YOKO EJIRI

京都と岡山の二拠点生活 [居所]岡山→神戸→高松→東京→台湾→岡山→京都+岡山 [仕事…

YOKO EJIRI

京都と岡山の二拠点生活 [居所]岡山→神戸→高松→東京→台湾→岡山→京都+岡山 [仕事]事業開発/改善のプロフェッショナル・経営コンサルタント・プロジェクトマネージャー [趣味]田舎暮らしと旅と写真と本とカフェ

最近の記事

春分を迎えて

私のnoteの使い方が節目や大きな出来事があったとき、日々の出来事で感じたこと、思ったこと、考えたこと、を書いていくのが自分には合っているのだなぁと感じたので、そんなペースで書いていこうかなと思ってます。 書くペースは色々模索中。 立春は昼と夜の時間が同じとなり、これから太陽が現れている時間の方が長くなるタイミング。本格的に春を迎え夏に向かっていく日であるのと同時に、ご先祖様にもご挨拶するためお墓参りをするようにしています。 なかなか地元に帰れなかった時、制限があって日本に

    • 善き日に改めて宣言を

      2024年3月15日 天赦日・一粒万倍日・寅の日が重なるとても善き日ということで。 新たためて自分自身に宣言をしておこうと書くことにしました。 あっという間に前書いてからそれなりの日数が…。 とはいえ、思ったことを書いておくこともとても大切だと思っているので自分自身の記録の一つとしても残しておこうと思います。 前回、新しいチャレンジをということで英語でMBAを学ぶための申し込みをしたことを書きました。 それから。 今まで心の中で思いつつ、あまり公に宣言していなかったこと

      • また一つ新しいチャレンジを

        気がつけばもう1週間以上なのですが・苦笑。 2024年2月24日満月&一粒万倍日。 ということで、一つ新しいチャレンジを決断し、申し込みをしました。 それは、英語でMBAを学ぶということ。 基本的にはオンラインですが、アメリカのUMass Lowellへの申請手続きを開始。 入学許可が降りるかどうかはまだわかりませんが、改めて大学で、英語で学ぶというのは、あまり英語が得意ではない私にとって一つの大きなチャレンジです。 実は、大学の1−2回生の時にはバイトに明け暮れあまり

        • 久高島で2024年の立春を迎えて

          気がつけば。 2024年2月の半ばに… このnoteの位置付けをどうしようかと考えながら、迷っている間に放置してしまいあっという間に1年間。 ちょっと反省しまして月に1回とか2回の更新になるかもしれませんが、セルフマネジメントやマネジメント、仕事に関して感じていること、人の在り方、生き方等について書いていこうかと思います。どうも何かを感じて伝えたいと思った時にしか文章にできない性分なのだなと改めて思ったので。 アメブロもゆるゆると書いているのですが、そちらで書いていた過去の記

        春分を迎えて

          「立春」 改めて始まりの日に

          2023年2月4日 立春 寒さのピークをやっと越えたか、もうすぐ超えるか、という時期の「立春」は、新たに自然の芽吹きが見え始める時期としても、現在、山と田畑に囲まれ自然と向かい合って過ごしている私に取っては「立春」が1年の始まりと言われることはなんとなく体感で納得がいくようでもあり、他にも様々語られる1年の始まりの日って実はたくさんあ理、それはそれで納得できるものが多いなぁと思っています。 1年の始まりと言われる日(個人的に見聞きする範囲で) 1月1日 元旦 新年の始ま

          「立春」 改めて始まりの日に

          季節の移り変わりと新月詣で

           今年に入って始めたことがいくつかある。その中の一つが、お朔詣りならぬ新月詣で。私の友人たちは信心深いのか、それとも何かしらの大きな力を信用しているのか、毎月1日に、もしくは15日にも神社参拝を行う人が多い。  私は日本にいた時に毎月1日のお朔参りはしていなかったのだけれども、割と家の近所や相性の良い神社にはお参りをする方だったし、ふとしたご縁から毎年お伊勢さんにもお参りをしている。コロナで日本に帰れなくてお伊勢さんに行けていないのもかなり残念。あと出雲大社もまた訪れたい。

          季節の移り変わりと新月詣で

          だいぶだいぶ遠い日の記憶

          誰だかのFacebookで書かれている文章をみて、ふと思い出したことがある。 今では遠く遠くなった日々は、私にとってとてもとても苦しいもので。 外側から見ていたら全くそんな風には見えなかったのだろうけれども、なんとも言えない感覚で生きていた。 深い海の底に錘をつけて沈められ、遠い上の方にはなみのゆらめきによる光が時折見えるけれども、手を伸ばせど伸ばせど遠すぎて届かない。もがいてももがいても錘は外れず海面には遠く届かない。 そんな感覚で日々を過ごしていたことがあります。

          だいぶだいぶ遠い日の記憶

          10年後の今と私の3.11

           気が付けばもう10年。  当時、私は東京で仕事をしていた最中に地震にあいました。確か19階のオフィスにいたはず。揺れた瞬間に私の頭をよぎったのは 「この揺れなら電車は止まるだろうし一時的に停電するかもしれないけれども、水道もガスも大丈夫なはず。暗くなる前に歩いて帰れたら生活は何とかなる」  ということでした。ほんの一瞬で、そう思いました。自分は大丈夫。阪神大震災を震源地のすぐ側で経験していたからか、だいたい今の震度がどれぐらいで、その揺れならどの程度の被害になるか

          10年後の今と私の3.11

          マイブーム*マイブーム

           定期的に自分の好きなものが入れ替わっていくというか、私にはマイブームが入れ替わり立ち替わり現れます。不思議なことに。でも、基本全部好きなんですよねー。と、気づいたのが今日(笑)。  気づいたきっかけは、土曜日に久しぶりの大先輩と初めましての方と不思議な繋がりでオンラインお茶会をしたこと。もともとお茶好きなんですよ。でもちょっと前まで珈琲が多くて。で、今ダイエット&体質改善のために珈琲控えてお茶にしてるんですけども、それもNonカフェインのものが中心で。そこにお茶会しよ

          マイブーム*マイブーム

          ヒトリゴト

           朝からちょっと長めの健康診断を受けて。  夕方から肌質改善のためにお出かけして。  そして、  ふとFacebookを開いて目に飛び込んできたお知らせ。  つい一つ前の記事で書いたことがフラッシュバックした。  当時は怖かったり出来るだけ直接話さないようにしてたり。  厳しくても愛情がある人だとも知っていたけれども。  2年ほど前に出張で台湾に来るということで、  久しぶりに。  本当に久しぶりにお会いし、初めて二人でご飯を食べた。  ホテルまでお迎えに

          ヒトリゴト

          あと何回会えるんだろう?

           ふと、思ったことがある。  今、日本に帰れなくて日本の家族、申請、友人たちと会えていない。日本にいた時でも両親と会っていたのは年に1回、多くて2回。だから、絶対に年に1回は実家に帰って両親と過ごす時間をつくろうと決めていた。  両親の齢70と少し。長寿の家系ではあるけれども、100歳まで生きたとしても年に1回ならば、あと30回も無い。毎年2回だとしても50回と少し。そして、元気なうちに、ぼけてない間に、両親とも健在な間に、と考えると、さぁ、いったい残り何回なのだろうか。

          あと何回会えるんだろう?

          空*ことのは:昔の自分からのメッセージ

          ----------------------- 自分でした失敗だけが 自分の実力になる -----------------------  台湾の春節のお休みは日本に帰国したかったのだけれども、状況を踏まえて、自分の立場も踏まえて、今回は帰国せずに初めて台湾内で年越しと春節のお休みを過ごしている。  そんな中で、帰国していたら本当は一緒にランチをしていただろう時間に、久しぶりの友人たちとzoomでお喋りをしていた。本当に便利な世の中になったもので、こうやって場所と時間

          空*ことのは:昔の自分からのメッセージ

          空*コトノハ:目に映る世界

          何もない真っ蒼な空 地面のように広がる白い雲 この雲の下には何が広がっているんだろう この雲の上にはどんな世界がつくられていくんだろう まるで別の世界のように見えるけど でも本当は同じ地球 ちょっといる場所が違うだけで 見えてくる景色は違う 見えてる景色は違う だから。 見えている世界を変えてみたくて 新しい世界を見てみたくて 空を、旅したくなる -------------------  遠くへのフライトの時にしか見ることができない、宇宙に近づ

          空*コトノハ:目に映る世界

          コロナ禍で失ったものと得たもの

           *もう一つのnoteで昨年の9月に書いていた記事を改めて編集しました    Facebookで一年前の記事がふと目に止まった。1年前はちょうど春節のおやすみが始まるタイミングで、朝から空港に向かっていた。行き先は、マレーシア(クアラルンプール・ペナン)とインドネシア(ジャカルタ)。どちらも友人と恩師に会いに行くための旅で、ついでに海外旅行とバカンスも楽しもう、そんな感じでワクワクとしていたのを覚えている。  そして、その旅から帰ってきてからは一気にコロナウイルスへの警

          コロナ禍で失ったものと得たもの

          空*コトノハ: 涙・優しさ・強さ

          泣いた涙の分だけ人は強くなれる 傷ついた回数だけ人はやさしくなれる 強い人は優しく、優しい人は強い 泣いた涙の数と傷ついた回数と同じぐらい その心の痛みを知っているから その心の叫びを知っているから ---------  何年前だろう?  もう20年以上前に書いた言葉。当時を思い出すと色々あった。本当に色々あった。泣いても泣いても涙が止まらなくて、気が付いたら1.5か月で体重が7kg減るぐらいには食べることが出来なくて、そんな最中(さなか)に書いた言葉だ。その

          空*コトノハ: 涙・優しさ・強さ

          阪神大震災から26年過ぎて思い出したこと、そして今思うこと。

           1995年1月17日5時46分52秒。  それから、もう26年になります。  当時、大学生で神戸市の舞子駅を最寄駅にマンションの4階で一人暮らしをしていました。  朝、まだ寝ていた時に、「ドーン!」という大きな音と自分の体が上から下に落ちるような揺れで目が覚めて、10トンのダンプカーでもマンションに突っ込んできたんじゃないかと思った瞬間、激しい揺れに襲われ、必死に自分が傷つかないように掛け布団を頭まで被って、パイプベットから振り落とされないように必死に掛け布団とパイプ

          阪神大震災から26年過ぎて思い出したこと、そして今思うこと。