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福岡県鞍手郡「兵士・庶民の戦争資料館」を訪れた日のこと

Matahari@マレーシアです。
本日は、4月から5月の5週間にわたり日本に一時帰国をし、家族のルーツを辿る旅に出たわたしが出逢った様々な人や場所の中から、特に印象に残ったエピソードの一つをお届けします。

「家族のルーツを辿る旅」に出ようとおもったきっかけ。


わたしはマレーシアに2010年に移住し今年で13年になる。

コロナパンデミックで帰国が叶わない時期が3年以上も続いたが、ようやく帰れることになり、ずっと温めて続けていた家族のルーツを辿る旅を決行することにした。

まず、両家の祖父たちの軍歴を調べることから始まり、それを元に実際に祖父母たちが暮らした町を自分の足で歩いてみようと思った。

遡ること2018年頃から、東南アジアのマレー半島(現在のシンガポールとマレーシア)の日本占領期3年8ヶ月についてリサーチを続けて来た。

マレー侵攻作戦と陥落後の占領に関わった広島や山口や福岡の兵士たちの足取りについて調べる過程で、自らの祖父たちの軍歴を知りたいと思うようになり、ようやく数年越しの願いが実現したのだった。

生前母方の祖父母が暮らした町、福岡県鞍手郡小竹町へ。

母方の祖父母が暮らしたエリア(福岡県鞍手郡、直方市、飯塚市)を訪れようとGoogle地図で検索している時に、ふと目に止まった場所。

それが「兵士・庶民の戦争資料館」だった。

迷わずそこに書かれている番号に電話をかけると、館長である武富慈海氏ご本人がお電話に出てくださった。

こうしてわたしは初めて福岡県鞍手郡小竹町を訪れることになった。

その日、レンタカーで会ったことのなかった祖父が生前暮らした山間の町を走りながら、不思議な体験をした。

古ぼけた戸籍謄本に書かれてあった住所を頼りに訪れた場所に到着したものの、そこは工業地帯で誰も人が歩いていなかった。車を止めて周囲を歩いてみようと思ったその矢先、遠くで市民がラジコン飛行機を飛ばしていることに気付いた。

春の澄み切った青空にラジコン飛行機が空高く飛んでいく。

わたしはその様子を見上げながら、確信をした。

祖父はわたしの近くで見守ってくれている。

もしかしたら、祖父が戦争に行った若い頃、空を飛ぶ操縦士になりたい夢を抱いていたのかもしれない。

祖父から思いがけず届いたメッセージに心が躍った。

それからいよいよ「兵士・庶民の戦争資料館」に向かう時間になった。

「兵士・庶民の戦争資料館」を訪れた日のこと。

レンタカーで資料館の前まで行くと、入口の前でわたしの到着を待ってくださっていた館長の武富慈海さんの姿があった。

深々と頭を下げると、あたたかい笑顔をたたえた武富さんが中へ通してくださった。

さほど大きくない資料館の中に、所狭しと並べられた戦争に赴いた兵士たちの遺品の数々にまず圧倒された。

現館長の武富慈海さんは実は息子さんで、もう他界されたお父様武富登巳男さんがこの資料館の創立者なのだという。

資料館の創立者 武富登巳男さん

お父様は、戦時中満州に出征した飛行機乗りだったそうだ。

冬場はマイナス四十度にもなるような土地で、戦闘よりも厳しい気候から身を守ることが先決だったそうだ。その地域で実際に兵士たちが身につけていた防寒服などの展示もあった。

前述のわたしの祖父も軍歴によれば機関銃を扱う兵士として、満州でロシア国境で警備をしていたそうだ。

同じ時期に、武富さんのお父様とわたしの祖父が満州にいたことがわかり感慨深かった。

祖父が私をこの地に導いたのだ、と思わずにいられなかった。

食い入るように資料を眺めるわたしに、武富さんが丁寧にガイドをしてくださった。

ここではその内容には詳しく触れないが、ぜひ一度あなたにもこの場所を訪れて武富さんのお話を聞いてほしいと思う。

館長の武富慈海さんとお会いして感じたこと。


澱みなく武富さんの口から語られるお父様から受け継いだいくつものストーリーの中には、ご本人に限らず近所の人たちから集めた証言もあるにも関わらず躍動感に溢れ、胸に突き刺さってくる。

それはなぜか。

それは武富さんが今は亡きお父様とお母様から受け継いだこの資料館を、「当事者意識」を持って存続させていくという生涯をかけた覚悟があるからこそ、一つ一つのストーリーに魂が宿り、聞き手の心を揺さぶるのだと感じた。

その情熱はどこから来るのか、一瞬聞こうとして、やめた。

なぜなら、わたしはもうその答えを知っているかもしれないと思ったからだった。

思えば、私も同じ類の質問を受けることがあり、いつも言葉に窮してしまうからだった。言葉にならない衝動がわたしたちを突き動かしている、そう思った。

戦争を知らない2世3世であるわたしたちが、この戦争という時代に起きたことを、後世に伝えていくという課題は、ずっと答えのないまま残り続けると思う。

ただ武富慈海さんとお会いして、世の中に似た思いを共有する人が存在することに、非常に励まされた。

無償でこの資料館をただお一人で存続させていくことには、想像を絶するご苦労もあるかと思う。

わたしは武富さんのように資料館の運営という責任を負う大きな器は到底持ち合わせてはいないけれど、「平和のためのおはなし会」という会を現地とオンラインで月一で開催するという方法で、活動を続けている。それでも日々葛藤との戦いだ。

それでもこういった活動の火を灯し続けて行こうとする時に、これからも武富さんの存在を思い出すと思う。

国営ではなく、私設資料館だからこそできるメッセージを伝えていきたい、という武富さんの言葉に非常に共感した。わたしも組織に所属しながらガイドとして活動することを選ばず、一人で自分らしく活動を続けて行くことを選んだ理由がまさにそれだったからだ。

一人でも多くの人に、この「兵士・庶民の戦争資料館」を訪れ、武富さんのお話を聞いてほしいと願わずにいられない。

兵士・庶民の戦争資料館へのアクセス

訪れる際は電話にて事前予約をお忘れなく!

兵士・庶民の戦争資料館
福岡県鞍手郡小竹町大字御徳415-13

415-7 Gotoku, Kotake, Kurate District, Fukuoka 820-1101, Japan

電車番号 +81 9496 2 8565

https://maps.app.goo.gl/FF2jPZRJ1iisPty69?g_st=ic


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