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余白と持続可能性の大切さ

月曜日、全身の痛みと息苦しさで起き上がれなくなってから3日。なんとか気持ちと体がリセットされてきたように思います。

5月はやりたいこともたくさんあって楽しくて、会いたい人にも会えて、話したいことをたくさん話せて、たくさん笑えて、すごく楽しいことがたくさんあって、嬉しいお誘いも増えてワクワクしていました。

いろんなことが回り始めて楽しかったんですが、急に不安や寂しさや怖くなる気持ちが湧いてきたのです。

その原因がわからなくて、また世界が灰色に見える毎日が戻ってきたらどうしようって心配で仕方なくなったし、その日々が来るなら全てを投げ出したいとも思いました。

でも、白か黒、0か100の気持ちになっているときは冷静ではないはずと思い直して不安と怖い気持ちに向き合ってみることにしました。そのためにはまず体力が回復していないとと思ってとにかく大人しく体の回復を待つことにしました。

ひたすら寝て、漫画を読んで、のんびりとする。

食べたいものを出来るだけ丁寧に作ってゆっくり食べる。

そうしてゆっくりと回復していくうちに冷静になって考えることができるようになりました。


怖いは、期待に応えられるか、人をがっかりさせないかっていう気持ちが原因でした。失敗して人に「ダメな人」って思われることがすごく怖かったんです。

以前もちょこっとだけ書きましたが、誰かがそれを言い始めるとその場所に居づらくなってしまうとか、一度貼られたレッテルを剥がすのは難しいというのは職場などの仲間内ではよくあることだと思うのですが、私は基本的に人の弱点をダメな部分って感じないので、その感覚自体がわからず、自分が思われるタイミングもわからないので怖いのです。

ゆっくり考えればそういうことを言ってくる人が全員じゃないし、声の大きい数人が言ってるだけのことなんですけど、当事者になっちゃうと気付けないだろうし、周りで見てる人もそれが正解だと思っちゃいますよね。

一緒に作ってくれる仲間や応援してくれる人を見失わないようにしたいなと思いました。

不安は、失くさなくていいものだと知りました。新しいことを始めたら不安は当然やってくるもので、不安を感じることは今安心する必要がないことなのだと知りました。

不安のまま進んでいいということを知りました。

不安はどうにかしようとすると大きくなります。不安を解消しようと動けば動くほど存在が大きくなっていったのです。諦めて、仕方ないと思って隣に置いておくことにしたらいつの間にか存在が小さくなっていきました。

不安はあって当然のもの。新しい場所へ向かってる印なのだと思いました。

寂しさは大好きからくるものだと知りました。好きが増えるほど、寂しく思う気持ちも出てくるものだと知りました。

愛しいって思う人たちに出会うほど、好きな人たちと過ごす時間が増えるほど、寂しいって思うのだと思います。でも、私はひとりなんだって感じる時間てすごく大事だなと感じました。

ひとりって感じるというと悲しい表現に見えますが、私が私だって感じる時間なんだと思います。私は何を感じているのか、どんな人なのか、何をしたいのかを思い出す時間なんだと思います。


怖いも不安も寂しいも、悪いものって思わなくてもいいって思うのと同時に気持ちのエネルギー消費が激しくて、体が疲れると、気持ちを支えられなくなってしまうことを知りました。

新しいことに挑戦する時ほど、自分の体と気持ちを大切に。これを忘れずに進んでいこうと思うのです。

燃え尽きるより続けることの大切さ。




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