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転勤族は可哀想。それって本当?

住む場所を自分で選べないのは人権侵害だ、と言われることもある転勤族。

でも本当にそうなのだろうか。
転勤族の人たちは、会社の命令を我慢して聞いている「可哀想な人たち」なのだろうか。

決してそんなことはないよね、という話をさせてほしい。


私の夫もいわゆる転勤族だ。2〜3年ごとに必ず異動がある。

ここ3年半は彼の地元でもある高知に住んでいたのだが、今月末からは香川に住むことになった。


3年半前、私は初めて高知に足を踏み入れた。知り合いなんかいるわけもない。どうなるんだろうと不安でいっぱいだったあの頃。
でも今は、不安だったことも忘れていたくらい、高知に住めて本当によかったと思っている。

高知の人たちは、腹をくくって自分の人生を楽しんでいる人が多い。思っていることを正直にまっすぐ伝えてくれる気持ちよさとパッと明るい笑顔は、自分を隠すことが多い私をなんども救い上げてくれた。

日曜市の農家のおばちゃんは、200円の野菜を買っただけでおまけをくれるし、大好きなカフェのオーナーさんからは机をいただいたり、コンプレックスだった髪質を愛でて育ててくれる美容師さんに出会えたり。
ちょっとしたことから関係がつながっていくことが、私にとっては新鮮で嬉しかった。


冒頭にも書いたように、転勤にはネガティブなイメージがつきまとう。正直に言うと、私自身が「今どき、住む場所まで会社の命令で決まるってどうなのよ」と思っていた。

でも転勤とは、自分の意思では選ばなかったかもしれない場所に住めるチャンスなのだ。
人と接することが怖いと閉じこもっていた私を外に出してくれたのは、転勤という理由で住んだ高知だった。

年単位で根をおろすことではじめて出会える人と場所がある。視野が広がる。
「おかえり」「よお来たねえ」と迎え入れてくれる場所がいくつもあるのは、幸せのひとつの形ではないだろうか。


そんな高知と離れる日が近づいてきている。
どんな生活もいつかは終わる。そのことを、よりはっきりと実感させてくれるのも、転勤があるからこそ。

「この道を通ることはもうないかもしれない」
「この部屋からの景色はもう」
「この部屋でのごはんはもう」

そんな思いが、なんてことない景色をセンチメンタルで美しいものにしてくれる。最後に、じっくりと今を味わうことができる。

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さて、今月末からは香川だ。
これまでひっそりと過ごしてきた分、都会具合と車の運転が心配だけれど、本州と瀬戸内の島に行きやすくなる楽しみがある。

高松を離れるころには、きっと「住めてよかった」と言っている気がする。今、高知に対して思っているのと同じように。


新たな場所での生活も、ゆっくり楽しくつくっていけたらいいよね。

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