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ものの捉え方のバージョンアップのために生データを

何でも自分の既知の枠組みに回収してばかりで何も学ぼうとしない人は、つまらない。他者との対話を通し、自分が持っていた暗黙の価値観やバイアスを発見し、自分の中にあった「ものの捉え方」をバージョンアップする人は、おもしろい。世界は変わらなくても、「その人の目を通して見る世界」は、変わる。私、街河ヒカリは、そう思う。

出典:https://twitter.com/rmsi_isng/status/868658097660715012

余談だが、私はrmsi_isng先生から多大な影響を受けている。

これも余談だが、Internet Exploreではnoteに挿入したTwitterを見ることができないという不具合があるらしい。この上にrmsi_isng先生のTwitterが見えない人は、Google ChromeやFirefoxなどの他のブラウザを使ってほしい。

『質的社会調査の方法 他者の合理性の理解社会学』という社会学の有名な教科書がある。著者の一人である石岡丈昇先生は、「ものの捉え方のバージョンアップ」という尺度を主張している。

事実を調べることを通じて、「ものの捉え方」のバージョンアップを図るのが社会調査の醍醐味です。事実を詳細に調べても、旧態依然の「ものの捉え方」が保持されているのであれば、充実した論文に仕上げることができません。
出典:岸 政彦,石岡 丈昇,丸山 里美『質的社会調査の方法 他者の合理性の理解社会学』p.104、有斐閣、2016年
参与観察で重要になるのは、既知の「ものの捉え方」を手放すことです。未知のデータを既知の「ものの捉え方」で解説するのではなく、未知のデータを未知の「ものの捉え方」の獲得へと解き放つ努力が要請されるのです。
出典:前掲書 p.105

まったくその通りだ。

私は「その人が持っていた『ものの捉え方』を、その人はどのようにバージョンアップ(更新)するか」ということに関心がある。

新しい物事に出会ったとき、従来から持っていた「ものの捉え方」に無理やり当てはめる行為は、つまらない。

その人がたどり着いた結論がたとえ「1+1の答えは2だ」のようなありきたりなものだったとしても、答えを探す過程で新しい「ものの捉え方」を獲得したのであれば、「1+1の答えは2だ」という結論にたどり着いたとき、その人はもう既に過去とは違ったアプローチで世界と対峙している。世界はかつてのようには認識されない。

その人が新しい「ものの捉え方」を獲得してゆき、新しい「地図」を自分の力で描いてゆくときこそ、最もおもしろいし、私を仲間にしてほしいと思う。

そして私もまた、
「その人は従来のモノサシをその対象に当てはめるのか」
という従来のモノサシを他人に当てはめているのである。「『貼り紙禁止』という貼り紙」だ。まったく、私はつまらない人間である。


さて、「ものの捉え方のバージョンアップ」をするためには、どのような方針があるのだろう?これについては、私のような素人が考える以前に大昔から世界中の人が考えていたのであり、とても私の力では書き尽くすことができない。

かなり大雑把であるが、「ものの捉え方のバージョンアップ」に有効な方針をまとめよう。

一つ目は、一次データの重視である。一次データを生データと呼んでもよい。

自分の心身の感覚を分かりやすく他者に伝えようとしても適切な言葉が見つからないこともある。そこで聴き手が業を煮やして「それってこういうことでしょう」と手垢にまみれた言葉で表現して既知の枠組みに回収してしまってはいけない。

理系的な分野や技術的な分野であれば、さまざまなデータの中で都合の良い部分ばかりを拾うのでなく、解釈が容易な部分だけを拾うのでなく、全体を広く見渡したうえで、重要なデータを見極める。統計的に有意な差が出なくても、相関が弱くても、無視しない。ノイズのようなデータさえも拾う。

要するにセレンディピティのようなものが、「ものの捉え方のバージョンアップ」に有効なのだ。

二つ目は、他者との双方向の対話である。一人相撲でなく、一方通行でなく、双方向だ。言い換えれば、支配と抑圧がない場を作ることだ。一次データ・生データは本人が一番よく知っているが、その解釈は一人では困難だからだ。

一つ目と二つ目をセットで成立させる必要がある。

と、このような短すぎる説明では、読者の皆様に十分には伝わらないだろう。この部分を書くにあたり、私は『つながりの作法』という本からアイディアをいただいた。『つながりの作法』は、発達障害を含めたマイノリティの人々の生き方やつながり方について書かれているが、発達障害でない人にも読んでほしい。第四章と第五章では「ものの捉え方のバージョンアップ」をするためのヒントとなる実践が、詳細に述べられていた。

綾屋 紗月、熊谷 晋一郎『つながりの作法 同じでもなく 違うでもなく』NHK出版、2010年


以上です。ありがとうございました。


今回の文章と関連がある文章を私は過去に書いていたので、それらを紹介しよう。

なぜ物語を求める人と求めない人がいるのか


自己責任論への反論の一つに「自分で選ぶことはできないから」があるが、それだけでは足りない。本人の主体性が奪われる。


共感できないことを理解しよう


そもそも今回の記事は、2019年2月3日に私が公開した記事を短縮したものです。元の記事ではさらに詳しく丁寧に書かれています。

ものの捉え方を更新するか?何でも自分の既知の枠組みに回収するか?


連載企画「街河ヒカリの対話と社会」について

誰もが日常的に体験する悪口、嫌味や皮肉、詭弁、ネットスラングについて考察します。一見すると個人の問題に思えることでも、実はよく考えると社会の問題とつながっているのではないか、との仮説を立て、個別具体的な事柄から普遍性を発見したいと思います。1か月に1回から4回程度の更新です。マガジン「街河ヒカリの対話と社会」にまとめています。

今後も街河ヒカリをよろしくお願いします。

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