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それぞれのバルコニー


パリも本当に住みにくくなったなあと言うのが最近実感すること。

確かに相変わらず良い点がたくさんあることは認めるけれど、しかも私は地方に住んだことがあったのはリヨンとボルドーのみ、あとモンペリエにみっちり一ヶ月の滞在と言うのは贅沢であった。

程々に都会で程々に田舎と言うのはなかなか良かった。
特にボルドーやモンペリエは車で一時間ほどで海というのは夏には最高であった。

友人同士間でのパーティにしても地方では頻繁に各家に招待されたことが多かったのにパリではレストランに行く事が当たり前のようで最初は戸惑ったりした。

しかしながらもその後20年以上も経つとレストランでの食事も慣れてきた。
一人で行くのも平気になった。

そんな私が未だに口をあんぐり開けて立ち止まる事がしばしばあるのが人の家、特に玄関とバルコニーである。

フランスに来て何回引越したか正確に覚えていないのだが、その度についていないと思うのは毎回バルコニー付きの部屋に当たらない事である。

一度だけ小さなバルコニーというより出窓といった方が良い様なもの付きのアパルトマンの二階に住んだことがあって、そこにゼラニウムをみっちり植えて生活の潤いのすべてを集中させた。

今の住居には残念ながらバルコニーはないので花を買ってきて家の中に生けるしかない。

それにしてもバルコニーは憧れだ。
一生のうちに一回でもバルコニーで黄昏れてみたいものだ。

我が家の向かいには数軒オスマニアン建築スタイルがある。
16区等のいかにもといった建物とは違うが一応オスマニアンである。
バルコニーもあるのだがあまり広くはないのでテーブルとイスを出して優雅に食事という雰囲気のものではない。

お向かいさん


オスマニアン建築とは何ぞや?と多くの人が疑問に思うはず。

そこで目を通していただきたいのがこちらの記事。
ついでにカイユボットについても軽く触れているので是非ご参考に。

向かいの建物に比べて我が家のある建物は良く言えば近代的、悪く言えば味気がない。パリらしさが全く無い。
そんなところに住む我々と目があって、お向かいさんは気まずい思いをしているような感じがする。

せっかく憧れのバルコニー付きのアパルトマンに住むことが出来たのに、世の中上手くいく事ばかりではない。

ため息の一つでも出るような。

ごめんねお向かいさん。
でも私のせいではないのよ。

さて、ではそんなお向かいさんの為にパリの理想のバルコニーを私の尊敬するアーティスト達の力を借りて見てみよう。

エドゥアール・マネ
<バルコニー>
1868-1869
オルセー美術館

やはりタイトルからしてこの作品を載せるのは当然であろう。
ただし個人的にはバルコニーと言うより人物、特に左の座っている女性が中心になっている様な気がする。
この女性は画家のベルト・モリゾであり、マネのモデルもよくした、また義理の妹でもある人物。
よかったら彼女について書いた記事があるので参考にしてほしい。

何故私がそう思うのかと言うと、マネお得意のブラックの使い方を更に駆使して、他の二人と見事に使い分けている。
タイトルだって<ベルトのいるバルコニー>としてもよいのではないかと思う位。
因みに右にいる女性はピアニストであった妻の演奏仲間のヴァイオリニスト、ファニー・クラウスと、男性はマネ自身の友人、画家のアントワーヌ・ギュメであって、どちらも知らない中ではない。

主なモデルはこの3人(実際には他に犬ともう一人いる)だが、明らかにベルト以外がうっすらと描かれているところが謎。意味深と言ったらよいのか。

マネはルーヴル美術館でフランシスコ・デ・ゴヤの<バルコニーのマハ達>の作品を見つけてそこからインスピレーションを受けて自分の作品を描いたと言われる。
実際の仕上がりは全くマネ・ワールドであることは間違いない。

ギュスターヴ・カイユボット
<バルコニーの男>
1880年
プライヴェート・コレクション


ここでは実際にカイユボットが弟と共に暮らしたことがあるらしい。一番最初(上)のイメージではモデルである弟の頭が入りきれなくて申し訳ないが、バルコニーをどうしてもカットしたくなかったのでお許しを。
ここのロケーションはまさに理想的である。写真で見てみよう。

日本式で言うと4階になる。
大きなバルコニーがある。
建物の一階は現在信用金庫(ソシエテ・ジェネラル)である。
オペラ・ガルニエ宮やデパートが近くて、さらに窓から広い空間が眺められる。また、緑も豊富とあればこれ以上の環境は考えられない。

バルコニーはまるでレースのような役割をしている。

そういえばアール・ヌーヴォーでもこんなバルコニーがある

ジュール・ラヴィロット設計
1890年
アール・ヌーヴォースタイル


ここでは他はともかく全体のデザインに注目。
周りの建物に対して目立っていること!

これはオスマニアン・スタイルのコンセプトに反しているけれど、バルコニーだけはその華やかさが中に住んでいるものにとっては安らぎを与えることのできる役割を果たすことが出來るのかも知れない。

今回はフランスの、特にパリでの歴史の中でのバルコニーについて考えてみたが、ユーバニズムにおいて欠かせない存在であるだけでなく、リッチな生活、更にパリらしさを演出するのにも大切で、これは今後も守られて行くべきであろう。


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