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武蔵小金井のかつみゆきおさん

 
 かつみゆきおさんから夫に電話があった。今年最後の展示会が武蔵小金井の市民ホールであるという。喜多見駅まで輪行して、野川沿いにサイクリングで二時間の距離。このところ天気も安定して体を動かすのは無条件に気持ちがいい。ふたりで出かけることにした。
 
 もっとも木工作家かつみさんのテーブルや椅子を、今から我が家に置くスペースは無い。買うことはできない。つもりもない。それなのに今年は三回もかつみさんに会いに行った。どうしてだろう。それはかつみさんという人物を「確かめる」ためだ。実際に会っていると、わたしは「おいおい、こんな人は見たことないぞ」といちいちこころを打たれている。だけれど、しばらくするとこちらは凡人だから忘れてしまう。だから、また実物に会ってもう一度圧倒されたくなるのだ。
 
 といっても、なにか威張るとか、極端なことを言うとか、はない。耳が半分聞こえないし、話していてもひとの名前は忘れて出てこない。作品を売る気もさらさらないように見える。だいたいは椅子に座ってニタニタしている。もらったお菓子だの飲みかけのペットボトルだのが散らかっているので、わたしは落ち着かない。プチプチシートもその辺に放ったまま。例によって右の手首にも左の手首にも腕時計。これを見ると、いつも笑いたくなる。お洒落で欲深なルンペン、それがかつみさんだ。グリーンのセーターはほつれかけている。その上に重ねている赤いシャツは薄汚い。靴はいつも立派なアウトドア用で、靴に限ってはすぐ自慢する。ひとに気を使うわけでも無いが、ときどき、ふと、気分がしっかりして、ずばりとしたことをいう。「奥さんはいつ骨董屋をはじめるの?」などと。(あれ、わたしの戯れ言を忘れていないらしい、まいった)
 
 先日、朝日新聞を読んでいたら、アメリカで日野皓正は、ガレスビーに「自分を証明しようとするな」と言われたという記事があった。このとき瞬間的にかつみさんのことが脳裏にひらめいた。かつみさんは、「証明しよう」などという卑しい根性は微塵もなくて、それでいて、365日自分を証明しきっているんだな、と思った。

 その365日の証明が、今年出した文集「遊びが仕事で 仕事が遊び Ⅱ 木工職人かつみゆきおのメモ 2021〜2023年」( 非売品 )だ。意外にも(!)几帳面に毎日の記録が欠かさず書いてある。嘘がない、という意味でめざましい名文である。このように文を書くひと、書けるひとを他に知らない。かなりちゃんとした書き手でもどうしても定型的な嘘を書いてしまう。前置きとか、挨拶とか、謙遜とか、言い訳を書いて、そこに「ありがち」という嘘がつい出る。それらがいっさいなく「いきなりホントのことを言い始める」という文。どこか引用したいが、どこを引っ張ってきたらよいのか。日常の記録だから、どこかに山場、見せ場があるわけではない。どこを切っても、いつもの、あのかつみさんだ。  

ソロ
「ソロ」とは単独ということである。ぼくの憧れの言葉である。
ひと(他人)の迷惑もかえるみず、随分と岸壁登攀に夢中になった時期があったが、臆病者のぼくは、ソロクライマーを志向することにはなれなかった。
 1971年、ヒマラヤ登山を終えて、炎熱の西パキスタンのカラチ空港で、アイガー北壁のソロクライムを目指す古川正博を見送ったのが、彼との永遠の別れだった。もう50年も昔のことである。
 今、ぼくは下界で「ソロ」のような日々を送っている。望む望まないに関わらず、そのような環境になり、出来る限り「ソロ」の生活をとの気持ちが芽生えた。若い頃のソロクライマーになれなかった反動かもしれない。
 今、ぼくの志向しているのは、「出来るだけ」ということになる。「ソロ」と言ったって、孤高の虎ではないから、身体に異常があれば病院の世話になるし、今でも時々病院にゆく。でも、せっかく天がこのような環境をあたえてくれたのだから、それに便乗しようというわけである。そう真剣ではないような、真剣である。そんなぼくを、もうひとりのぼくが、どこまでやれるのかねーと見つめている。所詮これもぼくの遊び癖かもしれない。
                 2023年3月20日 かつみゆきお

 これは展示会用のパンフに載せた文だから、ちょっとだけ「よそゆき」かも。
 話は展示会に戻る。
 しっかりした楢の机の上に小物が並べてあった。お箸、弁当箱、小さい額縁など。細身の弁当箱は根来で、蓋の隅がカットしてある。値段も安い、と感じた。かつみさんは「丁稚のころは、硯箱とかばかり作ってたから、得意なんだよ」という。「鰻重用」。なるほどまさしく鰻一尾の寸法だが、使わなくても飾っておくのがいいな、とふたたび感じた。こういう風に二回感じると、買うことに傾く。
 
 五時になった。最終日なので今から撤収である。そもそも前日に「手伝ってよ」といわれていたので、そのつもりである。が、三人ががりでもたいへんな仕事だった。撤収となるともうかつみさんは笑っていなかったが、83歳の老体にしてへこたれもしなかった。軽トラの脇まで全ての荷物を運び終わると、「あとは自分でゆっくりやりたい」と言う。近くのショッピングセンターでビールとお蕎麦をごちそうになり、夜の中央線に、またしても「いやはや」と思いつつ、たたんだ自転車を携えて乗った。
 

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