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2018年5月の記事一覧

編集という仕事は、最終的に「生き方」で差別化するしかない

編集者は写真が撮れるわけじゃない。絵が描けるわけでも、美しい文章が書けるわけでもない。 編集者は「なにかの専門家」じゃない。 強いて言えば、企画をする人。そして、それを実現する人だ。誰かに動いてもらって、カタチにしていく人。最近はプロモートすることもそこに入り始めているかもしれない。 どこかで「編集者は、なんにもできないけどなんでもできる職業」と聞いたことがあるが、まさにそのとおりだなと思う。 * AIなどによって仕事が奪われると言われている。 編集者ももちろん例

note meetup!イベントメモ

最所あさみさんのお話が聞きたくて、note meetup に参加してきました。イベレポと呼ぶにはあまりに生の状態だけど、どうしても今日残しておきたくて書きました。 まずは半年の法則 まずは半年続けよう。半年頑張れば絶対に効果・結果が出る。半年やって結果が出なければ、そのメディアがあなたに向いてないのかも。 質は量から生まれる。 量をこなさないとフォーマットは絶対できない。フォーマットができるくらい、とにかく量をこなす。むりやりやらずに、いろんなプラットフォームを使って見て

"優しい世界"と"強い世界"をつなぐために

「あさみさんは、優しい世界も強い世界もどっちもいける人だよね」 と言われて、はじめて気づいた。 そうか、私はどちらもいけるバランス型なのかもしれない。 つまりそれは、2つの世界をつなぐ役割を担っているということでもある、のだと思う。 *** 昔からコミュニティの色があまりないタイプだったように思う。 そういう人種には2つのパターンがあって、どのコミュニティにも属さない一匹狼タイプと、複数のコミュニティを行き来しているが故に「これ」という色がないタイプとがいる。 私

「ウサギとカメ」の解釈から思うこと

「ゴールデンウィークは、母の実家である山形に行く」という暗黙のルールが明石家にはある。 母も姉も妹も(父は自由人なのでルール適応外)、どんなに私生活や仕事が忙しくてもゴールデンウィークの2日あるいは3日間は家族のために時間を作り、みんなで揃って祖父母に顔を見せに行く。 このルールは、私が生きている25年間、いまだかつて1度も破られたことがない。3姉妹が社会人になり実家を出て、家族の住む場所は京都・大阪・東京とバラバラになってしまったけれど、こうやって毎年必ず集まれる時間や

「才能」が無くても、「好き」は仕事にするべきなの?

「才能」という言葉を意識し始めたのは、文章の書き方を本格的に習うようになってからだった。 大学を卒業した後、手に職をつけようと思い、元々興味のあったライティングのスキルを磨くため、池袋にある天狼院書店というところで修行をしていた。僕がライティング・ゼミと呼ばれるゼミでライティングの勉強をして半年がすぎた頃、新しく「ライティング・ゼミ・プロフェッショナルコース」という、より文章のスキルを磨くためのコースが新設された。 「ライティング・ゼミ・プロフェッショナルコース」は、お金

遠足の朝に泣きたくなる気持ち。

遠足の朝。 今日は、いつもよりも30分ほど登園時間が早い。 妻は早起きしてせっせとお弁当を作り、僕は慌ただしく娘たちの着替えを手伝っていた。 昨日から遠足を楽しみにしていた長女は、パンを2、3口かじっただけで早々と朝食を放棄し、昨日もらったばかりのオモチャで遊びたいとグズっている。 「今日は遠足で早く行かなきゃいけないから、帰ってきてから遊ぼう!」と、なんとかなだめて登園するも、ギリギリの到着になってしまった。 みんながすでに準備万端だったので焦って支度を促すも、ち

センスを育むために必要なもの

『 "読む"ができる人は必ず "書く"もできる』 これは私の中で確信していることのひとつです。 そしてこの考え方の根底にあるのは、センスはインプットとアウトプットの総量によって育まれるということ。 たくさん読んできた人は、自分の中に独特のリズムと美意識を形成しているので、いきなり書かせてもリズム感のある文章を作ることができます。 そして漢字とひらがなのバランスや語尾のバリエーションなど、何も言われなくても体感で文章の美醜を判断できるもの。 だからこそ私は、ものを書く