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消耗し合う関係はもういらない

いつだって弱さを見せるタイミングがわからないんだ。

私はたぶん最初の印象が良くて、もしかしたら人はそうなのかもしれないけど、

優しさと厳しさ、弱さと強さ、明るさと暗さ、大雑把さと繊細さ

様々なところのコントラストが激しいから明るい面への期待を感じると自然と心が閉じてしまうんだと気付きました。

人の期待を裏切るのってこわい。

がっかりした気持ちを感じると罪悪感でいっぱいになるんだ。

そもそも人から感じる期待なんて、わたしの妄想なのかもしれないけど。

「この人なら〜してくれるんじゃないか」を感じると無視できなくて、無理矢理がんばってみたりするけどそういう時は死ぬほど苦しい。


上司のアドバイスで、自分の目標を叶えたいならまずは相手の目標を叶えること、相手の期待に応えることって話があってここ1ヶ月くらい実践してみたけど、私には合わないみたいだ。

どんどん大きくなる期待に、自分を消耗しちゃうし設定した未来を見失う。

自信を裏付けてくれる期待は人を成長させてくれるし踏み出す勇気をくれるけど、〇〇して欲しいみたいな期待は人の負を埋め続ける行動なので疲れる。

第一心からの尊敬や好きがないと応援できないし上手くいかない。

そして何より歯車が合わなくなってくるんだ。

歯車が合わなくなってくると、相手もがっかりするし、自分も疲弊する。

人はあくまでも人だし、他人が期待でコントロールしていいところじゃない。


たぶん器用にやればいいんだけど、人づき合いは真っ直ぐでいたいっていう私の性格と、人は人として対等であるという考え方がそうさせないのだと思う。


余談だけど、人や人間関係を「使う」っていう表現はいつまでもしっくりこない。

使うという言葉に消費するっていうイメージがあるからだと思うけど、人と過ごすなら濃く深く育てていける関係でありたいし、思いやりを持っていつでもあたたかい気持ちでいたい。

だから私は、自分がワクワクできる目標を持って進みたい。

それに向けて動き続けて、その波を少しずつ大きくしていきたい。

波が合わさって大きくなる人を大切にしたいし、その人の応援者になりたい。

誰かを消費してしあわせな気持ちにになんかなれない。


最初の文章に弱さって書いたけど、ここまで書いてみて、見せられないのはその人に合わない自分なんだと気付いた。

人と人は合わなくて当然。

育った環境も育った価値観も違うんだから。

合う部分があったらラッキー、そう思うだけで楽に過ごせる気がします。


ひとつひとつ宝探しをするみたいに、人を知って、素敵な出会いを紡いでいきたい。











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