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ナポレオンの戴冠式


今年はナポレオン没後200年なのでパリのラ・ヴィレットでの大規模な展覧会を始めとしてフランス各地で様々な催し等が行われている。

パリでナポレオンと言えばいくつかすぐに頭に浮かんで来るのは

ヴァンドーム広場の中央記念柱

凱旋門
シャンゼリゼ通りから向かって左側の中央の頭に勝利の冠を乗せられている人物がナポレオン。

アンヴァリッド(廃兵院)のナポレオンの墓。


他にもある。とくにルーヴル美術館ドゥノン翼に展示されている<ナポレオンの戴冠式>-、タイトルは正式には長ったらしく、<1804年12月2日、パリのノートルダム大聖堂でのナポレオン一世の戴冠式とジョゼフィーヌ皇后の戴冠>と記されている。1805年から1807年の間に当時の第一宮廷画家であったジャック-ルイ・ダヴィッド作で、ルーヴル美術館の中でもこの絵の前を素通りして行く人はほぼいない。ルーブル美術館見学で絶対に外せない5作品のうちに入る。

タイトルが長ったらしいのには訳がある。

先ずは一番上の写真を今一度ご覧いただき、構成の素晴らしさ、色彩の美しさに注目して欲しい。

そして中央の、まるでスポットライトを浴びている様な見事に華やかに描写されている人物群を見てみよう。

この絵の凄いところは画家のテクニックだけではない。ナポレオンの栄光の瞬間というフランス史の中でも重要で輝かしい出来事が散りばめられているところである。

王冠を掲げている人物が勿論主役のナポレオンである。はて、この光景を見ると殆どの人が疑問に思って当然…、何故なら普通戴冠というのは国王、或いは皇帝が就任の際に認められたという証に冠を授けられる事であるが、ここでは何とナポレオン本人が自分の妻のジョゼフィーヌ皇后に冠を渡そうとしている。

これでは誰も納得いかないであろう。
ところが真実に触れるとこの情景の所以が明らかになる。

上↑のスケッチはダヴィッドによる物であるが、何と当日ナポレオンは自分で自分に戴冠をしてしまったのである。
本来ならその横にいる、ローマからわざわざこの戴冠式の為に来仏したピオス7世がナポレオンに冠を授けるはずなのに、皇帝は法王の存在を無視した事になる。

その時ナポレオンは先ず冠を台の上におき、それを掴むと自分の頭の上に載せた。さらにそれを自分の目の前にいる妻のジョゼフィーヌに戴冠したのである。
そのような理由でタイトルはややっこしくなってしまったのである。

実際、ナポレオンはすでに同年(1804年)5月18日以来皇帝として就任していたのでこの12月4日のセレモニーは政治的目的から行われた事であっただろうと察せられる。ナポレオンはフランス歴代の王や皇帝の(とくに800年12月25日に戴冠をされたシャルルマーニュの)仲間入りをしたかった。また、ヨーロッパの隣国に対しても認められるために。その様な理由から、ナポレオンのセルフ戴冠は自分の政治的権力と精神的強さを示すという目的があったのだろうと見られる。


この一部始終を目の前にした画家のダヴィッドは一瞬呆気に取られたであろう。状況をそのままスケッチしたものの、実際に絵を完成させていく段階でこの出来事をありのままに描くのではスキャンダルになってしまう、さらには自分の第一宮廷画家としての名に汚点がつくと考え、ナポレオンがジョゼフィーヌに冠を授けているところを描き、タイトルも<ナポレオンの戴冠式とジョゼフィーヌの戴冠>にしたのである。

ダヴィッドも大変だったな。

ところがダヴィッドの苦労はそれだけではなかったのだ。

ひざまずいているジョゼフィーヌ皇后の後ろの高いところに3人女性の姿が見えるが、真ん中の女性はナポレオンの母親である。母親は実はこのセレモニーに出席していなかったのだ。その理由についてはいくつか聞いているが、先ずは義理の娘にあたるジョゼフィーヌと自分の仲が良くなかったとか、また、ナポレオンの兄弟同士の仲が良くなかっただの、とにかくそうした状況の中、欠席を決断したそうだ。当日、母親はローマにいたらしい。

しかし母親不在の皇帝の戴冠式はやはりまずいので、ダヴィッドは母親を描いてしまったのだ。

そんな裏話も含め、ダヴィッドがおよそ2年でこの様な大作を仕上げたのは見事としか言いようがない。ちなみにこの絵は高さ6メートルもある(幅9メートル)。しかも登場人物は実在しており、殆どは身分が明かされている。これは美術史上にしても凄いことである。


さてここでヴェルサイユ宮殿の戴冠の間を飾るもう一枚の<ナポレオンの戴冠式>について…、といっても殆ど言う事がない。同じく1804年にパリのノートルダム大聖堂で行われたセレモニーをジャック-ルイ・ダヴィッドが描いているのだから、ぱっと見ると同じ絵に見える。「えっ、全く同じ?」と疑問を持たれるのは当然。まるでルーヴル美術館の作品を印刷したかの様にそっくりなのだから。しかしこの時代に印刷はまだ不可能であった。そう、ダヴィッド自身が同じ絵を2枚描いたのである。

この絵を見ると一番上の絵とほぼ同じに見える。ナポレオンがいてジョゼフィーヌがいて…、ところが私にはこれをぱっと見ただけで2枚目だとすぐに解る。

今一度絵の全体を見ると、左寄りの方に 5人の同じ様な女性が並んでいるのが見える。黄色い矢印を見ていただけると、うっすらピンクのドレスを纏った女性が左から2番目に…?あれ?最初のルーブル美術館に飾られている絵にはそんな人いなかった。5人とも同じ様なドレスを着ていたはず。

いやいや、一枚目と同じ人物であって、彼女の名はポーリーヌ、ナポレオンには3人妹がいるのだがその2番め。美人で、ナポレオン兄さんも一番かわいがっていたそう。だから綺麗な、そして目立つ色のドレスを…?

そう言う意見もあるが、私個人的には単純であるがどちらがどちらとすぐにわかる様にドレスの色を変えたというのが正しいと思う。そうでもしないとわからなくなってしまう恐れがある程2枚はそっくりに描かれている。

恐るべしダヴィッド。

他にもいくつか違いはあるので、間違い探しをしても楽しめる、が、一番解りやすいのはポーリーヌのドレスである。

ちなみにポーリーヌの向かって左横にいるのが3番目の妹、カロリーヌ。その左横の2人の男性については一番端が兄のジョゼフ、その横が弟のルイである。
さらにポーリーヌの右横がエリザ、一番目の妹である。さて残った女性2人の内、一番右がジョゼフの妻、その左がルイの妻である。

よく聞かれるのだがあの小さい男の子は誰かと言うと、ルイの息子である。

最後に、ナボレオンはセント・ヘレナ島で亡くなったけれど、ダヴィッドがその後フランスを離れた(離れざらなくなった)事は彼にとってナポレオンの存在はかけがえの無いものであった事を物語る。ダヴィッドはブリュッセルで息を引き取ったが、後に彼の心臓はパリのラシェーズ墓地に、それ以外の遺体はブリュッセルに眠っている。

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