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今思えばなんという奇跡だったのか…銀蝿一家祭再考

久しぶりにコラムを書きたくなった。

嵐さんがお亡くなりになって、心にぽっかりと穴が空いている。まだ現実を受け入れられない状態で、信じられないような信じたくないような感じでいる。

なぜ、今回いきなりコラムを書こうと思ったのかというと、先日発売されたCDとDVDで改めて銀蝿一家祭に触れていたら、この奇跡の光景は夢じゃなかったのだと心が熱くなったから。

この日の出来事は全て奇跡で出来ている。いろいろな奇跡が交差して実現した銀蝿一家祭。少し時間が経って改めて映像で見て思ったことを書いて、奇跡の爪痕を残しておきたい。

ライブの細かい内容については、ライブ後のレポートとして以前コラムを書いているのでそちらをご覧ください。

銀蝿一家祭というのは、当時の横浜銀蝿、そしてその弟分妹分が一堂に会してコンサートを行なっていたもので、当時、世間を席巻していた団結と勢いをうまく表してしたライブイベントだった。当時、日本武道館でライブを実現させていたのはT.C.R 横浜銀蝿 R.S、嶋大輔、紅麗威甦、岩井小百合。その面々が集まっての銀蝿一家祭だ。なんとも強力で魅力的なイベントだった。

なんて偉そうに書いてるが、自分はこの銀蝿一家祭を当時実際には体験していない。レコードを聴いて想像するしかない世界だった。今でもあの時の悔しい気持ちは覚えてたりする。個人的に体験してないことを今でも後悔してるのは、大輔vs哲太in武道館、T.C.R 横浜銀蝿 R.Sの新宿コマでの「散る」、そして銀蝿一家祭だ。どれも今更取り戻すことのできないはずの苦い思い出だった。

そんな苦い思い出を取り戻すことができたのが「銀蝿一家祭 令和・冬の陣」だった。まさかこんなことが起こるなんて考えてもいなかった。いや、正確に言うと、横浜銀蝿40thが始動するというニュースを見た時に「銀蝿一家祭もやるんじゃないか?」と一瞬頭の中をよぎった。期待に胸は高鳴ったけれど、この妄想は以後封印することになる。

横浜銀蝿40thの初の無観客生配信ライブで、ライブの前にトークコーナーがあり、そこで事前に募集していたファンからの質問コーナーがあった。いくつか送った自分の質問の中で「一夜限りの銀蝿一家祭はないんですか?」という質問が読まれていたりする。そこでのメンバーの微妙な反応を見る限り、とてもじゃないが銀蝿一家祭の実現は100%ないと思わされた。

「うーん、まぁみんなそれぞれ頑張ってるしね…」「機会があったらって感じですかね…」そんな反応だった。なんだか聞いちゃいけないようなことを聞いてしまったような複雑な気持ちになった。それ以降、自分の中で銀蝿一家祭のことは考えないようにしていた。実際、期間限定とはいえ横浜銀蝿がオリジナルメンバーで活動することが奇跡だったわけで、銀蝿一家祭までを望むのは贅沢すぎると自分に言い聞かせた。

「あの当時ライブを見れてないやつらに見せてやりたい」

その思いは横浜銀蝿40thのメンバーにとって大きな原動力になっていただろう。その想いがJohnny復活のオリジナルメンバーでの活動へと繋がっていた。この想い一心に当時ライブを見れなかった自分含め多くの人の後悔を一気に取り去ってくれたのが横浜銀蝿40thだった。

〈オリジナルメンバーの横浜銀蝿のライブを逃している〉。人生に於いてこれほど大きな後悔、心残りはなかった。それがまさかの復活でこの大きな心残りがなくなったのは本当に奇跡だったと思う。Johnnyが戻ってきたこと、そして今思えば嵐さんがステージに立ち、ドラムを叩き、歌を歌い、人生の全てをかけて見せつけてくれたこと。全てが奇跡だった。

大輔、紅麗威、麗灑さん、薫くんと弟分妹分がこれだけ元気に集まれたのも奇跡的だった。おまけに哲太が映像でコメント出演。ここに小百合ちゃんがいたら完璧だったなんて贅沢は言えない。参加したメンバーそれぞれが抱いた銀蝿一家への想い。参加してくれたことに本当に感謝している。麗灑さんが「私を誘ってくれたことに感謝してる」と言っていたが、こちらとしては参加してくれたことに感謝が尽きない。体調のことがありながらも、あそこまで仕上げて最高のパフォーマンスしている麗灑さんを見たら、自分ももっと精進しなくてはと思わされた。

DVDを見ていると、とんでもない多幸感に襲われる。あの日の喜びが何度でも蘇ってくるのだ。バックステージでのやり取りは当時だったら見れないようなシーンだ。レッツゴー三匹こと紅麗威のメンバーがいい味を出していた。シャイながらも場を面白くしようとしてる姿が見てとれた。どのメンバーも歳をとったが誰もがいい歳の取り方をしていて、あの頃を懐かしがりながら今を精一杯楽しんでいるようだった。

ステージに上がっていたメンバー達はかなりの高揚感があったのではと想像する。きっとあの当時のことを思い出したことだろう。そして、自分の人生を振り返りながら。

大輔の「男の勲章」での涙は感動したが、本人も歌いながらあの頃の場面、あれからの自分の人生がフラッシュバックしてきたと語っていた。そんな涙する大輔をステージ袖で見ている翔くんの姿もまた感動的だった。サングラスの下で翔くんも泣いているように見えたのは自分だけか?

バックバンドの菊地圭介さんのバックステージでの話も興味深かった。彼のことは今回知ったのだけど、銀蝿一家のことを知り尽くしている人だったのですね。あれから38年経ってまた銀蝿一家としてステージに立っているというのはなかなか素敵な光景だった。

こうやってあの頃と現在が交差して、ファンの願望を叶えてくれた銀蝿一家。出ていたアーティストの中には普段一般の仕事をしてる人もいることだろう。そんな中集まれたことは本当に嬉しいことだった。奇跡だけじゃなく、横浜銀蝿40thの最後のでかい打ち上げ花火に対するアーティストやスタッフの一丸の想いを今更感じてじんとくる。

大病を乗り越えてステージでMVP級のパフォーマンスを見せてくれた麗灑さん、あの頃テレビでしか見ることが出来ずに死ぬほど憧れていた白い衣装のJohnny、まさかのドカン姿で唸らせてくれた翔くんとTAKU、「男の勲章」での大輔の涙、驚くほど味が増していた桃くんの歌と喋り、「桃子の唄」を口ずさむ翔くん、最後に見せた横浜銀蝿40thの貫禄のステージ。こんなこと書き出したらキリがない程の見どころと感動ポイントの宝の山だった令和版の銀蝿一家祭。

おそらく、横浜銀蝿40thの活動が1年延長されていなかったら、令和版の銀蝿一家祭はなかったんだと思う。配信ライブのトークコーナーで質問した時は、メンバーの頭の中に銀蝿一家祭はなかったんではないだろうか。そう考えると1年の延長はありがたく、これもまた奇跡的なことだった。

最後に、ずっと気になっている銀蝿一家という集団を考えついたきっかけとタイミングについて。これはずっと気になっている。

「羯徒毘璐薫'狼琉」のB面に既に大輔と麗灑さんが登場していて、裏ジャケには「キミも続け!ヤル気と根性のあるヤツは大歓迎!」と弟分妹分の募集が掲載されている。そう考えると銀蝿一家の構想のスタートは少なくとも「羯徒毘璐薫'狼琉」のひとつ前のシングル「ツッパリHigh School Rock'n Roll(登校編)」の時にはスタートしているプロジェクトだ。おそらくもっと早い段階で構想はあったはず。もしかしたらここまで大きなプロジェクトになるつもりはなかったかもしれないが、T.C.R 横浜銀蝿 R.Sデビュー後間もないタイミングで一家の構想をスタートさせていたというのは本当に凄い。なんという企画力と実現力なんだと脱帽するしかない。どういう経緯でこの銀蝿一家の構想が始まったのか実に興味深い。

そんな銀蝿一家の構想を引っ張っていたと思われる大坂社長と嵐さん。今となってはこのお二人がいないことが残念でならない。でもきっと大坂さんは「お前らここまでよく頑張ったな」、嵐さんは「最後に楽しませてもらったぜ」と言ってくれてるはずだ。大坂さんと嵐さんが出会ったのもまた大きな奇跡で、この二人が出会わなければ、僕らの青春時代は全く違うものになっていたのだから。

銀蝿一家祭に出演した全てのアーティストは、期待以上のパフォーマンスを見せてくれた。がっかりさせられた瞬間は微塵もない。楽しそうにやってくれて、観ているこちらも笑顔になった。こういった笑顔の伝染てやっぱりあるんだと思った。笑顔といえば、DVDのバックステージの映像の最後のJohnnyの笑顔。やりきったという表情で横浜銀蝿40thから始まった夢の時間が素晴らしいものだったことを改めて感じられた。Johnny本人が最高だったら40thも銀蝿一家祭も最高だったんだ。そういうことなのだ。

銀蝿、弟分妹分、そして往年のファンのそれぞれの想いが求めあって繋がったこの銀蝿一家の絆。このいくつもの奇跡の結晶は最後の最後に銀蝿一家祭という形でファンにプレゼントしてくれた。この大切な宝物はみんなのこの先の人生の支えになってくれるはずだ。

追伸
嵐さん、またいつか銀蝿一家祭が開催できるように、銀蝿一家のメンバーが皆元気でいられるように見守っててください。

青くてごめん。

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