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水漏れがありまして

その時わたしは炬燵でテレビを見ていた。

   ゴゴゴゴゴ

「え?な、なに、この地鳴りみたいな」

   ゴオオオオオオオ

「音が近付いてくる、怖いーー!!」


   ザアアアアアアアアア!!


「キャーー!!天井から大量の水!、水が!」

どどどうしよう床がびしょびしょ

タオル、そうだたくさんのタオルを床に轢かなきゃ!


ザアアア……ピチャン   ポツン  ポツン  ポツ


天井からの水漏れは止まった。

床には、ぐっしょり濡れたバスタオルの山が出来ていた。

「いったい何があったのよ」

ここは集合住宅だ。

上の住人の所はどうなってるんだろ。


私はサンダルを突っ掛けると階段を駆け登った。

真上の住人のインターホンを慣らすが

「はーい!」

という返事だけで出て来ない。


ドアノブを回したら簡単に開いた。

「あの、下の者ですがなにがあった……」

床中水浸しになっているのを男性が四つん這いになって必死に雑巾やタオルに染み込ませている。


余りの水の量で、今はまだ“拭く”レベルまで達していない。

ひたすら布に吸わせるしかない状況だ。

私は洗濯機に目をやった。

やっぱりこれか。

洗濯機のホースが排水溝から外れていた。


私はいったん自宅に戻ると、大小構わず、家にあるタオル全てを抱えて再び階段を登った。

男性は相変わらず床しか見えていないようだった。

「お邪魔します!」

私は洪水の様になっているダイニングに上がると、男性と同じく四つん這いになり、タオルに水を吸わせては搾ることを繰り返した。

一言の会話もなく、2人共、水と格闘し続けた。

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1時間以上かかったと思う。

ようやく床本来の姿に戻った。

「はぁーーー」

始めて男性が声を発した。


その人は、ハッとして私を見た。

「すいませんでした!」

土下座で謝る男性。


私はくたびれ果てていたので、

「はぁ、いえ、あの」しか出て来ない。

「お宅はどんな状況ですか?」

「あ、そんな、大した」


「酷いことになってるでしょう?見せて頂けないでしょうか」

男性は真剣に云っている。

真剣でなきゃ困るのだが。

「どうぞ」

私はそう云うと階段を降りて自宅に入った。


男性は恐る恐る玄関から室内に入り、

びしょ濡れのバスタオルの山を見て

「あ〜〜申し訳ありません、本当にすみません」

と、何度も頭を下げた。


私は「大丈夫ですから」

そう云って男性に帰ってもらった。

とにかく寝転びたかったのだ。

四つん這いが腰に来ている。


夢中で気が付かなかったが、たぶん無理な体勢を取っていたのだろう。

私は腰を抑えながら、救急箱を取りに行った。

湿布より塗り薬の方が効きそうだ。


「薬って結構、高いよね」

この塗り薬もそうだが、よく効いてくれるので、文句を云うのは躊躇われた。

以前にも腰を痛めたことがあったけれど

その時はケチって少ししか塗らなかった。


そしたら治るまでに散々かかってしまった。

だから今回はケチらず塗ろう。

思い切ってチューブからたくさん出すと、

私は腰と脇、背中の真ん中辺りに擦り込んだ。

全体が痛くて大量に使ってしまったが仕方ない。


ベタベタになった手を洗いに洗面台に行き、丹念に洗った。

ようやく炬燵に戻った私は、やれやれと

寝転んだ。

今日が土曜日で良かった。

まだ明日の休みが残ってる。


そんなことを考えながら私は微睡んだ。

  ピンポン ピンポン

うるさいなぁ、人がせっかく寝てるのに。

居留守を使おうか。

     ピンポーン

シツコイな、まったく。

「すいませ〜ん、2階の川端です」

あ……

「お、お待ちください」

そう云いながら私は玄関に向かった。


「お待たせしてすみません」

ドアを開けながら挨拶をした。

そこには水と格闘していた男性が真面目な顔で立っていた。


「先程は本当に申し訳ありませんでした。

僕は川端洋史と云います。

アラフォーの独身です。

これ、受け取ってください。

お詫びにもなりませんが」


そう云って川端さんは有名な洋菓店の袋を差し出した。

このお店の洋菓子は私の好物である。

「わざわざ買いに行って下さったのですか。ありがとうございます。では遠慮なく」


しかし“独身のアラフォー”は云わなくてもいいのではと思った。

婚活中なのだろうか。


袋を渡した川端さんは尚もニコニコして立っている。

何で帰らないんだろう。

もしかして私の自己紹介待ち?


仕方ない……。

「私は牧野碧と申します。(私も云った方がいいのかなぁ)

えー、独身で、アラフォーの会社員です」


川端洋史さんは更に笑顔になると、

「牧野碧さんって素敵なお名前ですね。

“みどりのマキバオー”みたいで」

何を云ってるんだ、この人。

「はぁ」

としか返しようがなかった。


川端さんは、嬉しそうな表情のまま、帰って行った。

私は急いで“みどりのマキバオー”をググった。

「マンガなんだ。アニメにもなってる」

「この鼻の穴の大きな二頭身の馬らしきものが、私の名前から連想されたわけね」


マキノミドリ  みどりのマキバオー


あの鼻の穴を見たので複雑な気持ちではあったが、私の関心は、既に川端さんからの洋菓子に移っていた。


ダージリンを入れて炬燵に入り準備万端で袋からお菓子を取り出す。

「わ〜い!私の一番好きなレーズンバターサンドだ。川端さんありがとう!では

遠慮なく頂きま〜す」


サクッ

「ふふふ〜美味しい」

ダージリンを一口飲んで

「ふふふ〜美味しい」

それからYouTubeで探したら、みどりのマキバオーのアニメが観れた。

観ているとマキバオーは可愛い顔をしていた。

笑って観ていたが、徐々に切ないストーリーになって行き、何だかウルッとした。

しかし鼻の穴……。


明日、晴れるといいな。

バスタオルを大量に洗濯しないと。

そう思いながら私は眠った。

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光が眩しくて目が覚めた。

「また炬燵で寝ちゃったんだ!」

カーテンを締めないまま寝たので太陽の光が直接顔に当たっていた。

さて洗濯をしないと。


立ち上がる時、少し腰に痛みを感じた。

けれど薬をケチらず塗ったおかげで、この程度で済んだのかもしれない。

洗濯機を回している時、思わず天井に目が行った。


 

うっすらシミになっている部分があった。

けれどあの水量からすれば、考えられないほど被害は最小限で済んだと思う。

「なにより私が水を被らずに済んで良かった〜」

そうだ!川端さんのところにもタオルを持ってたんだ。


「起きてるかな、取りに行きたいんだけど」

インターホンを一回だけ鳴らして反応がなかったら戻って来よう。

とりあえず2階に行くことにした。


ドアの前まで来てみたが、中からは何の音も訊こえない。

疲れて寝てる可能性が高い。

起こしては気の毒なので私は戻ることにした。

その時、川端さんが大きな袋を二つ持って階段を上がって来た。


「牧野さん、おはようございます。昨日はすみませんでした。どうかしましたか?」

「おはようございます。昨日持って来たタオルの回収に。洗濯するので」

川端さんはにっこり笑うと、

「洗濯なら大丈夫です、ほら」


そう云って袋の中を見せた。

たくさんの洗濯物が入っていた。

「近くにコインランドリーがあるでしょう?そこで全部洗って、ついでに乾かして来たんです」


「なるほど」

「ただ、どれが牧野さんの物なのかが判らないんです。よかったら部屋で選別して貰えたら助かるのですが」

「判りました。そうさせていただきます」


川端さんは荷物を一旦、下ろすとドアの鍵を開けた。

「どうぞ入ってください」

「お邪魔します」

昨日の洪水が嘘のようだ。


「大変でしたが、おかげで床洗われて綺麗になりました」

笑顔で話すと川端さんは私を見た。

「こんなノンキなことを云ったら牧野さんに失礼ですね。すみませんホントに」


私も笑いながら

「不幸中の幸いですね。床掃除になって」

2人で笑った後に、さっそくタオル探しを始めた。

必死だったから普段まっく使わないのも、

引っ張り出して来た為、自分の物なのか判らないタオルもあった。


それは置いていく事にした。

「これくらいだと思います。あとのは川端さんのです」

「どうもありがとうございました。昨日今日と助かりました」


「いえいえ」

帰ろうとして私は壁に目がいった。

ポスターが貼ってある。

「川端さんはアニメがお好きなんですね」


「はい好きです。仕事にしたくらいなので」

「仕事、ですか」

「昨日話さなかったですか?」

「はい、ご職業までは」


「僕はアニメの制作会社で制作進行の仕事をしているんです。と、云っても判りませんよね。アレもコレもと忙しく働いてます、ハハハ」

「アニメ制作の会社に。あ、だからですか。

私の名前から、“みどりのマキバオー”という発想が出て来たのは」


「オタクですね完全に」

「私、マキバオーを知らなくてググったんですよ。それで主人公の鼻の穴があまりに大きくて笑ってしまいました」

「あ、牧野さんの顔がマキバオーに似てるとかじゃないですから、絶対に!たんに名前から浮かんだだけなんです」


「安心しました。でもアニメも見たんですが面白かったですよ。笑いだけじゃなくて、ウルッとしました」

「いいですよね、マキバオー。牧野さんはアニメは見ますか?やはりジブリ?」


ここから川端さんと私で好きなアニメの話しが始まった。

ヤッターマン始めタイムボカンシリーズは楽しいだの、やはり手塚治虫さんは凄い、赤塚不二夫さんがどうのこうの等。


「こんなにアニメの話しをしたのは初めてです。楽しかったです。それじゃあ失礼します」

帰りかけた時、川端さんに呼び止められた。


「……良かったら、なんですが。今度の土曜日に映画を観に行きませんか?」

「映画を、アニメのですか?」

「いえ、アニメではなくて普通って云っていいのかな?一般的にいう映画です。招待券を貰ったもので」

「でも私でいいんでしょうか一緒に行く相手が」


「もちろん!実は僕、今度プロデューサーになることが決まって。細やかなお祝いかな」

「凄いじゃないですか。おめでとうございます」

「ありがとうございます。お陰さまで少しは収入も上がりますし、嬉しいです」


「益々おめでとうございます。映画館で観るのは数年ぶりです。楽しみ」

「僕も楽しみです」


自分の部屋に戻った私は思った。

「いい人だな、川端さん……」

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映画を観るときには、ポップコーンは絶対だ。

キャラメル味も美味しいが私は王道の塩味がいい。

「同意です。僕はコーラも鉄板だなぁ」


この日の映画は人気のテレビドラマの映画版だった。

このドラマは好きで、私も見ている。

ところが始まっていくらも経たない内に

川端さんの寝息が聴こえて来た。


「よほど疲れているんだろうな。このままにしておこう」

私は引き続き映画を観た。

時々ポップコーンを頬張りながら。



   川端さん、川端さん

   終わりましたよ

   起きて、川端さん


「……え……おわった?」

川端さんはゆっくり目を開けた。

それから私の顔を見た。

私は頷いた。


慌て川端さんは周りを見たが、ほとんどの人は帰った後で館内はガランとしている。

「じゃあ僕はずっと寝て」

「はい、ぐっすりでした。疲れているんですね」


「わ〜何をやってるんだ僕は。牧野さんにまた申し訳ないことをしてしまいました」

「そんなこと無いです、それより」

私は川端さんの顔を見ていたが、

「ちょっと失礼します」


そう云って川端さんの額に手を当てた。

「熱い。川端さん熱がありますよ、大丈夫ですか?」

「あゝだからか。頭が痛くて寒気がしてたんです」


「帰りましょう、今なら近所の病院がまだ開いてますから診て貰ってください」

「せっかく牧野さんにご馳走しようと」

「嬉しいですが川端さんが治ることが一番ですから。たぶん昨日、風邪を引いたのだと思います。長時間水に触れてたから」


「何やってんだ僕は」

「とにかく帰りましょうね」

ガックリ項垂れでいる川端さんを連れて駅に向かった。

北風が冷たい。

11月だものね。


入って来た電車に空席があったので、私たちは運良く座ることが出来た。


「着いたら起こしますから寝てていいですよ川端さん」

「何かもう……牧野さんにはご迷惑ばかりおかけしてしまって」

「そんなこと無いですよ、だから気にしないで」

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カッコ悪い……。

せっかく牧野さんにご馳走しようと張り切ってたのに……。

体だけじゃなく、なんだか心もずぶ濡れだ。


だいたい洗濯機のホースが外れていることに気付かないで寝てたことが既にダサイ。

一年前に引っ越して来た時、僕は牧野さんに一目惚れをした。


でも中々話す機会がなくて、

そしたら昨日の水漏れ。

きっかけは良くないが、やっと牧野さんと話しが出来た。


早くも僕の頭の中ではクリスマスが楽しみになっていた。


病院で診てもらった結果、やはり風邪だった

「お薬を貰えて良かったです。あとはゆっくり寝てくださいね」

「はい……」


「そうだ、夕飯。体が温まって消化がいいもの。煮込みうどんとか、雑炊とか川端さん好きですか?」

「好きです。でも作る気力が……」

「私でよければ作りに行きますよ」


「え、本当ですか!」

「煮込みうどんも雑炊も簡単ですから作りますよ。先にお布団に入って休んでてください。私は買い物をしてから伺いますね」

「は、はい。お待ちしてます」

にっこり笑う牧野さんは、もはや天使だ!


僕は案外、ツイてるのかもしれない。

うん、絶対そうだ!



薬局で栄養ドリンクを数本買った。

今はスーパーにいる。

わたし図々しかったかな。

さっさと自分で決めちゃったけど。


でも放って置けない、川端さんのこと。

……大丈夫、嫌われてない。

だから大丈夫だと思うことにしよう!

そして夕飯は煮込みうどんに決めた。

だから絶対、大丈夫だ。

なんで、だからなんだろうか。

私も疲れているのが分かった。

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      了



































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