『街の不安』

※ 2~3分で読めるショート・ストーリーです。

 この日の朝、男はいつもより遅い時間に家を出た。会社の始業時間はとっくに過ぎていた。だが、男は会社に連絡しない。そもそもする必要などなかった。会社は何も知らされていないが、男が街の任務で画家のもとへ行かなればならないことは知っている。また、道行く人々も、そのことを知っている。だからと言って、すれ違う人達は、男に頷いたり、意味ありげな視線を送ったりなどしない。そんなことをする者がいれば、男は明日もまた会社を遅刻しなければならない。そもそも、顔のない街の人々は、この種のことに表情が現われない。


 朝食を食べていない男は、チェーンのファーストフード店にはいった。朝食のセットを注文し窓際の席に座った。


 男は新聞を眺める。バーガーを口に運ぶ。その度に、包み紙がバリバリと音をたてる。記事を目で追いながら、心の中で、分かりもしない政治や経済の不平を呟き、有名人のゴシップに批評をくだす。そして、口のなかに残った食べ滓を、コーヒーを味噌汁のようにすすって流しこむ。

 男はくちゃくちゃと音をたてながら食べる癖があった。二、三の人が目の端で男を見たが、すぐに自分の中に戻っていく。見ないですむことなら見なければいい、聞きたくないことは一時だけ自分を消せばいい。午前中の店内は人影もまばらだが、他人に心を歪められ、自分もまた他人の心を歪めることで街に順応し、街の秩序の安定に貢献している人間ばかりが座っている。


「あなたのせいよ」
 耳元で怒鳴られた男は新聞から顔を上げた。いつの間にか、中年の女が男の横に立っていた。
 中年の女は男を睨んでいたが、男の顔を見ると「あなたのはずがないわね」と言って次の人間に向かった。
「あなたのせいよ」
 中年の女は店内にいる人間に順番に怒鳴って回り、相手の顔を見るたびに「あなたじゃないわね」と言った。
新聞に目をもどした男は、中年の女の怒鳴り声を耳にしながら「当たり前だ」と心の中で呟いた。


 男は食事を終えた。中年の女は、もう店内にはいない。男は店を出た。
「あなたのせいよ、あなたに決まってるじゃない」
 横断歩道で、中年の女が青年の胸ぐらを掴んで何度も揺すぶりながら怒鳴っている。青年は「あなたのことなんか知りませんよ」と言って中年の女を振り払おうとしている。

 そのやり取りを目にした男は「そんなことは関係ないんだよ」と小さく呟いた。


 青年は「とにかく、あなたのことなんて知りませんから」と言って中年の女を振り払って先に行こうとした。
「待ちなさい。逃げられるわけないでしょ」
中年の女はバッグからナイフを取り出し、青年の背中を刺した。
青年は横断歩道の真ん中で倒れた。血液が、背中から脇腹を通って道に流れる。青年は動かない。
「あなたのせいよ、あなたが悪いのよ」
 中年の女は信号を渡った。男は、こういう方法も行われていることを初めて知った。
 信号が点滅する。人々は青年を避けて小走りで道を渡っていく。男も急ぎ足で道を渡る。男が渡り終えると、信号はちょうど赤になった。

このショート・ストーリーは、先日アップした短編小説『灯台が見える』と連作で書いたものです。『灯台が見える砂浜』の冒頭で、画家が交通事故で死亡したという新聞の記事があるのですが、画家が実際にはどうようにして死んだのかをこのショート・ストーリーで書きました。興味を持って頂けたら、『灯台が見える砂浜』も読んでもらえると嬉しいです。
https://note.mu/yokogamiyaburi/n/nf0d9b9a3f11e

それから、アイキャッチの画像ですが、kemara <みき・けいこ>さんからお借りしました。お話したことないんですが、ぴったりの画像だったので使わせもらいます。
https://note.mu/yururelam



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いつか、石碑で自作を出版したいのでご支援お願いします。

ありがとうございます。石盤での出版にまた一歩近づきました。
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横紙やぶり

子どもの頃、「末は博士か大臣か」と何度か言われましたが、今は至極フツーに暮らしながら小説を書いています。

短編・ショートショートまとめ

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