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我慢していた子ども時代②

こんにちは❣️
YOKOです。

両親が飲食店を経営していたので、
土日休みではなく、両親の休みは平日。
長期休みも例外はなく
世間の子どもが週末にプールや海に行っているのが、本当に羨ましかった。

我が家の旅行と言えば、従業員の皆さんとの社員旅行。海にいったり、温泉に行ったり♨️
年に1〜2回は行っていたような、、、
子どもも遊べるところを選んでくれてはいたけれど、すべて従業員の方が優先。
私が行きたい場所、タイミングではなく
皆さんが楽しむように、そのおまけで私と言う感じでした。
それは肌で感じると言うよりは、はっきりと言語化されて、まずはお店のお兄ちゃんとおばちゃんたちねと言われていました。

夏休みなど平日にプールに連れて行ってもらってもお店のお兄ちゃんたちが一緒。
なんなら、ねえねまで連れていく。
おばの家は夫婦仲があまり良くなくて
親と出かけるなんてなかったから、一緒に行ってたな。
その時も、ねえねはパバ、ママ一緒じゃないから、ねえねの行きたいところにいってあげようねって。
板前さんの修行に常時3人ほど16歳から20歳位のお兄ちゃんたちがいたから、今思えば親代わりになっていたんだろうけどね。

洋服もかわいいのが着たかったのに、商店街にある子ども服屋さんがお客さまだったから、全部そこて買ってた。たしかにお値段も高かったし、いい物だったと思うけど、池袋とかで買ってもらいたかったの。
私は本当は父、母、私の3人でお出かけしたかったな。いっぱいいっぱい我慢してた小さい頃。
あのころのわたし、よく我慢していられたね。

おば夫婦が別居を始めるタイミングで
一緒に住んでいた家をみんなで離れ
一軒家を借りたり、買ったり。
2年に1回くらい学区の中で引越しが始まり
ねえねと出かけたりする機会がどんどん増えていきました、、、

そんな環境で幼少期から育った私は
気づいたら、周りの空気を読んで
自分がやりたいこと、食べたいもの、行きたい場所、どうしたいのかをつたえることをやめていってしまったようです。
⤴︎これは本当に最近気がつきました。

今はね、母とのあれこれあっても本当に幸せです。この幸せに行き着くまで試したこと、気をつけていることも書いていきますね。

続く、、、

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