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論点をずらす人に反論する方法

「あなたはAを批判するのにBを批判しない」→「AとBは別問題」→「別問題ではない」→「同じ基準を一貫して適用することはできない」という噛み合わない議論について、アフリカメソッド、そっちこそどうなんだ主義、相殺法、武器捨て論法などの観点から整理しました。あなたもこれを読んで詭弁を見抜き、迷宮入りしそうな議論をクリアーに言語化しましょう。5800字の全文が無料です。名乗り遅れましたが、街河ヒカリと申します。

このページでは、「AとBを同時に考えるべきか?分けて考えるべきか?」を6通りのケースに整理して考えます。

検索用キーワード

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ケース1 相殺法、そっちこそどうなんだ主義

「あのう、お宅のピアノのことなんですが、夜分はやめていただけません? うちは子供が小さいものですから……」
「あーら、お宅のお子さんのうるさいの、知らないの? それにお宅でトイレ流す音だって、すごいのよ?どうお、お宅で、トイレやめてくれる?」
野崎昭弘『詭弁論理学 改版』p.48、中央新書、2017年

以上が相殺法の例文である。相殺法とは、相手の主張とは別の論点を出すことで相手の主張を打ち消そうとする論法である。つまり詭弁の一つである。

「相殺法」と似たものに、「そっちこそどうなんだ主義」がある。「そっちこそどうなんだ主義」は、相手から自分への批判について反論せず、話題を変えて相手に誤りがあることを指摘する論法、または考え方である。これも詭弁の一つだ。

【例文】「あなたは飲酒運転をした。法律を破っている」→「そっちこそ法廷速度が50キロの道路を60キロで運転しているじゃないか。あなただって法律を破っている」

「そっちこそどうなんだ主義」は「お前だって論法」、「どの口が言うか論法」、「Whataboutism」とも呼ばれる。

分かりやすくするため、最初に登場したトピックをAと呼ぼう。次に登場したトピックをBと呼ぼう。

「相殺法」と「そっちこそどうなんだ主義」は、どちらも「Bを出す」論法である。

「相殺法」や「そっちこそどうなんだ主義」を使ってBを出す人がいたら?つまり、あなたが「Bを出さない人」なら?

こうやって反論しよう。

例1「私はAを批判しています。AとBは関係ありません」

例2「Bを批判してもAは解決しません」

例3「すべてにおいて完璧な人だけが意見を言えるわけではありません」

例4「あなたは自分が悪いと分かっていて逃げていますよね?」

以上。


ケース2 武器捨て論法

これは少し長く複雑な説明になる。こんな架空の二人の議論から考えてみよう。


Aを出す人「Aというマンガに差別表現がある。Aの他にも様々なマンガ、アニメ、ドラマ、映画、ゲームで差別表現がある。差別表現を禁止する自主規制の基準を業界で制定するべきだ」

Bを出す人「あなたはマンガBが好きなようですが、自主規制をすればマンガBも禁止になりますよ。それでもいいんですか?」

Aを出す人「マンガBは差別ではないので禁止されません」


マンガBを出した人は、マンガAでもマンガBでもなく、「自主規制基準」に重点を置いている。「自主規制基準」をCと呼ぼう。

つまりCは武器である。武器Cが社会に流通すると、武器Cを悪用する人が現れるのではないか?武器CによってマンガA、マンガB、映画D、ドラマE、ゲームFと、様々な作品が攻撃され、自由な表現が不可能になるのではないか?Bを出した人はその可能性を危惧し、武器を捨てろ!と主張している。

このロジックを「武器捨て論法」と呼ぼう。今、私が名づけた。最初は「武器を捨てろ論法」にしようと思ったのだが、発音しづらいので「武器捨て論法」にした。

武器捨て論法とは、「ある目的を達成するための手段が別の現象の原因となることを防ぐため、その手段の使用を禁ずるべきと主張する論理の型」である。私が定義した。「武器捨て論法」は詭弁ではない。背理法のようなものだ。「武器捨て論法」よりもふさわしい名前があれば私に教えてください。

武器Cの例には、法律、税、理論、マナー、医薬品、野生動物、(比喩ではなく実際の)武器などがあるだろう。武器Cの作用として、前述の例では「禁止」「攻撃」というマイナスの作用を書いたが、優遇・保護・推進などプラスの作用もあるだろう。

「武器捨て論法」を使ってBを出す人がいたら?
あなたが「Bを出さない人」なら、どう反論すればいいだろう?

あなたは「Bは悪くありません」と言ってはいけない!

なぜなら「武器捨て論法」の人は「Bは悪い」と考えているのでなく、「誰かが『Bは悪い』と考えて武器Cを悪用する可能性」を危惧しているからだ。

それと同様に、あなたは「AとBは別問題です」と言ってはいけない!

なぜなら「武器捨て論法」の人は「AとBは同じ問題だ」と考えているのでなく、「誰かが『AとBは同じ問題だ』と考えて武器Cを悪用する可能性」を危惧しているからだ。

だから「武器Cの使い道は限定されています。B、D、E、Fを禁止(または優遇)するわけではありません」と反論しよう。

あなたが「武器捨て論法」を使ってBを出すなら?どうすれば相手に理解してもらえるだろう?

「Aを批判するならBも批判するべき」と言うと、意味が分かりづらい。それを言うと「そっちこそどうなんだ主義」や「相殺法」のような詭弁として解釈されてしまうからだ。

また、「Aを批判するのにBを批判しないのはダブルスタンダードだ。一貫性がない」と言っても、意味が分かりづらい。

それよりは、武器Cの恐ろしさを伝えるきっかけとして、Bが攻撃(または優遇)される可能性を説明するほうが、分かりやすい。武器Cを批判することに専念しよう。

以上。

「武器捨て論法」は「反転可能性テスト」にも似ている。この記事では説明を省略するが、皆様も「反転可能性テスト」について調べてみてほしい。


ケース3 アフリカメソッド


「アフリカの子どもは飢え死にするくらい苦しいんですよ。それに比べてあなたは恵まれているんだから、文句を言ってはいけません」

「あなたは仕事の休みが週に1回で苦しいって?私は休みが月に1回だけど?週に1回の休みなんて、たいしたことないんだから働きなさい」

このような手法は「アフリカメソッド」または「アフリカの子ども論」、「アフリカの子ども論法」とも呼ばれている。最初に名づけた人を特定することはできない。

定義を私なりにまとめると、「アフリカメソッド」は、「困難な境遇にある相手に、さらに困難な境遇にある他者を比較対象として示すことで、相手が不満や苦痛を表明することを禁ずる論法」である。詭弁の一つだ。

「アフリカメソッド」も、Bを出す手法である。

「アフリカメソッド」を使ってBを出す人がいたら?こうやって反論しよう。

例1「AとBは関係ありません」(アフリカの子どもは関係ない)

例2「あなたの発言では何も解決しません」

例3「問題Bが深刻だからといって、問題Aを無視していいわけではありません」

以上。


ケース4 優先順位問題


「あなたは日本の貧困問題に取り組んでいますが、アフリカの子どもの貧困は日本の貧困より深刻だから、アフリカの貧困問題に取り組むべき」

これを「アフリカメソッド」と呼ぶ人がいるかもしれないが、「我慢しろ」「不満を言うな」の意味の「アフリカメソッド」と区別したいので、この私の文章では「アフリカメソッド」とは呼ばないことにする。

「あなたはAを批判(または推進)するが、Bのほうが重要なのでBを批判(または推進)すべき」と言う人がいたら?

こうやって反論しよう。

「Bのほうが重要だからといって、Aを放置してよいわけではありません。あなたの主張ではAが解決しません」

ただ、「時間も金も人も限られているのだから優先順位を付けるべき」という意見にも一理ある。私は、「Bのほうが重要」の論法を、詭弁だとは思わない。というわけで、「Bのほうが重要」と主張する人がいたら、反論せずにこんな質問をしてみてはどうだろう?

質問1「そもそもなんでBと比べるのですか?」

【具体的な例文】「あなたは『アフリカの貧困に取り組むべき』と言いましたが、どうしてアフリカなのですか?アジアやブラジルの貧困には取り組まなくていいのですか?」

質問2「Bが重要だと思うなら、あなたがBをすればいいんじゃないですか?どうしてあなたはBをしないんですか?」(そっちこそどうなんだ主義ではない)

以上が質問の例だ。

しかし「Bのほうが重要だからBをするべき」と言った人は、文字通りそのままに「Bのほうが重要だからBをするべき」と考えているのだろうか?本当は別の意図があるのではないか?

【例文】

「あなたは万引きをした。万引きは犯罪だ」

「万引きよりも強盗や殺人のほうが深刻ですよ。万引きを批判するより強盗や殺人を批判するべき」

これは明らかに詭弁だ。相殺法に似ている。そういう発言をする人は、状況が自分にとって不利な方向に進むと予想したから論点をずらしているのだろう。

だから「Bのほうが重要だからBをするべき」と言った人がいたら、あなたは「その人は『Bのほうが重要だからBをするべき』と発言することを通して、どんな利益を得ようとしているのか」を考えよう。

以上。


ケース5 木を見て森を見ず

ある人が問題Aを示したとき、別の人が問題Bを示すことは、一見すると論点のズレに思える。

しかし、問題Bが原因で問題Aが生まれていたら?

問題Aと問題Bの両方が、問題Cに含まれていたら?

問題Cが原因で、問題AとBが生まれていたら?

そんなケースで、ある人が問題Aを示したとき、別の人が問題Bを示すことは、論点のズレではない。複雑な現象のうちの一部だけを話題にするのは、詐欺だ。「チェリー・ピッキング」だ。「木を見て森を見ず」だ。

次のケース6は、「木を見たことがきっかけで森を見る」文脈だ。


ケース6 参照点の発見

最後のケースだ。この説明は少し長く複雑になる。実際にあった例を挙げてみよう。

出典:https://twitter.com/beautyplusalpha/status/1115757867590606849

上記の投書は2016年5月5日の朝日新聞の読者投稿欄「ひととき」に掲載され、ネットで何度も話題になっているが、2019年4月10日以降に再燃した。私の知人である一柳さんは、この投書についての一連の議論を踏まえ、次の発言をした。

出典:https://twitter.com/1yagiryow5/status/1116324292046704640

誤解しないでほしいのだが、一柳さんは「ビラをもらえないことで泣いてはいけない」とは言っていない。アフリカメソッドではない。

これ以降に私が書くことは、一柳さんの発言についてではないので注意してほしい。一柳さんの発言には、普遍的な思考の型が使われている。それは次のようなものだ。

誰かがトピックAを出した後、別の人がAに含まれる前提・性質・理論などを抽出し、別のトピックBと比較し、AとBでは参照点が異なることを発見する。参照点の差異を発見したうえで、視野を広げて社会の仕組みや人の意識や価値観を知ろうとする。

「参照点が異なる」を言い換えると「正常か異常かの判断基準が異なる」「快・不快の閾値が異なる」ということだ。

このような文脈で「Bを出す人」がしていることは、主張というよりは、学習や研究に近い。決して悪いことではない。

しかし、「参照点の発見」は、あまりうまくいかない。

相手がAを出したときに自分がBを出すと「論点をずらすな」と怒られる。ずらしているわけではないのだが。

「あなたは仕事の休みが週に1回で苦しいって?私は休みが月に1回だけど?」と言うと、「アフリカの子どもはもっと苦しいってやつだ!そんなことを言っても何も解決しませんよ。苦しくても我慢しろと言うんですか?」と怒られる。「休みが月に1回」と言った人は「苦しくても我慢しろ」とは思っていない。アフリカメソッドではない。「なるほどー、自分は感覚が麻痺していた。私は休みが少なすぎた。週に1回でも苦しい人がいるなら、月に1回の私はもっと苦しいって言っていいんだ。私の労働問題を解決しよう」と、参照点を発見して自分を知り直しているのだ。

「女性への差別ばかり話題になりますけど、男性のほうが過労死も自殺も多いんですよ」と言うと「被害者ぶっている」「どっちがかわいそうかを競い合っても不毛ですよ」と怒られる。「被害者ぶっている」わけではないのだが。「競い合うべき」とは思っていないのだが。違いを生む原因は何か?違いが生じた結果、誰にどのような利益と不利益がもたらされるか?視野を広げて社会の仕組みを考えているのだ。

「参照点の発見」は、あまりうまくいかない。


以上です。ありがとうございました。今後も街河ヒカリをよろしくお願いします。これ以降は補足です。


関連するページ

私がこのページを書いて公開した翌日に、rmsi_isng 先生がnoteに文章を投稿してくださった。皆様にもお薦めしたい。全文が無料だ。

AとBは切り離せるか/切り離すべきか

ちなみにわたしは「「あなたより苦しい人がいる」はダメ?アフリカメソッド」と題した記事を書いて公開し、その中でアフリカメソッドについて説明したが、その記事は長すぎて分かりづらかったので、現在は非公開にしている。「「あなたより苦しい人がいる」はダメ?アフリカメソッド」という記事を書いた後、もっと分かりやすく書き直したほうがよいと思ったため、今回の記事を書くことに決めた。

連載企画「街河ヒカリの対話と社会」について

誰もが日常的に体験する悪口、嫌味や皮肉、詭弁、ネットスラングについて考察します。一見すると個人の問題に思えることでも、実はよく考えると社会の問題とつながっているのではないか、との仮説を立て、個別具体的な事柄から普遍性を発見したいと思います。1か月に1回から4回程度の更新です。マガジン「街河ヒカリの対話と社会」にまとめています。

以上です。

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