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きみだけのキズマシーン(キズマシーンラストライブに寄せて)

朝、起きて、どうやっても落ち着かないのでキズマシーンにお花を送ることにした。

当日朝でも送れるプランがあってよかった。細かい時間指定ができなくて、変な時間についたらごめんな…と思いながら送った。

早めの時間にあるお笑いライブを見てたのし〜ってなってライブ会場を出たら、キズマシーンのライブに来る人全員宛のメールが来て、終演後のお花のお渡しはご遠慮くださいって書いてあって、えっお花の事前のお送りはokですか????ってあわててご連絡しようと思ったけどその方が本番前に申し訳ないからやめて、あ〜〜〜ごめんなさい、いざとなったら死す〜〜って思いながらライブとライブの間の時間をルノアールで埋めています。

すーっと体が溶けていきそうになっている。それを文章を書いたり普段飲まない紅茶にレモンを絞ったりして耐えている。
さみだれは今日で芸人ではなくなるという事実がわたしの心の中でぐちゃくちゃしていて、そんな人の決めたことをぐちゃぐちゃ思っても仕方ないので、これから頑張ってほしい、としか言いようがないのだが、でもその、舞台と客席の距離から彼を見るのは最後であるという感じがすごく不思議でしかたない。

さみだれとは友達になったのが先だったので、キズマシーンのネタを見ていると、親戚がお笑いやってるみたいな気恥ずかしさが最初はあって、でもそれはいつか逆転して、キズマシーンのさみだれというひとと友達なのだ、と思うようになった。

なんかあんまり友達友達というとファンの人に申し訳ないのだがわたしはさみだれってなんだろうってかんがえたときに友達だなって言葉が浮かぶので、ちょっときもいやついるなっておもわれたらすいません。でも、いわゆる「繋がり」というかんじではなく、家があまりに近すぎた時期があってなんとなく友達になったのでそういうものなんだなって思ってもらえると助かります。

さみだれに本を貸すときは10分後に自販機の前で、で話がついた。10分経って家を出て自販機の前に行くとだいたいさみだれはいなかった。少し遅れてやってくるのがさみだれであった。
一回自販機の前にいたら雪が降ってきて、雪だよ、とさみだれにいっているのに、寒いっす、しか言われなくてこいつ風情ないなと思った記憶もある(さみだれは体型が細すぎる)。

わたしはさみだれにかなり心を許していたのだと思う。夜中に井の頭公園に行った日のことを今でも覚えている。夜、散歩に行きたくて、さみだれをさそったら行くと言ってくれて、アイスを奢ってもらったり、タバコを吸うのを待ったり、映画で見た直感手相占いみたいなやつってできるのかためしたらマジでできなかったり、さみだれルーレットをしたり、これはたぶん誰ともできないことで、人には言っていない話をさみだれに話したこともあった。

いまは、芸人をやめた後でもさみだれは友達でいてくれるかなあ、と思っている。さみだれがなにになるのかあるいはならないのかは知らないが、その属性が変わっても、おなじように遊んだり喫茶店で延々と本の話をしたりあんまり広くないいきつけの中華料理屋に連れて行ってくれたりするのだろうか。

わたしがさみだれに与えられるものがあるとしたら短歌の仕事くらいなので、11月の文学フリマまでに100首書いてくれればちゃんと謝礼を払う。また、もし彼になにかやってもらえる機会があれば積極的に呼ぶこともできる。

さみだれには与えてもらってばかりだとおもう。わたしが彼にできることをこれからはやっていけるような関係になれたらいいと思う。そしてなんでそうなるんだみたいな恋バナをまた聞かせてください。

いまライブ会場に着いて、わたしはだいたい下手側に座るので前から詰めてねって言われて最前下手端に座ってしまい、あ〜これはさみだれの立ち位置の方だなって思ってなんかしんみりしています。ネタ一覧が配られたのだけれど読んだら涙腺が死ぬからそっとしまいました。
周りの人の話を聞くとやはりこれも涙腺が壊れそうなのでイヤホンで音楽を聴いていて、カミノの最高の客入れを聞けなくてごめん!ほんとごめん!って思ってます。なんかさ、みんな、思い出話をしているっている状況に耐えられないんだ。未来の話をしてなくて、それがつらくて、仕方ない。

落ち着く薬を飲んでイヤホンを外したらようやく客入れが聞けるようになってきて、周りの人の話がガンガン頭に入ってきてつらいという状態からも抜け出して、なんとか、お笑いライブを見にきたのだという気持ちにコンディションを持って来られている。

ライブが終わって、びっくりするくらい悲しいって思わなかった。ずっと笑ってて、知ってるネタが多かったけど見たことないネタも少しあって、それらが全部輝いていて、面白かった。とても面白かった。

でももったいないなって思わなかった。やめないでほしい、とは思わなくて、これははなむけの拍手で、ここでちゃんと区切りなんだ、という気持ちになった。面白かった。大好きだった。でも、ここでキズマシーンは一旦終わりなんだって、いま書いてたら泣けてきちゃって本当にだめなんだけど、泣くためにこの文章を書いているわけじゃなくて、よかったよ!ふたりともそれぞれがんばって!おうえんしてる!の気持ちなのにわたしが、みんなが、泣いたらそれは爽やかに送り出せなくて、でもやっぱり何かあったら、って思ってしまう。なにか、チャンスが、機会があったら。全然違う未来があったんじゃないかって。

でもそれはお笑いにおいては本当に運で、売れたい!はい売れました!ってなるわけじゃないんですよ。だれもが、そういうふうに売れられるわけじゃなくて、みんながもっとキズマシーンを見てくれたら、の世界はもうなくて、「きみだけのキズマシーン」なわけで、でもそのキズマシーンをわたしはとても愛したという事実がYouTubeの中にのこって溶けているので、みんな検索してたまに見てくださいね。

カミノくんはやっていけると思ってます。頑張ってください。さみだれははやく原稿ください

ものを書くために使います。がんばって書くためにからあげを食べたりするのにも使うかもしれません。