めり込んだのち舞い上がる

日常にべったりと、現実にめり込むように暮らすことをしていると、そこを俯瞰する自分自身が生まれていく。

苦しいときや怖いとき、必ず見守る星がある。
高いところにあって光っているから星に見えたけど、それはいつかの私なのだったと感じた。

いつか。それは未来のようにみえるし、過去のようにも見える。

いつかの私が、今の私のこの経験を既に知っている私が、瞬いている。

瞬きを言葉にすれば、「大丈夫」「もうすぐ」「行こう」「今はまだ」などと囁いている。

その星の上には無数の星。
わたしの宇宙の階層構造を見ている。
下を見れば同じく無数の星。その星は泣いているように見える。

だから、わたしはそれら泣いているように見える星たちへ「大丈夫」と伝える。

縦軸のわたし。
そして横軸のわたし。
奥行きのわたし。
XとYとZ。

どんなに精度をあげたとしても、わたしの宇宙での見通しであるのだから。
それぞれの宇宙の見通しを持ち寄ることが出来たら、楽しいだろう。

わたしは暮らしが大切で、とても大切に思っています。
それは、今しか出来ないことだからであるし、過去と未来の私を助けるための接点だからでもあるし、多次元の私との対話をする際のネタだからでもあるし。
他にもいろいろと。

めり込むように、埋没するように、生きてきた人の重厚な波動は、
その反対の波動へその人を連れていく。

光だけでは飛べない。
波動が高いだけでは終焉が組み込まれたトーラス。

闇と光をあいしている。
わたしは、可視と不可視を愛しています😊


ミオウ

「感謝と応援の循環金」をありがとうございます。大切にお預かりして、次の世代、次の世界へつながるように渡していきます。