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【ことば】言葉は生きていて変化する  「永遠と」「号泣」「そうゆう」「なので」

今回は言葉についてです。誤用であるものが正用になるかもしれない変化の途上にある言葉があります。誤用や誤表記も、一般に広まって使われるようになると正解になります。

そんな言葉や表現をいくつか拾ってみました。

こんな言葉の使い方は間違っている!と言いたいわけではなく、言葉はどんどん変化していくもので、いつの時代にも上の世代は違和感を持ったりするのが常なのだろうと思います。

⚫︎「延々と」→「永遠と」

最近あちこちで耳にして気になっている「永遠と…する」という表現。

本来なら「延々と」になるはずのところに使われています。 

先日はテレビの若いコメンテーターの人が「永遠と続く」と言っていました。

延々と…「いつまでも長く続く様」

ずっと終わりなく続く感じと「永遠」のイメージが重なっているための誤用なのでしょう。

調べてみたら、やはりこの誤用はよくあるようで、パソコンでの変換ミスもあるそうです。

音が似ていて意味も連想がきくこと、また変換ミスが度重なるうちに、誤用が一般的になって来ているのでしょうか。

このまま正用になるかもしれませんね。

言葉は生き物でどんどん変化するので、それはそれで良いのだと思いながら、気になる昭和世代です。

⚫︎「号泣」

もうひとつ、こちらはもう正用になっていると思われる「号泣」。

私の世代では多くの人が、「大声を上げて泣くこと」と認識していると思います。

オイオイと大きな声を上げて泣く、泣き叫ぶ…という感じです。

「号」自体が「大きな声で泣く、叫ぶ」の意を表していて、「怒号」もそうです。

いつからか、涙声や涙で言葉に詰まったりするだけで「号泣」という表現が使われるようになりました。

これは、週刊誌やテレビの芸能ニュースなどで、「◯◯(芸能人名)、号泣❗️❗️」のように、人目を引く見出しにするのに使われていて、それが一般的になったのではないかな?と思っています。

「映画館で号泣した」というのは、本来の意味だとかなり迷惑な話になりますが、実際は涙が出た、涙が止まらなかった…くらいの意味ですね。

「号泣」には大分慣れました。

そのうち「永遠と」も気にならなくなるでしょうか。

⚫︎「そういう」→「そうゆう」

表記の仕方では、「…という」が「…とゆう」、「そういう」が「そうゆう」になっていて、これはある年代から下の人たちの間ではかなり一般的になってきていると思います。

カジュアルには「そーゆーこと」なんて書いたりしますね。

若い人が使っているのはあまり気にならないけれど、ある年代以上の人が使っているとちょっと違和感あります。(偏見かな〜🤔)

⚫︎「なので」

7、8年前に、高校入試の作文の指導で、「なので」を接続詞として認めるかどうかが、当時勤めていた塾の講師間で議論になりました。

「ですから」や「このような訳で」などの替わりに文頭に「なので、…」を置く用法です。

口語では問題ないけれど、作文では使わない方が良いという意見が多かったです。

調べてみると、書き言葉としては不適切とされています。

私自身は、ブログなどでは使いますが、知らない人への正式なメールなどでは使いません。

大人は履歴書や、就活のエントリーシートなどでは、使わない方が良いようです。

気になる方はこちらで詳しく解説されています。

「言葉なんて伝わればよい」と気にしない人はそれで良いし、言葉から伝わってくる人となりというのもあると思います。

そういう私も、 noteをアップロードした後に言葉の間違いや表記の誤りをよく見つけます。

言葉をTPOでうまく使い分けられたらスマートですね。


さて、なんやかんやで、6月も残り少なくなりました。梅雨のジメジメとその後に来る蒸し暑さに負けないように、美味しいものを食べたり、ゆっくりとして、良い週末をお過ごしください。😊


今ごろ咲く早咲きのコスモスってあるんですね。コスモス好きです。💕

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