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2/5 エントロピー減少の代償

アパートの窓は西向きなので、晴れた日は午後になると日の光が差し込む。冬の日は特に部屋の奥の方まで。冬の日の太陽は珍しいので忘れがちだが、北緯60度というのはそういうことなのだ。

雪国あるある。晴れた日は気温が低い。
せっかく晴れたのだから散歩に出かけようかとも思うのだが-10℃と言われてしまうとやっぱり外に出ることは諦めてしまう。大抵そういう日は風も強かったりするのでね。

普段であれば日曜は昼間と夕方にひとつずつ仕事があるので、出かけるとしたら午前中か夕方かのどちらかになるのだが、今日は夕方の予定がキャンセルになり、昼過ぎから外出できないこともなかった。珍しいことなのでせっかくだし、と思ったがどこに行くかも特に思いつかず、上に書いたように寒かったので諦めて引きこもることにした。謎にハチクロのアニメを見返すなどした。ダントツで野宮さん推し。


昨夜観た «Брат» について思ったり考えたりしたことをふんわりと。
そう、恥ずかしながら今の今まで観たことが無かったのです。ロシア人の友人に「観なきゃダメだよ!」と食い気味に言われたので重い腰を上げて観ることにした。確かにこれはペテルブルク好きを自称するのであれば必見だなと思った。話の内容を完全に無視して街並みを見るためだけに観たっていい映画だと思った。

そこに住む人たちの様子は今と随分違うけれど、それでも変わらず運河は流れ、ピョートルは馬に乗り、教会は鐘を鳴らす。変わらないものがあるという救い。同様のことがエイゼンシテインの『十月』にも言える。

映画の内容に話を戻そう。
あらすじはいわゆるマフィアもの、といった感じで、一部の上の世代の人たちはきっとこういうイメージのせいでロシアは恐ろしい国だと思っているのだろうと思った。むしろ今ここに住んでいる私からしたら、現実味がなく、日本の極道ものと同じような印象を受ける。
でも90年台のロシアを知っているひとびとは「確かにこういう時代はあった」と口を揃えて言うのだから、本当にあったのだろう。そしてそう言う彼らの顔には郷愁を読み取ることさえできる。

90年代のロシアを知らないので想像でしかないが、それは実際のところ「古き良き時代」なんてものではなかったと思う。今の方がずっといいに決まっている(この先この国がどうなっていくかは知らないが少なくとも現時点では)。経済成長、安定した生活、街中で銃声を聞くこともなく、怪しい露店もヤバい酔っ払いもいない。小綺麗な店や電動バス、ガスプロムタワー。それは「良くなっている」ことの象徴に決まっている。

友人や同僚の多くはソ連崩壊直後に生まれた世代で、90年代を知っている。「私はあの90年代を生き延びた」という台詞を何度聞いたことだろうか。それほど彼らにとっては強烈な幼少期として記憶されているのだろう。それに彼らの言葉の端々から「自分たちの世代は前の世代よりもいい方向に進んでいく」という共通認識のようなものが窺えるのだ。これは日本の同世代にも私自身にもない感覚なので、たまに驚かされることもある。
しかし同時に、90年代について語る時の彼らはどこか懐かしそうなのだ。あの時代に青春時代を過ごしたひとたちのことを羨むかのようだったりもする。

昔読んだ夏目漱石の『こころ』について書かれた評論に「明治の精神に殉死する」という言葉がどういう意味なのか、と言うことが書かれていた。あまり詳しくは覚えていないのだが、それは「可能性を失う」ということだと筆者は主張していたと思う。開国、明治維新、今まで固定化されていた社会構造が壊れ、皆がよーいドンで混沌の中を手探りで進んでいく時代。それはソ連崩壊直後と似通ったようなものではなかっただろうか。それは良い言葉で言い換えるとすれば「可能性」で、社会の乱雑さが収束していくにつれて、同時に失われていくものなのだろう。もちろんそんな社会の方が安定した、安全な暮らしが送れるけれど、そこにあった無限の可能性も目減りしていくことは事実なのだろう。波に飲まれる者もいれば、波に乗って誰よりも遠くに行ける者もいる、そんな時代がある種懐かしくて羨ましいのかもしれない。「明治の精神」と「90年代ロシアの精神」比べてみるのも面白いのかもしれない。

25年前も今も、相変わらず雨上がりのペテルブルクは水溜りだらけで、きっとこれはこの先も変わらないのだろうと思ったりした。

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