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石とはなんだろう?_vol.2

18世紀では、生命と物質の概念の区分けは現代人と異なっていて、鉱物も自然界の一連の生命の階梯の一番下に位置づけられていた。たとえば、18世紀の博物学における分類体系においては大抵、「動物界」「植物界」「鉱物界」が並置されていたのである。分類学の父とされるリンネの著書『自然の体系』(1735年)はその典型で、冒頭で次のように定義してみせた。
「自然物は鉱物界、植物界、動物界の三界に区分される。鉱物は成長する。植物は成長し、生きる。動物は成長し、生き、感覚を持つ。」
(wikipediaより)

なんと!鉱物は成長する、とある。「さざれ石の巌となりて」だ!

人が自然と直接に関係して暮らしていた時代は、自然を畏怖するだけでなく、その姿やしくみなどにも関心が払われていたのだろうし、人が生存していくには自然についての知識の蓄積が必要だったから、自然を構成物に分解して、それに名称を与えることで知識を共有したのだろう。

私たちは自然を英語の「nature」の意味で用いることが多い。調べてみると、「nature」の語源はラテン語の「natura」で、これは「生まれる」という意味の「nascor」から派生した語で、もとは「出生」を意味したらしい。
日本で「自然」が「nature」の意味で使われたのは、明治の終わり頃。江戸時代までの「自然」は、「おのずと」とか「万一」という副詞として使われていたそうだ。周囲の自然を「おのずからそこにあるもの」として、特に意識しなかったという、かつての日本人の自然観がうかがえる。

「草や木は生き物で通っているが、石になると頑石ということになって、人間から離れたものと考えられる。ここに二元的非人情さ、みにくさがみられる。(中略)…  仏教の根本義は、自分とその環境とを一つのものに見るのである。草や木は言うまでもなく、石や土までも生きものになるのである。」
(鈴木大拙 著「東洋的な見方」より)


枯山水の石庭をみると、日本人が「石」にも心がある、生きものとして感じとっていたことを実感できる。

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「石は、石として在り続ける」、
これが「おのず」からの姿ということであり、「おのず」からの姿のまま生きているものを『自然』と表現した。人は、私とか、自分という主体をもっているために、だんだん「おのず」からだけでは生きていけなくなってしまった。権力を持ちたいとか、お金持ちになりたいというような欲望によって、人間中心主義的な立ち居振る舞い、「おのず」からではない行為が横行する。

日本では明治時代以降、近代的な科学技術によって、自然を、川や水を敵として、殖産興業・富国強兵をめざして「闘い」続け、自然に対する思いやりをなくし、川や海を汚しても何ら痛みを覚えない体質をつくってしまった。第2次世界大戦後は、自然を徹底的に利用対象の資源と見なし、都市・工場地帯・農地を効率的に開発するために、巨大なダムや河川・海岸堤防、交通網、原子力発電所などをつくり続けた。そして、2011 年3月 11 日、東日本大震災が発生。地震と津波で都市施設・防災施設が破壊され、多くの人命を失った。さらに、福島原発事故で、還るべき土地を広範囲に失ってしまった。

本当の豊かさとは、自然と繋がり、生物の多様性が保たれ、そこに人間の生活が担保されることなのではないだろうか。私たちは、私たちの祖先が自然と一体となって暮らしていたことを忘れてはならない。

現在、人類の目の前には、新型コロナウイルスによるパンデミック、地球温暖化問題などが突きつけられている。「石が石として在り続ける」ように、「人が人として在り続ける」ことはできるのだろうか。

このことを考えていたら、人類学者の奥野克己さんの著書『モノも石も死者も生きている世界の民から人類学者が教わったこと』を思い出した。この本に、「人間であることの最果て」というタイトルの章があり、印象深いことが書かれていて、ドキドキした。

アニミズムとは、人間が、人間であることの最終地点に立つことに深く関わっている。それは、モノに向かう人間の精神の問題として現れうる。人間が、人間以外のモノや何者かになりきってしまう直前で、再び人間のほうに還ってくることを含んでいるのだと言い換えてもいい。その意味で、アニミズムは、人間による人間のためのギリギリの、人間中心主義の最後の砦であろう。(奥野克己 著「モノも石も死者も生きている世界の民から人類学者が教わったこと」より)

次章では、カナダの先住民族の首長のべレンズが「『石』の中には生きているものがある」と語ったことを例に出しながら、「他者を真剣に受け取る」ことについて説いたティム・インゴルドのアミニズムについて取り上げている。

そういえば、インゴルドの『ライフ・オブ・ラインズ ー線の生態人類学』にも「人間になること」という章があったな。

​奥野さんは、人間が地球上で自然を人間から切り離し、相互交流を停止し、人間が人間だけに閉じた世界を肥大させていると指摘している。公共的空間と私的な純粋経験の領域の「あいだ」にこそ、アニミズムが生まれる力の場があり、アニミズムは現代の諸問題を、その根源的な地点にまで遡って考え、問い直すための秘密の道具だ、と言っている。

「境界」ということをテーマにENIGMAという作品を再構築していくための考察や実験を行っていたときに、この本を読み、すごく刺激を受けた。ダンサーは、動かぬもの、見えないもの、あらゆるものを身体で表現する。
ふと、踊ることは、こちら側からあちら側へと「あいだ」を往還をしていることなのかもしれないと思った。

「石」が語ることは、またもや深かった・・・。
自然の恵みは、私たちの想像以上に豊かなのだ。

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