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1997→2019台風直撃‼︎ フジロックに我思う

#fujirock #フジロック #台風 #メディア

社会人2年目の夏、私は会社の先輩たちと4人で富士天神山スキー場で開催された第1回目(1997年)のフジロックに参加しました。そう、今や伝説となり、「あれに行ったんすか!」と若者たちに無条件に崇めてもらえる台風直撃したフジロックです。そりゃそうだ、彼らはまだ生まれた頃の話なのだから。

あの夏の日の1997

その日、台風がコチラに向かっていることは分かっていたはずなのに、フェスというもの自体が初体験、そしてトレッキングの趣味もなかった私たちは道すがらのコンビニで、透明のビニールの雨合羽を買い、スニーカー(私はコンバース オールスターのローカット)で会場へ向かいました。

確かオープンしたばかりで話題になっていた富士ガリバー王国(現在は閉鎖)へ続く道と同じだったという理由も手伝って、会場に向かう1本道がかなり混んでいたのを覚えています。

ダラダラと歩行速度程度でしか車を走らせることができない私たちの横の歩道を会場に向かって歩く厚底サンダルの女の子たち。

キャミワンピと厚底サンダル。

ピークは超えていたものの、まだまだアムラー旋風が色濃く吹き荒れる時代でした。

その日に私が観た今でも覚えているライブはボアダムス(豪雨と相性抜群)と電気グルーヴ(ピエール氏の富士山着ぐるみ姿を富士山麓の地で拝めた時の興奮たるや)とTHE HIGH LOWS(嵐の中でももちろんヒロトは脱いで、下半身を露わにしていた)と、そしてイエモンファンとレイジファンのケンカ(あ、これはライブではないですね)……。

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スキー場の緩斜面を利用した観客スペースは、その足元のぬかるみから、音に合わせてリズムを取るたびに前方へズリズリと滑っていく。ステージ前にどんどん人が滑ってきてギュウギュウになってきてしまうものだから、前方にいればいるほど押しつぶされそうになり、悲鳴や罵声が上がる。その度に、バンドは演奏を止め、スタッフの「下がってくださーい。このままじゃ中止になります」というアナウンス。そして、間隔をとるために皆が緩斜面を登る。

ライブ中、幾度となくそれを繰り返した記憶があります。

出店ブースを出していたTOWER RECORDの黄色のビニール袋を頭からかぶり、両足の靴の上から袋を履いて巻き付ける。それらがもはやなんの意味もないことは誰の目から見ても明らかなのですが、それ以外なす術がない人が多数。そして、それすら諦め、ただ、ずぶ濡れのTシャツとデニム、または短パン姿の人たちで会場は溢れかえっていました。

ほぼすべての観客はただ台風の中、丸腰で豪雨に立ち向かうしかありませんでした。

気温もグッと下がり、毛布の貸し出しもありましたが、それにくるまってみても、軒先であったとしてももちろん雨でグチョグチョ。とにかく冷静になったら状況に気持ちが負けてしまいそうになるので、ステージに詰め寄って音楽に集中するしかない。そして、時に、先輩たち4人と手を繋いで円を描きながらクルクルとまわり続けるという意味不明な奇策で現実逃避するという荒業に転じたことを今でも懐かしく思い出せます。

鳴り響くたまごっち。

そして、救護室に運ばれていく方たちのパンツのポケットあたりから餌を要求しているであろうたまごっち(当時、大流行していました)のかよわい声がピーピーと。でも、私の耳にはかなり大きく鳴り響き脳内を反響したことも覚えています。会場の入り口横には救急車も止められていました。

なんだ、ここは!

私は初めて肉眼で観たヘッドライナーのレッチリに狂喜乱舞しながらも(もちろん、全身ずぶ濡れ&泥だらけ)、会場をとりまくただならぬ不穏な空気を一生懸命振り払っていたように思います。

そして、台風一過の2日目。近隣の方からの苦情や安全性確保の問題などが理由のフジロックは中止となりました。

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前置きが長くなってしまいました。

3年目から場所を苗場にうつし、21年目を迎えた今年のフジロックに再び台風が直撃しました(厳密に言うなら2年連続で台風の影響を受けたのですが、今年に比べたら昨年は雨より風が強かった印象)。私の記憶と比べると、たぶん第一回目の台風よりも雨足は格段に強かったと思います。会場内を流れる川は増水し、ステージ間をつなぐ橋が決壊するのではないか、と不安にもなりました。「明日は中止になるかもな」と、池のように水が貯まっていく会場の様子を見つめ、第1回目のフジロックの記憶を思い出しながら、私はヘッドライナーのSIA終了後に会場を後にしました。

でも、フジロッカーは強かった。

いいや、フジロックは強かった。威風堂々と。貫禄さえ感じるほどに。

もし、この台風がフジロックではない日本で行われる他のフェスを直撃していたら、すぐに中止になっていただろうし、たぶん大惨事が起きていたかもしれない。苦情の嵐で運営側を窮地に陥れたかもしれない。

とにもかくにも、何事もなかったかのように台風一過の3日目を飄々と迎えるフジロッカーたち。経験により、人は強度は増す。何事もなかったようにたくさんの人が3日目を楽しむ光景に私は感動すら覚えたのでした。

もちろん、昨今のアウトドア人気にともない、各社競い合うように発売されるウェアやギアの機能も、安全面を確保する運営側のオペレーションも格段に向上していることに疑う余地はありません。

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一方、いろいろなマナー問題が噴出し、SNS上などで議論もなされています。

そこに運営側が厳密な規制を強いるのではなく、参加者全員の「思いやりという想像力」でクリアしていけるかもしれないという可能性が、大袈裟に言うなら希望がフジロックにはあるのではないか。それが最大の魅力なのだと初回から通い続けている私は思うわけないのです。

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どうぞ、このまま自由と責任のフジロックでありますように。

関わる人たちすべてがどんどん意識的に能動的になることで、より良く、より強くなっていく。そんな素敵スパイラル生まれる「場」であることが、フジロックがフジロックたる所以だと思うから!

翻って、私。

「場」があることで、そこに関わる全員のポテンシャルがグングンと成長し続ける。それにより「場」が持続可能になる。

数年単位で読者の方と物語を共有でき、互いに成長できるようなあり方って何だろう? 良質な記事をつくって発信するという以外に、メディアに携わる自分がつくるべき「場」について、ずっとずっと考えています。

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