

無事にここまで生きてこれたこと、また1つ歳を重ねることができたこと。


さて、今年はどうだったか。誕生日の1週間前からプレゼントを贈ってくれた人もいれば、たまたまらしいが、郵送して送ってくれた人もいる。メッセージをくれた人もいれば、LINEの機能を使って祝ってくれた人もいた。

関わる人は多くても、きちんと祝ってくれる人は少ないと思う。だからか、祝ってくれた人にはとても感激する。1日遅れなんて関係ない。

欲がないわけではない。もちろん祝ってくれただけでうれしいが、プレゼントうをもらったらもっと嬉しい。そこのところは素直だ。


さて、恋人の話をしようか。恋人はバースデーカードを送ってくれた。たまたまだが、きちんと誕生日当日に届いたからすごいと思う。怪獣のバースデーカードで、中にメッセ―ジと、私が手紙を送るという時に無理強いしていたイラストまで描いてくれていた。イラストは、色塗りもしていた。

下書きをして書き直した後までくっきり分かったが、それすら愛おしいと思ってしまった。そして、可愛かった。

バースデーカードが届くなんて知らされていなかったため、封筒が届いた瞬間驚いた。

プレゼントに関しては、また後日話し合って決めてくれるそう。実家暮らしの縛りがきつくて、欲しいものを簡単に欲しいといえないのがしんどい。

でも昨夜、プレゼントに関して少し喧嘩をした。

私が、「プレゼントはやっぱり要らない。自分のために使ってほしい」と言い出したからだ。精神的に不安定に会ったのもあるが、意図としては少し寂しかったのだと思う。

思ったより多くの人が祝ってくれた。でも、学校の友達や後輩などよく関わっていた子からは何もアクションがなかったことに少し残念に思ってしまった。もちろん誕生日が平日であったから、忙しかったのもわかるが、よく見ていたInstagramのストーリーで流れるメンション付きのお祝いストーリーが羨ましかった。

誕生日アピールもしてしまった自分もいるが、それは少しだけ虚しかった。

特に女子同士は難しいなって思う。薄情に見えてしまったり、優しく見えたり。私はこの世界が少し苦手だ。


22歳になった。

社会人1年目として働いている。

22歳の抱負は何にしようか悩んでいるところだ。


今日も何とか生きている。

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