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主流ではなく源流をたどり、そこに触れること

令和元年 11月11日 ライフログ

11月3日に父逝去しました。
実家で母と私と私の息子(孫)、訪問看護師さんに看取られての大往生でした。

亀岡の鍬山神社宮司の13番目の息子として生を受けた父。
縁あって井手町多賀の高神社の宮司をおつとめさせて頂きました。
葬儀は神式で無事済ませることができました。
ここに父が生前お世話になった皆様への御礼と、通夜式並びに神葬祭にお運びいただきました皆様に心より御礼申し上げます。

ということで、レゾナンスで朝読書は続けていたものの、アップするだけの時間が取れませんでした。

また、公職では2日のお休みをいただき大変ご迷惑をおかけしました。
相談日の変更に快く対応頂きました皆様には感謝とお詫びを申し上げます。

神式のお葬式、人生2回目でしたが、斎主を務めて頂いた宮司様のお力でお式での最中は清々しささえ感じました。
神道では故人は五十日かけて家の守り神になっていかれるそうです。

父が宮司の縁を頂き、改めて神職の資格を取得したのは40代後半でした。
それまで我が家は神道とはほとんど縁のない生活をしていました。
父に神道について聞いたところ、
神道は仏教と違い、アニミズム的な面が強くで故人の魂は近くの山に還り、その一族の神になる
と話してくれたことがありました。

いつも書斎的な部屋にこもって本や新聞を読んでいた父。
冗談めかして「世界情勢を把握しなくっちゃ」とよく言ってました。

戦前に産まれ、戦後の価値観の大転換期を生身で経験している最後の世代ということを鑑みれば、この言葉の向こうに様々な思いが詰まっていたことでしょう。

多分父の読書は、
 自分の頭で考える。
 自分の判断軸を整える。
 自己責任と言えるだけの知識と情報を備えること。

そのような思いの発露であったのでしょうが、晩年は右傾化も著しい発言が続いていました。(;^_^A

あふれる情報に流されない、主流ではなく源流をたどり、そこに触れること。
歴史は、過去から連綿と続く今日の延長である一方で、新しい時代は過去への理解とともに、非連続な連続の中で創られる。
だから、「世界情勢を把握」ではなく、そのうえで「未来を構想する力」「自分はどんな世界を観たいのか」を持たなければ、簡単に主流として流れ込んでくる論調に流されてしまう。

今朝は、既にレゾナンスした書籍があったのですが、タイムアウトとなりました。

本日は、元年 11月11日と 1が五つもそろうよい日。そして新たな一週間のスタートの日。

よい一日をお過ごしください。

京都で「知的資産とビジネスモデルの専門家」として、活動しています。現在は内閣府の経営デザインシートの普及に勤めています。