天気の子のパンフレットとCUT

天気の子は君の名は。と逆に振り切った

エロ要素の危険性、災害と代償、社会の暴力と貧困、マイノリティ、リアリティ。『天気の子』は、この点で『君の名は。』と違う。この文章は約5800字で全文が無料だ。監督とRADWIMPSへのインタビュー記事と、私、街河ヒカリが『天気の子』を観て考えたことを基に書いた。これ以降は『天気の子』と『君の名は。』のネタバレがあるので、まだ観ていない方は読まないでほしい。

なお、この文章は2019年7月19日(映画公開初日)に公開したが、20日に加筆修正した。

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これ以降、ネタバレがあります。

ここからネタバレ

違い1 東京で起きた取り返しのつかない災害

『君の名は。』では田舎の糸守町が彗星の落下で水没した。主人公の立花 瀧(たちばな たき)と宮水 三葉(みやみず みつは)の二人が入れ替わる前の世界では、糸守町の人々は亡くなってしまったが、二人の入れ替わりの結果、糸守町の人々の命は救われ、歴史と記憶が更新された。糸守町に住んでいた主要な登場人物は東京に移住した。

しかし『天気の子』の終盤で東京の一部は3年間の大雨で水没した。電車の代わりに船が交通手段となっていた。私(街河ヒカリ)は、終盤の展開には驚いた。『天気の子』において主人公の森嶋 帆高(もりしま ほだか)と天野 陽菜(あまの ひな)は、世界を救うことができなかった。

だから『天気の子』は『君の名は。』と違う。

帆高は一度田舎に戻ったが、高校卒業後は再び東京へ引っ越した。進学先は東京農工大学だろうか?間違っていたら申し訳ない。

新海誠監督は、『君の名は。』を大ヒットさせたが、一方で批判もされた。「ポピュリズム」「歴史修正主義」「東京中心」と批判されたからこそ、次は「ヤケクソになって、もっと叱られるようなものを作りたい」と思ったらしい(雑誌『CUT』を参照した)。

雑誌『CUT』には新海誠監督とRADWIMPSの対談インタビューもあった。

新海「そうですね。『君の名は。』では、けっこう叱られたというか……批判もたくさんあったんです。死者を生き返らせたりして歴史を修正している、代償なく大事なものを取り戻している映画だ、という感じで怒られたり、あるいは、あの話の中では東京は無事だったから、東京中心主義みたいなことも言われたり」
野田「じゃあ今回は、それに対するアンチテーゼが込められていますね」
新海「そうなんです。でも、ああやって人を怒らせたものこそが、僕の核なんだろうなとも思ったので、次はもっとそういう人たちが怒る映画を作りたいと思ったんです(笑)」
野田「(笑)それがいいと思いますよ。
出典:雑誌『CUT』2019年8月号p.21

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上:雑誌『CUT』

違い2 代償

『君の名は。』において糸守町の人々は命を救われた。

前述の記事では『君の名は。』に対して「代償なく大事なものを取り戻している映画だ」と批判があったと書いてある。人々の記憶が消えたので、代償があるといえばある。しかし、代償がないといえばない。

『天気の子』では、明確に代償がある。陽菜は人柱だった。陽菜が天気を晴れにすると、陽菜の体が「透明」になっていく。陽菜が力を使い続けると、陽菜の体が消えてしまった。帆高は陽菜に力を使わせたことと、陽菜を犠牲にしたことを深く後悔する。

だから『天気の子』は『君の名は。』と違う。

ところで「透明」というセリフがあったが、私は透明というよりは虹色に見えた。


違い3 社会の暴力とマイノリティ

先に結論を述べると、『君の名は。』はパンケーキに喜ぶ話、『天気の子』はジャンクフードに喜ぶ話だ。『天気の子』の主人公たちは貧しい。これは新海誠監督自身が語ったことだ。

これ以降は、すべて新海誠監督の発言である。天気の子パンフレットと、雑誌『CUT』から引用する。

 今回の作品の柱としていちばん根本にあったものは、この世界自体が狂ってきたという気分そのものでした。世界情勢においても、環境問題においても、世の中の変化が加速していて、体感としてはどうもおかしな方向に変わっていっている。
出典:天気の子パンフレット p.13
僕たち大人はこういった世界の在りようについてそれぞれなんらかの責任を負っている。でも一方で若い人たちにとっては、今の世界は選択の余地すらなかったものです。生まれたときから世界はこの形であり、選択のしようもなくここで生きていくしかない。
 そこから思いついたのが、主人公である少年が「天気なんて、狂ったままでいいんだ!」と叫ぶ話だったんです。そのセリフが、企画書の最初の核になりました。やりたかったのは、少年が自分自身で狂った世界を選び取る話。
出典:天気の子パンフレット p.13
帆高と真に対立する価値観があるんだとしたら、それは社会の常識や最大多数の幸福なんじゃないか。結局この物語は、帆高と社会全体が対立する話なのではないか。
出典:天気の子パンフレット p.14
調和で終わる物語や、教訓めいた着地をする物語からなるべく離れた作品をを作りたい
(中略)
社会からどうしても逸脱していってしまうような人を描いたアニメーションこそ観たいと思っている人が今はたくさんいるんじゃないか
出典:雑誌『CUT』2019年8月号p.13
ある意味マイノリティの話でもあると思うんです。
(中略)
思い切りマイノリティのふたりを描くことに意味があると思ってやりました。
出典:雑誌『CUT』2019年8月号p.15

上:雑誌『CUT』のウェブページ

 帆高と陽菜も貧しいというのは、実は『君の名は。』と大きく違う要素かもしれませんね。社会自体があの頃とは違っていて、日本は明確に貧しくなってきている。特に若い子にはお金が回らなくなっていて、それが当たり前になってきています。ひとつ覚えているのが、『君の名は。』でヒロインの三葉が暮らし家を考えている時に、湿っぽい日本家屋じゃなくて憧れるような家にしたほうがいいんじゃないかという意見が出たんです。実際劇中でも、モダンな旅館みたいな立派な家の造りにしました。当時はそれでOKだった気がするんですが、『天気の子』を作り始めたときにはもう時代は違っていたんです。『君の名は。』はパンケーキに喜ぶ話でもありましたが、『天気の子』はジャンクフードに喜ぶ話なんですよね。
出典:天気の子パンフレット p.15-16

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上:天気の子パンフレット

まず私(街河ヒカリ)は映画の序盤で帆高が家出をし、身分証明書なしにバイトを探し、風俗店で働こうとして怒られ、そして銃を拾ったとき、確信した。この映画は、『君の名は。』と違う、と。

生きるためには食べなくてはいけない。食べるためには金(かね)が必要だ。子どもは子どもだけでは生きていけない。子どもがラブホテルに泊まろうとしても店員から拒否される。身分証明書がなければ怪しまれる。悪い大人に立ち向かえば殴られる。給料を十分に支払わなければ罰則がある。法律を破れば街の中の監視カメラの映像で捜査され、居場所を特定される。線路の上を走れば通行人から注目される。

就職活動をしている夏美はすべての会社で「御社が第一志望です」と嘘をついた。帆高たちは警察から逃げるために嘘をついた。凪は警察から逃げるために元カノの手を借りて変装した。

警察から逃げようとしても、逃げられない。

社会には「暴力」がある。物理的に殴る蹴る撃つという暴力だけではない。現実世界には「大人」の事情がある。

別の視点から捉えると、『天気の子』の主人公たちは、マイノリティ(少数派)であり、弱者なのだ。『天気の子』では、少数派や弱者の人々の苦しみが描かれている。警察は多数派や強者として描かれる。主人公たちは正義の味方ではない。社会から逸脱している。主人公たちのあぶなっかしさ、危うさ、人生終了の崖っぷち感が描かれる。

この点が『君の名は。』と違う。『天気の子』は『君の名は。』より現実的だ。リアリティがある。そう思わない方がいらっしゃったら、コメントをください。

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上:映画.com『天気の子』のページから。
URL:https://eiga.com/movie/90444/


違い4 リアリティとカタワレ系

「違い3」において私は、『天気の子』は『君の名は。』よりも現実的でリアリティがあるということを、社会情勢と暴力性の観点から導出した。これ以降は別の観点から、やはり『天気の子』のほうがリアリティがあるということを導出してみよう。

フィクションなのだから超能力を使ってもいいし、彗星が街に落下してもいい。それでも、現実世界との整合性がないと、視聴者や読者は納得できない。

『君の名は。』では、話がうまくできすぎている点や、不自然な点が多数あった。それを指摘した文章の代表例として、akiko_saito さん(齋藤あきこさん)の「映画『君の名は。』に感動する方法」がある。これは『君の名は。』が大ヒットしていた2016年にnoteで公開された文章であり、当時は大反響を呼んだ。

上記ページのURL https://note.mu/akiko_saito/n/n3c3d6b264f7e

上記の文章でも、akiko_saito さんは「男子高生がパンケーキ1600円もするようなカフェに行ってコーヒーとか飲むの?!マックでポテトLサイズとファンタとかじゃないの?!」と疑問を表明していた。やはりパンケーキは奇妙だ。しかし『天気の子』ではマックだった。

私、街河ヒカリは齋藤あきこさんとはやや異なる視点から『君の名は。』の性質を書いたことがあった。タイトルは「君の名は。がヒットした理由である状況重視と非論理性と無個性を「カタワレ系」と名づけた。」である。1万3千字の長文で、全文が無料である。皆様にもお読みいただけたらうれしい。

上記ページのURL https://note.mu/yokogao/n/n2e10d525b5a9

上記のページの中で私は、『君の名は。』の性質を「カタワレ系」と名づけた。

「カタワレ系」は次の4件をすべて満たす性質、または性質を有する作品である。

1件目に、根拠や理由の解明を目指さない。2件目に、論理性、合理性、人の個性を重視せず、状況を重視する。3件目に、その状況内だけで成立する前提を無抵抗に受け入れる。4件目に、その状況に対応した感情を抱く。

以上が「カタワレ系」の定義だ。私が定義を考えた。

『天気の子』においても、話がうまくできるぎている点や、非論理的、非合理的な点があった。偶然にも銃を拾うことがあるのだろうか?東京に雨が降って本当に水没するだろうか?大人が初対面の子どもにビールをおごらせるか?など、多数あるが、『君の名は。』に比べると、違和感の程度が弱いと思う。実話じゃないんだから、これくらいはありえる私は思った。

また、『天気の子』は『君の名は。』に比べると、登場人物の個性と内面が、濃く深く描かれていた。

よって、『天気の子』は「カタワレ系」ではない。

異論があれば教えてほしい。


違い5 エロ要素の危険性

『君の名は。』では瀧が三葉の胸を揉み、それに対し三葉がツッコミを入れていたのだが、このやり取りがギャグやコメディのようだった。これに対し批判が大量にあった。

「キモい」「現実ではコメディになるわけない」「女が胸を男に揉まれたらもっと苦しむはずだ」「エロゲみたい」「男の願望でしょ」「性差別」などだ。

他にも『君の名は。』の随所へ批判があった。ホリィ・センさんは「女性を記号的にモノのように消費するイメージを再生産しているという点で批判があった」とまとめた(出典:『メンヘラ批評Vol.1』p.66、ホリィ・セン「人生の止まった時計が動き出す──「毒親」語りとリバイバルブーム」)。

『天気の子』でも主人公の帆高が夏美の胸を見て夏美が「胸見てたでしょ」と笑いながらツッコミを入れていた。帆高が陽菜の体を見て「水商売はできないと思うよ」と苦笑いし、陽菜が「どこ見てんの」と怒ったシーンもあった。これを観て「キモい」と感じた人もいるかもしれないが、私の考えでは、『君の名は。』に比べると、コメディっぽさは弱く、もう少し現実的な気がする。『君の名は。』はもっとわざとらしく、映画の制作者が観客に「どう?エロいでしょ?笑えるでしょ?」と自慢しているような、作り物っぽさがあった。『天気の子』はその性質が弱かった。

帆高は陽菜が男と一緒に歩いている様子を観て尾行した。おそらく陽菜は風俗の仕事をしようとしたのだろう。帆高は陽菜を男たちから引き離した。

また、帆高は夏美の胸を見たとき「人としてだめだ」と言って目を反らしていた(セリフが間違っていたら教えてほしい)。帆高が女性の体を性的な意味で触ったことはなかった。

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上:映画.com『天気の子』のページから。
URL:https://eiga.com/movie/90444/

ようするに帆高はエロいこと、性的なことを忌避している。『天気の子』では風俗店やラブホテルが何度も描かれていた。風俗店の店員らしき男から帆高は殴られた。

現実世界では、エロいこと、性的なことには危険性がある。

一方、(新海誠監督作品に限らず)フィクションの世界では、「エロいことをしても安全な世界」を作ることもできる。しかし、フィクションの世界においても、現実世界に近い設定の場合、エロいことには危険性がある。

『君の名は。』は、(フィクションとしても)現実世界から遠いから、エロ要素をギャグっぽく描いていた。しかし『天気の子』は(フィクションとしても)現実世界に近いから、エロ要素をギャグっぽく描けない。だから帆高は性的なことを忌避していたのだ。

エロ要素の描き方が『天気の子』と『君の名は。』では違う。


このページは以上です。ありがとうございました。皆様からのご意見、ご感想を基に、随時加筆修正する予定です。

私がこれまでに書いた『天気の子』と『君の名は。』に関係するページを下に掲載したので、皆様に読んでいただきたいと思います。全文が無料です。


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以上です。ありがとうございました。

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