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権力者が欲しがる不老不死の薬

50代になる知人が、著名な僧侶である円仁(延暦13年 794年 - 貞観6年1月14日 864年2月24日)に関する論文を書き、博士号を取ったと聞いた。

遠い昔、高校の日本史で彼のことを学んだことを思い出し、もっと知りたくなった。

どんな人だったのか。関係の本に目を通してみた。

円仁は桓武天皇の時代に栃木県で生まれ、幼少時に父を失い、9歳で大慈寺の僧である広智に預けられた。

最澄に弟子入りし、21歳で得度した。

その後、東北地方を含む各地で布教活動を行い、比叡山仏教を広めた。

円仁は写経の功徳で重い病気を克服し、根本如法堂を建立した。また、その学識が評価され承和5(838)年入唐したが、当時の仏教弾圧の影響で、同14(847)年帰国を余儀なくされた。

この仏教弾圧を行ったのが武帝だった。古代、権力者は不老不死の薬を求めて来た、武帝も同時権威があった道教の関係者から、不老不死の薬の成分を教えられた。仏教弾圧には、この道教が一役買っていた。

ライシャワー著「円仁、唐代中国への旅」講談社学術文庫によれば、円仁が聞いたのは、こういう成分だった。ポンドとあるのは、後に在日米国大使になるライシャワーの原著が、英語で書かれているためだ。

李の皮10ポンド、桃の磊(けば、表面に生えた毛)10ポンド、生きた鶏の膜皮10ポンド、亀の頭髪10ポンド、兎(ウサギ)の角10ポンドである。


皇帝はこれらの品物を市場の薬店で購入するよう命じた。しかし、彼らは、それらが1つもないと言った。そこで文書が発せられ、鐘や太鼓で求められた。しかし、〔皇帝の〕懸念は鎮められなかったので、人々はついにさまざまな国に搜し求めたが、1つも得られなかった。

「円仁、唐代中国への旅」

そもそもカメに頭髪なんてあんのか、ウサギのツノって何だとツッコミをいれたくもなるが、それはいいとしよう。

結局武帝は、薬を完成させることなく死去した。中国の歴代皇帝の中には、永遠の命を約束する「薬」を入手して、飲んだ人もいる。

しかし、水銀やヒ素など、当時は危険性が意識されていなかった有害物質が含まれており、結局死期を早めたとも見られている。

長生きを願って毒性の高いモノを飲む。皮肉といえば皮肉である。

さて円仁。帰国後は、天台座主に任命され、天皇や広く一般の人々に教えを広めた。

864年に71歳で亡くなり、その後、最澄に伝教大師、円仁に慈覚大師の大師号が授けられた。当時としては大変な長生きだ。

翻って現代で考えて見よう。
不老不死は、権力者の夢だ。いつもは疑り深いはずの権力者でも、弱点は寿命だ。

不老長寿に関する巧みな話を聞くと思わず信じ込んでしまうもののようだ。

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