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愛おしい、という感情

フェイスブックにはその日最初に開いた時に、◯◯年前の今日、という感じで自分が投稿した過去の画像が上がってくる機能がある。

ある朝、目に飛び込んできたのがこの写真だ。5年前とある。飼いたてホヤホヤ赤ちゃんだった頃のふくちゃんだ。不意打ちだったため心の準備がなく涙があふれた。少し前にも書いたが、5才を迎えることなく虹の橋を渡ってしまった私のうさぎ……

『うさぎは寂しいと死んでしまう』とよく聞くが、実際飼ってみると本人(本兎?)は割と好き勝手に過しているようで、犬や猫ほど懐くというわけでもなく、むしろ飼い主の方が寂しいのではないかと思うこともしばしばあった。それでも頭やあごを撫でられるのは大好きで、本当に気持ちよさそうに目を瞑って、そんな様子を見ているのがしみじみとしあわせで、「愛おしい」ってこういう感情のことなのか、と思った。

「愛おしい」の中には「愛」という字が含まれているが、どちらかといえば「哀」の方がしっくりとくる気がする。
声帯がないため鳴くことができない、ストレスに弱くすぐにうっ滞を起こす、非捕食動物ゆえ体調が悪くてもギリギリまでかくす、そしてあっけないほど簡単に死んでしまう……そんな弱く儚い存在でありながら飼い主にかぎりない癒しを与えてくれるうさぎ。ふわふわもふもふのからだ、足のまわりをくるくると走り回る様子、突然のうさ倒れ、おやつの袋をガサガサすると膝に飛び乗ってきて一心に食べる様子、でも抱っこされるのは嫌い、ツメを切ろうとするとブルブルと震える後ろ足、怒った時や怖かった時にする足ダン、こちらが忙しく何かをしている時にかぎって、撫でて〜と頭を差し出したり前足でひっかいたり……そんなあれこれを思い出すたびに愛おしさと哀しさで息が詰まる。

「愛おしい」という感情はどこからくるものなのだろう。
「愛している」というのが自発的能動的な意思を感じるのに対して、「愛おしい」は湧きあがってくるイメージである。 小さきもの、弱きもの、手をかけるもの、自分を慕っているもの、頼りとしているもの……そんな存在を目の前にした時に湧いてくる感情なのだろうか。


写真を見ながらふとそんなことを考えてしまった。


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