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#まいにち日記部

「インタビュー」は自分を知るための処方箋

先週、今週とふたつのインタビュー記事が公開されました。 ひとつは私が愛してやまないFUJIFILMさんの公式サイト。 カメラの話を中心に、設定や暮らしの話をさせていただいています。 「素通りしてしまいそうな道端の花にもカメラを持ってるから気づけたりする。空がいつもより青かったり、コップに入った水が光を受けて美しかったり。そういう事に気づけると、1日の幸せ量が増えるじゃないですか。 X-T3は日々にときめきを見つけ直してくれる最良のツールで、パートナーだと思っています。」

わたしは多分地球に許されたい

フリーランスになってからの3年間、稼ぎの一部を寄付に回している。 なんとなく目についた難民支援と、大好きな保護猫の団体へ。家族や友人にその話をたまにする機会があると「すごいね」とか「良いことだね」と言ってくれる。けれどいつもそこで、首を傾げてしまう。 わたしは寄付することが当たり前だ、と目をキラキラさせて言える強い心は持っていない。だってお金を稼ぐ事の難しさも、日々、自分や半径1m以内の生活を守ることの大変さも、十二分に知っているから。誰もが毎日を精一杯を生きている中、

「毎日一歩経由、ランナーズハイ行き」

ここ数ヶ月以上「言葉を綴る」に関してめちゃくちゃに不調だった。というよりは集中できなくて。 「集中力を持って言葉を書く事」が苦しくて、1行書いてはTwitterをやったり、1行書いては音楽を聴いたり、3行書いてはハンターハンターを観たりと、気が散ってしまう(netfrixは沼だ)。 そしてタラタラ綴ったその言葉達からは、何の魂も、伝えたいメッセージも感じず。何だか自分の心の前にある薄っぺらい壁をベタベタと色や飾りで装飾して塗り固め「さあできましたよ。綺麗でしょう?」と、他人に

【令和ver】朝起きて、夜寝るまでの「最高の1日」を考える

朝。まだ薄っすらと辺りが暗い時間に目が覚めた。服をすり抜けて肌に触れる空気はひんやりと肌寒いけれど、不快ではない。部屋の時計に目をやると、6時を指している。今日は思ったよりもよく眠ってしまったな。ふわ、と大きなあくびを1つしてから、布団が少し重い事に気づき視線を落とした。茶トラとサビ色猫たちが私と同じく大きなあくびをすると、迷惑そうな目をちらりと向け、もう一度丸くなった。その様子を見届けてから、湿気を含んだ木の床に足を下ろす。隣ですーすーと寝息を立てている彼を起こしてしまわぬ

【お知らせ】オンラインコミュニティ『.colony』第5地区住人募集について

こんにちは!オンラインコミュニティ.colony運営の古性のちです。 はやいもので、コミュニティが設立されてからもうすぐ1年が経過します。 は、はやい。本当にはやい。時が流れるのがはやすぎる…。 この1年間で.colonyでは様々なイベントを開催したり、数えきれないほどのときめきをシェアしたりと、のほほんと、だけれど力強く過ごしてきました。 https://note.mu/nontsu/n/n43c00a42546f 関わってくださった住人さんも総勢で100名以上。スタ

だからって特別何にも変わらないのだけどね

30歳になりました。 数字にすると「おおっわたし大人になったものだなあ!」と驚きつつも、なんだかとても穏やかに30代がはじまりました。 誕生日を迎える時にも特にそわそわもせず、仕事の合間にくーすか居眠りしてたら日付が越えていた(笑)こんなもんです。 とかいいつつ、ちゃっかり30歳はじめの日は山梨に逆さ富士を観にいくなぞしてみました。 真夜中に山中湖まで車をかっ飛ばして、カメラを持って外に出たらマイナス8度で泣きそうになって、それでも目の前でどんどん紅色に染まっていく富士山

タイ・バンコクで「暮らす」始めます。

「ああ。この国で暮らしてみたいなあ」 と思ったのは、世界一周に飛び出して1ヶ月目。 間抜けにも、すっかり予防注射を忘れ日本を飛び出してきてしまい「どうやら必要な予防注射はバンコクで受けられるらしい」と半泣きで調べた情報を頼りに、スワンナプーム国際空港に降り立った時だった。 足がバンコクの地面を踏んだ瞬間。このぶわっと鼻を覆うアジア特有の匂いも、体をじんわり包む暖かな熱も、鼻の奥でにごるような優しい発音のタイ語も。日本とは何もかも違うはずなのに、この国は、緊張でカチカチになっ

勝手に救われているので何卒、お構いなく

「心の扉を開くわけでも閉じるわけでもなく、そっと手を添えてくれる人」みたいな存在が、わたしの人生には勝手に何人か居て。 今日は、8ヶ月ぶりくらいにそのうちの一人とご飯を食べてきた。 出会った、というより私が彼を一方的に認識したのは24歳の頃。その日何気なくつけていたテレビの向こう側で、びっくりするくらい後ろ向きな歌詞を、それはそれは透明感のある綺麗な声で奏でていたのが彼だった。 決してポジティブではないその歌詞は、当時泣きそうになっていた自分の境遇と影のようにぴたりと重な

「こんな夜があるなんて」

日々淡々と島時間をすごしていたら、滞在もいつの間にかあと5日になってしまいました。 島には仲良しな島民さんも沢山できて、道ですれ違うと 「よお。今日夕飯食べにこいや」とか 「島バナナ持っていきなさい」とか、優しくしてくれる。 お別れは寂しいけれど、またただいまって出来るのが楽しみになったなあ。 最高に青い海をいつまでもいつまでも見ていたり、 「今度は彼氏とこい」と言っていつも出してくれるおじーのソーキそばを食べたり。あとは真面目に仕事もしたり。そんな3週間を過ごしてる。

格好なんかつけなくて良いんだって。誰も見てやしないから。

と、雑なことを思い始めてから文章を書くのが楽しくなりました。 前は本当に全然書けなくて。言葉を紡ぐのに1週間かかるのもザラでした。もちろん、たくさん考えて考えて考えて紡いだ文章は美しいけれど。 たった1度の幻のホームランを狙うより、とにかく小さな当たりをたくさん狙いたい。そんな気持ちな今です。 結局、全然テンポよく書けなかったときの原因って、必要以上に格好つけようとしていたからなんですよね。 そんな顔の見えない誰かを気にして格好なんかつけなくって良いの。誰も気にしてるほ

習慣になってしまった事を辞めるには断固たる意思がないと

自分史の更新をはじめたので、こうしてまいにちの日記を綴るのをやめようと思っていたのだけれど。習慣化って怖いもので、タバコやコーヒーと一緒で、ないととっても気持ち悪い。心地悪い。と感じるようになってしまいました。ということでこの「まいにち日記を書く」も知らないうちに中毒性を持ってわたしの生活に溶けこんでしまっていたらしく、こうして今日もカタカタをやってます。続けられるところまで書こうか。 今日は勝手にオフと決めつけて(やることはいっぱいあるのにね。ごめんね。)1日のんびりして

力ではなく愛を。 地雷ではなく花を。

オールドレンズでとらえた、沖縄をゆるりお散歩中に出会った花が本日のアイキャッチ。玉ボケが美しい。やっぱり写真が好きです。 ここ数日、恥ずかしながらちょっとウダウダと悩んでいました。 ちなみに今はもう元気です。2日間くらいひたすらに低空飛行していたけど、今は上昇気流を捕まえたので、あとはのぼるだけ。 あの珈琲屋さんに行こうとか、この音楽聴いてみようとか、余裕も出てきました。しばらくは大丈夫。 「自分の働き方や生き方を人に話すのであれば、胸をはりなさい。でなければ誰もついて

小細工じゃなくて、震える心に会いたくて

うだるような暑さから逃れるように、偶然右手にしていたゴムできゅっと髪を縛ってみる。東京からつけてきていたはずなのに、カラフルなブレスレット達に埋もれて、その存在に今日まで気がつかなかった。 「そこに確かにあるのに、存在していないと思い込んでいる状態」に、名前をつけるとしたらなんだろう。そしてそのものは、果たして本当にそこに存在していると胸を張って言えるのだろうか? そんな小難しいことを考えるわたしの首元を、すっと風が通りすぎていく。いつの間にか髪が伸びたなあなんて、さっきま