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ジャポニズム、そして…



西欧のアーティスト達が日本に興味を持ち始めたのは1858年に貿易が強制的に再開された後である。
<ジャポニズム>とは、フランスの芸術評論家であり、コレクターでもあるフィリップ・ビュルティが最初に記述したのであるが、それは1872年であった。

当時フランス絵画の世界では<印象派>が注目され始めたが、モネ、セザンヌそしてドガ等が日本の影響を受けている。更にポスト印象派のゴッホやゴーギャン、ああそして忘れてはいけないマネ大先生…、マネは印象派の展覧会に出展した事はなかったが、今は亡き<カフェ・ゲルボワ>での集い(勉強会と言ったほうが良いのか)の中心人物として、多くの才能ある画家達の繋がり、そして進展に貢献した。

エドゥアール・マネ
<エミール・ゾラの肖像>
1866年
オルセー美術館

作家で、批評家でもあるゾラのポートレートの後ろにマネ先生ご自身の作品である<オランピア>に混じって相撲取りの浮世絵や掛け軸など明らかに日本芸術とわかるものが飾られている。
面白いのはやはり色使い。<オランピア>は実際のものとかなり異なる地味系の色合い(ゾラのズボンの色に近い)。それ以外の家具調度の華やかさや、また全体はブラックに支配されているようだがそれを眩しいホワイトが引き立てているようだ。

<大はしあたけの夕立>

左;歌川広重
1857年

右;ファンセント・ファン・ゴッホ
1887年

ゴッホは浮世絵の他にも尊敬するジャン−フランソワ・ミレーなどの模写もしたが、どれもそれぞれのアーティスト本来の素晴らしさを巧みに表現しつつ、ここでは自らの世界を静かに、しかし大胆にアピールしている様に思える。


なんて素晴らしい。


ではここで、以前登場した19世紀のフランス絵画のアーティストの一人として特に私が注目したジェームズ・ティソについてだが、彼はジェネレーション的にはマネやモネらと近くて日本の芸術スタイルに非常に興味を持っているところは共通している。しかしながら<ジャポニズム>に関してはティソはマネやモネ達と違った、独自な取り組み方を見せていて、それが非常に興味深いことに注目したい。

ジェームズ・ティソ
<浴場の日本女性>
1864年
ディジョン美術館


前作の<見返り美人>でティソの作品に好感を持たれた方がこの作品に対してどの様な印象だったのか、また私自身正直なところショックや不快感すら抱いた。

構成の中で花模様や外の景色、また家具や小道具は確かに素晴らしい描写だと認める。
しかし私にとって問題は中心の女性である。まずはキューピーちゃんのような裸体に無造作に羽織った着物。髪飾りの他とのバランスの悪さ。顔もどう見ても日本的ではない。特に妙に挑発的な視線はとても日本人女性と言ってほしくないと訴えてしまう。

この絵を描いた時のティソの頭の中を覗いてみたいとさえ思った。

ジェームズ・ティソ
<日本の品々を眺める娘たち>
1869年
シンシナティ美術館


上の作品に比べてこのアプローチはまさにティソらしくて、やっと自分の知っている彼ならでのスタイルを見ることが出来てホッとした作品である。
主人公の若い女性は構成のど真ん中にいるのだが眺めているのは正面ではなく横にある数々のオブジェである。
ところがそのオブジェの詳細がよくわからない。
全体的にはこれだけ細かく描かれているのだから、実在した部屋にちがいない。
おそらくティソの自宅の一部屋でコレクションを飾る為のスペースだと考えられる。

ジェームズ・ティソ
<日本の品々を眺める娘たち>
1869−1870年頃
ブライヴェートコレクション


上の作品より知られていないが、こちらは明らかに見ているものが屏風だとわかる。

面白いのは、どちらの絵も娘たちの品々を見る時の仕草や表情である。
興味深げに、しげしげと、もの珍しそうに眺めているところが第三者からも気になるところだ。

↑上の2枚のタイトルは<カルカッタ号の甲板で>である。油絵のほう(色つき)は1876年頃描かれたもので、現在はロンドンのテート・ナショナル・ギャラリーに所蔵されている。もう一方は版画である。そう、ティソは版画家としても知られている。


さらにオブジェの作成も器用にこなすテイソ。ここで七宝焼を取り入れた作品をひとつご紹介。

ジェームズ・ティソ
<洞窟と海>
1882年頃
オルセー美術館

ティソの七宝焼をあしらえたオブジェはいくつかあるが、この作品以外は事情により写真掲載ができないので、しかもこのオブジェはオルセー美術館所有なので今回の記事に載せることが出来た。

ブロンズを使用し、七宝焼と水晶をあしらえた装飾用の植木鉢である。

立体的で、一つ一つの要素は複雑感があるが全体的にはスッキリとまとまっている。やはり絵画で見られるようなテイソの個性的なスタイルが感じられる。


ティソはフランスのナント市出身で、両親が高級毛織り物を取り扱う店を経営していた。故に家庭は裕福であったし、絵画だけでなく様々なファッション、オブジェなどの流行に興味を持つことが出来たのであろうし、また、20歳くらいの時に画家アングルの弟子であったルイ・ラモットについた事があったそうなのでそのへんも影響を受けたのかも知れない。

アングル!?と言うとあの絵画の構成の中の人物の身体の<捻じり>が先ずは目に浮かんだ。
これが間接的だとしてもティソの絵画の中に多少なりとも影響を与えているのではと疑った。ティソの中でのアングルの存在について探究してみるのも面白いかも。


いずれにせよ、これだけのオリジナリティを持ち、独自のスタイルを持つアーティストが長いこと忘れられていた存在であったのは非常に残念な事実である。
今後出来るだけの事をしてテイソのジャポニズムを含めた世界再発見、そして再評価をする事はフランス絵画の歴史にとって重要な意義があるのではと強く思う。

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