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未来を創る朝読書
「漫画映画 漂流記 
 おしどりアニメーター奥山玲子と小田部羊一」
聞き手 藤田健次
版 講談社

経済センター1階の大垣書店で平積み、かつ大垣セレクションとなっていました。


◇出産したら退職という壁を破る

こちらは、朝ドラの「ヒント」となった黎明期のアニメーター夫妻小田部羊一氏と故奥山玲子氏の当時のありようを、藤田健次氏というアニメ研究者が行った聞き書きの記録の書。

もちろん登場するのは、小田部・奥山夫妻だけではなく、その周囲の有名・無名のアニメーターたち。
中には、宮崎駿の妻朱美さんのお名前もありました。

私自身はアニメにそんなに深い思い入れはないのですが、出版前に聞き手の藤田氏から直接お話を聞く機会がありました。

その中で、藤田氏が奥山さんは東映動画で初めて職場結婚をし妊娠~出産後も働き続けた人だったというお話がとっても印象に残っていて、詳しく知りたくなったので即買い。

当時、女性は入社時に「結婚して子供ができたら仕事を辞めます」( ゚Д゚)という誓約書を書かされていたそうです。

なんという時代!

そんな中、東映動画内で先輩後輩の仲で、社内結婚をした小田部氏と奥山氏。
奥山さんは妊娠しても働き続け、出産後も赤ちゃんを連れて出勤しようとした時、会社の役員たちは「子供を連れて会社に入ったら処分」と玄関付近で奥山さんを見張っていたそうです。

ところが、仕事仲間たちは、玄関で立ちすくむ奥山さんから、
「まあかわいい赤ちゃん~」
と言いながら赤ちゃんを抱きあげ、先に建物に入っていきました。
それを追いかける形で奥山さんも会社に入り仕事をすることができたそうです。
誰かと示し合わせて、こうなったというわけでは無さそうで、仲間が自然に機転を利かせあった結果のようです。

当時、労働組合の力も強かったという背景もあって、結局会社側が折れました。
奥山さんは、「赤ちゃんを連れて入ったわけではない」となり、東映動画では出産しても働き続けられ、残業が続けば親が働く足元で子供が遊ぶという風景がみられるようになったそうです。

後に続く女性たちの先陣を切った奥山氏。
結婚後も気負うことなく、普通に旧姓「奥山」を名乗り続け、日本初の単独の女性作画監督としてテロップに掲載されたときも「奥山」だったといいます。
 
東映動画で働く女性達もごく自然に奥山さんに習い、結婚後も働き続け、旧姓を通し、夫と共にほぼイーブンな負担で子育てを続けたそうです。


◇「仕事を辞めてくれ」と詰め寄った宮崎駿氏

同じく東映にいて宮崎駿氏と二人の子供を育てていた妻朱美さんは、夫宮崎駿氏から「仕事を辞めてくれ」と頼まれそれに従ったそうです。

当時宮崎駿氏は東映を辞めて新しい「アニメ映画」に挑戦していた真っ最中で、夫婦の生活は多忙を極め、「もうこれ以上無理」と言わざるを得ないところまで追い込まれていたそうです。

朱美さんは納得の上で仕事を辞めた、それでも彼女はこのインタビューで「私はもっと描きたかった辞めたくなかった」と話していらっしゃいます。おおよそ半世紀近い月日が経っているにも関わらずです。

当時はいまよりもっと保育園の絶対数は少なく、夫婦で運転免許を取って朝保育園に送り、仕事に行き、迎えに行って子連れで会社に戻って一緒に残業する。
近所の小児科医が開設した私設保育園を利用する。
などなど、どの方も綱渡りの子育てだったようです。

なぜ、奥山さんは書き続けられ、
朱美さんは辞めてくれと言われたのか。

同じクリエイターとして宮崎駿氏は「辞めてくれ」ということが彼女にとってどんなに残酷な発言なのかわかっていたと思います。
男尊女卑的な発想、女は家庭に~とかそういった次元の選択ではないと思います。

書籍では読み取れないのですが、仕事を辞める、辞めない、辞めて欲しいと言い出せるかどうか、私の中で湧いてきた「答え」それは、「才能を発揮す尽くす」 という覚悟の「強さ」の違いだったのではないかと思えるのです。

奥山氏は、子供も大切、でも同時に自分も才能を発揮しつくす、この二つは同じ天秤には乗らないし乗せない、という覚悟をもって仕事に臨みつづけたのでしょう。
 
宮崎駿は、才能を発揮しつくす覚悟を強く持った。
もちろん妻朱美さんにもそれはあったでしょう。
 
ただその熱量のわずかな差と、クリエイターとして机を共にするのか、生活者として家庭を築き続けるのかの選択の積み重ねが、パートナーに筆を折ってくれと言うかどうかの分岐点だったのではないでしょうか?

この書籍は、働く夫婦の在り方、の話ではなく、黎明期の日本のアニメ業界の熱量とその人間模様を小田部羊一・奥山玲子夫妻を軸に後世に伝えるための一冊ですが、私にとって印象深かった「仕事と子育て」を軸に紹介させて頂きました。

本日は「重陽の節句」関東で暴れている台風被害が最小限に収まりますように、祈りを込めて。


京都で「知的資産とビジネスモデルの専門家」として、活動しています。現在は内閣府の経営デザインシートの普及に勤めています。