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凱旋門を包む


凱旋門とエッフェル塔、そしてノートルダム大聖堂と言えばパリの顔であると言える建築物、しかも重要文化財である。誕生した時代がそれぞれで、ノートルダム大聖堂が宗教、また例の火災事件でパリ市民の心の支えとしてなくてはなくてはならない存在である事が明らかになり、エッフェル塔のおかげでパリの産業は発展していったと言っても良いし、凱旋門に至ってはまさにシンボルである。

そんな凱旋門を包んでしまおうと企てた男がいた。彼はフランス人ではない。その名もクリスト、1935年6月13日にブルガリアのガブロヴォで生まれた。環境アーティストとして世界的に評価されている。

彼のアートは妻とのユニットによって成り立つのであるが、素晴らしいのは妻であるジャンヌ=クロードの生年月日も1935年6月13日で、クリストとまったく同じであるという事、ただし彼女はモロッコのカサブランカで生まれている。妻としてだけではなく、アーティストとしてクリストにとってはかけがえのない存在なのである。

私は2020年にクリスト&ジャンヌ=クロード展の為にジョージ・ボンピドゥー・センターに足を運んだ。
そこで小さなものから、どんどん巨大化されていく2人のアーティストの<梱包>をテーマにしたアートの展開の過程等を学んだのであった。

中でも1985年の<ポン・ヌフ>を包んだ企画を撮影したヴィデオには圧倒された。
この時は私はまだ日本にいたので実際に見てはいないが、パリセーヌ川にかかる最古の橋を包んでしまうとは…、そのスケールの大きさと、ただ同時にそんな事してもいいのかという思いが交わって多少なりとも複雑な気持ちではあった。

その様な理由から、今回の凱旋門を包むパフォーマンスには興味があった。


さて、しかし何故に包むことにそこまでこだわらなくてはいけないのであろうか。普通一人のアーティストが自らの仕事に取り組む場合、考えられるのは<創る>だと思うのだが?これはあくまで個人的見解であるが、<包む>イコール<隠す>というイメージがどうしても頭に浮かんでくる。<隠す>イコールマイナスのイメージがあって、そこから何も生まれてはこないとその時は思った。

そこで、クリストと<包む>の関係を調べてみた結果、何かを包むことにはそれぞれの国の文化や習慣が表れている事がわかった。さらに日常生活にあてはめてみると、例えば日本ではプレゼントを包む時には美しい紙、布等を使う。そこに一言添えたりして、メッセージが贈る相手に伝わるようにとの配慮が感じられる。
フランスでは例えばバゲットを一本買うと、小さな紙切れで巻いて渡されるだけの場合が多くて衛生的にこれどうかと思った事がしばしばあった。最近では大分改良されてきたが。

また、フランスではプレゼントを包む場合はデパートやスーパーなどでは特にレジで会計を済ませた後に別のコーナーに包装用紙、リボン、セロテープやハサミなどが用意してあって、自分でやる様になっている。

フランスで贈り物を貰うときは贈り主自らの包装と、小さなカード付のことが多い。

クリストがフランスに着いたのは1958年、亡命でやって来た。23歳の時である。そしてジャンヌ=クロードと出会い、共同で作品を創り始めた。

凱旋門の近くに、凱旋門がよく見えるアパートメントをアトリエとして借りて、毎日窓から見ているうちに凱旋門にただならぬ思いをよせるようになったという。それが徐々に<包みたい>という気持ちになっていったという。

<凱旋門>と<包む>の両方がクリストの中で日に日に巨大なものになっていったに違いない。

ただし、このブロジェクトはそんなシンブルなものではなく、プロセスが重要であったことは、長年2人で温めていって、資金もスポンサーに頼らずに自らの働いて稼いだ金で調達してきた事ではっきりとする。

一番大変であったのは交渉である。ポン・ヌフの時は9年かけて当時の市長であったジャック・シラックと話し合ったそうだ。しかしその時の周囲の人達の反応は今ほど冷たいものではなかったそうだ。2週間で300万人が見物にやって来たそうだ。

それに比べると、今回のパリ市民の反応は冷たい。フランスの重要文化財を隠してしまう、また環境に役立つわけでもないと言うのがその理由だ。何故彼らがそこまで苛立つのかと言うと、過去のポール・マッカーシー、アーニッシュ・カプーア、ジェフ・クーンズらの現代アーティスト達の巨大な作品の評判が良くなかったというのが大きな原因である事は否定できない。

写真はまだ布を上に乗せる前の準備段階の様子を撮影したものだが、私以外に誰も見物者がいなかった。
よく見ると正面左右の彫刻に傷がつかないようにスチール柵が既にかかっている。

そして数日後に布を垂らして完成した後の凱旋門。驚くべき事は大勢の人々が集まって写真を撮ったりしていることである。

この変身ぶりは遠くからでもはっきりとわかるが、実はクリストは今回のプロジェクトにあたって、布にかなりこだわっていたのである。25000m2のリサイクル可能なポリプロピレン製の布を用意した。クリスト曰く、「布は体に被せることで体のシルエットが際立つ。隠すことで存在を露わにするのだ。」その為に布のドレープの入り方にもこだわっている。布の折り目がシルエットを官能的なものにする。

これは私が撮影したものではないので何時頃のものかわからないが、こうやって見ると、また違うものにみえる。
包む事に関しては私などが考えていたような単純、或いは否定的な事ではなかった。

門の脚元までは地下道経由で行ける様になっていて、その為の行列も出来ていた。普段はそこまでは無料で誰でも行けるのだが、10月3日迄は有料で、しかも衛生パスが必要となっている。

近くのビルの中では<ようこそクリスト>コーナーが設けられていた。

完成後にはメディアにも頻繁に取り上げられる様になった。人々の関心もクリストの梱包された凱旋門に向けられる様になったのである。

クリストの夢はかなったと言える。本来なら2020年4月に実行されるはずであったこのプロジェクトが2021年の9月に延期になったとはいえ、使用された布も生前希望通りのものである。
ただし残念なのはクリスト自身がコロナウィルス感染症の為2020年5月末にニューヨークにて亡くなってしまったことである。

もし生きていたら自分の目で一部始終を見る事が出来たのに。


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