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「家事」は労働か否か?

伊田久美子先生(大阪府立大学名誉教授)の講座に参加しました。
「愛情と家事?支払われない労働の実情と課題」(2021.06.12ウェーブにて)

伊田先生は生命を維持するエッセンシャルワーカー(保育や看護等)にも触れ、家事を「生命活動を維持する仕事」として位置づけ、「ケア労働の評価を再検討することが必要ではないか?」と講演会を締めくくられました。

講座に参加した感想をつらつらと書いてみたいと思います。

女性の美徳にされてきた「家事」

「愛情」と「労働」
人が抱くイメージがかけ離れているこの二つの単語。
どちらを男性的、女性的で分けるとなると、
おそらくほとんどの人が
「愛情」=「女性」
「労働」=「男性」と分けるでしょう。

しかし、最近では家事を「アンペイドワーク(対価のない労働)」という言葉で表されることがあります。これまで家事ができる女性をロールモデルに、めざす女性像を作り上げてました。家事が女性の美徳として扱われ、その活動の重さが語られずにきました。


お金に換算できる「家事」
a littleの活動の一つは「家事サポート」です。地域のご家庭に訪問し、ご飯づくりや掃除、子ども達のお世話などをしています。「ケア」を届けていると思っています。お金をいただくので「労働」でもあります。

利用した男性から「普段の家事をお金に換算すると、妻の仕事は大変な金額になりますね」と言われたことがあります。ドラマの「逃げ恥」でもお手伝いさんを雇うより結婚した方が安いという計算も出ていました。

「ケア」としての「家事」
では、家事は本当に労働なのでしょうか。
私の答えは理想的に言うと「NO」です。家事を行うことを「ケア」だと考えることができたら、家事を労働だとは思いません。

「ケア」とは、「誰かを気遣い、支えたいと思うこと、その行為」
(苫野一徳『愛』より)

私はご訪問先のご家族が、私のご飯を心待ちにしてくれることに心底喜びを感じます。清潔に洗い上げたお風呂に子ども達が入ると思うと嬉しくなります。また新生児のやわらかい手足に触れお世話する行為に愛情がわかないはずがありません。


その人のためにやっている行為ですが、私の幸せに還元されています。義務でもなく、その人のためだけでもなく、自分のためです。生活の一部を分かち合う行為だと感じています。

ただ、女性だから「家事が得意だろう」
女性だから「愛情豊かであるはずだ」と言われるような押し付けの役割はまっぴらごめんです。妻から夫、母から子への「愛」の行為として義務化されて行う「家事」はケアではありません。

「家事は生命活動を維持する仕事」
(伊田久美子:講座より)

命を支える仕事であるからこそ尊く、それに携われることの喜びがあります。しかし、それが家庭の中で高い質を求められすぎ、労働とならないようにしないといけません。女性(妻)だけの役割であることも否定したいです。

「生きているものを生かしておくぐらいの気持ちでのぞむのがいい」
(伊田久美子先生:講座より)

「家事」が「労働」にならないように。
「ケア」とは自分のためになり、喜びを得られるもの。家族や地域で互いに「ケア」できる環境が整えばいいと思います。(YOKO)

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