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環境経済学とは?(中)5つのシゴト

横尾です。一橋大学経済学部で「環境経済学」の講義を担当しています。

このコラムでは、そもそも「環境経済学とは?」を投資家やそれ以外のビジネスマンの方、さらには大学生、高校生も念頭に紹介していこうと思います。
上・中・下の3本構成の2本目です。

この前の1本目の記事はこちら:


1本目の記事「環境経済学とは?(上)」では、「環境学であり、経済学であり、政策学である」と述べました。
この記事では、そんな環境経済学の研究を行う「環境経済学」者は、こんなことをしています、という形でこの分野を紹介したいと思います。


「環境経済学」者のシゴト1:
環境問題が「どのくらい問題か?」を見える化する。

環境経済学の研究者の多くが取り組むのが、様々な環境問題の「影響の評価」です。
例えば、気温の上昇、大気汚染、水汚染、生物多様性の損失。
こういった「自然環境の変化」が人間の社会に与える影響を評価します。

その際に用いるアプローチは主に3つです。
第一に、統計学的な因果推論です。または、計量経済学的分析とも言い換えられます。
まずは、環境汚染や気象のデータ(X)を収集します。次に、人間や社会の状態のデータ(Y)を収集します。例えば、健康状態。あるいは、農業の収穫量や家庭の所得や個人の不快感などの感情。
そして、統計学の手法を用いて、XがYに与える効果(環境汚染の影響)を定量的・確率的に評価します。

第二に、マクロ経済学の理論に基づいて人間の社会を数理モデル化します。ただし、通常のマクロ経済学理論のモデルと異なり、その中に「自然環境」という要素を追加します。
その上で、実際のデータからこの数理モデルの形状や係数をあてはめます。
そして、「コンピューター・シミュレーション」を行います。
これにより、「自然環境の変化」によって人間の社会が被る損害を定量化します。

なお、この二番目のアプローチを創始したアメリカの環境経済学者にウィリアム・ノードハウスという人がいます。
このノードハウスは「長期のマクロ経済学的分析に気候変動を統合した」業績を理由に2018年のノーベル経済学賞を受賞しました。

なお、日本語でも読めるノードハウスの書籍としては下記があります。

第三に、マーケティング調査のようにアンケートを行い、人々が感じている「自然環境の価値」を貨幣換算するというアプローチがあります。
「環境評価」や「環境経済評価」と呼ばれる分野になります。
アンケートで集めたデータをまた計量経済学的に分析します。
こうして、「海水浴」や「森林浴」から人々が享受する満足度や、「美しい景観」や「絶滅危惧種の保護」に人々が置く価値を見える化します。

「環境経済学」者のシゴト2:
新しい環境政策をデザインする。

さて、上記の研究の結果、人為的な「自然環境の改変」が人間に悪影響を与えていることが分かったとしましょう。
例えば、人為的な温暖化、工場等からの大気汚染、有害な廃棄物の散乱が、
健康の悪化、生産量の減少、その結果としての所得や生活水準の低下を招いているとします。

そうだとすると、その環境汚染の原因となる活動を禁止すればいいでしょう。
環境政策の最初のオプションがこの「環境規制」だと言えます。

さて、この環境規制「以外にも」環境政策の手法がたくさんありうる、というのが環境経済学の出発点ともいえます。
そこで、この規制的な手法だけでなく、「そのほかの環境政策の手法」を理論的に開発する、
この「新しい環境政策をデザインする」が環境経済学者のシゴトその2になります。

例えば、環境経済学の出発点ともいえるのは「カーボン・プライシング」に代表される、「価格シグナルを政策的に変える」という政策手法でした。
これは規制的手法との対比で「経済的手法」と呼ばれます。
このほかにも、多様な「環境政策の手法」を理論的に開発・設計することをしています。

では、理論的に「政策をデザイン(policy design)」するとはどういう作業になるのでしょうか?
経済学者はまず、個人・家庭・企業・政府などの行動を「数学的に表現」します。
ここでは、ミクロ経済学理論が応用されます。
そして、数学的に表現された生産活動、消費活動などを「変える政策・制度」を、また、数学的に表現します。

こんな風にして、新たな環境政策を理論的に開発していきます。

「環境経済学」者のシゴト3:
環境汚染削減のコストを見える化する。

次のシゴトでは、開発した環境政策を導入し、環境汚染を削減することの「大変さ」を評価します。

新たな環境政策が入ることで、これまでとは企業のビジネスのやり方やご家庭の生活スタイルを「変えてもらう」ことになるでしょう。

なぜならば、それにより環境汚染を減らすことが政策のねらいだからです。

これはこれで、お金も人手もかかります。
例えば、企業にとって、これまでの生産プロセスやサービスの提供の仕方を変えて、そもそも投資を行って、「環境汚染を削減」することになります。
家庭にとっては、支出や生活を変える労力に加えて、その大変さという心理的なマイナスもあるかもしれません。

こういった環境汚染削減の大変さを、可能な限り可視化することを試みます。

そして、その環境政策を実施して汚染を削減するコストと、それによって減らせる環境汚染からの悪影響(シゴト1で推計済み)を比較して、その環境政策を実施するべきかどうか判断するわけです。

このアプローチを使うことで、さらに、複数の「環境政策の手法」についても比較が可能となります。
シゴト2で開発した複数の環境政策手法のうち、どの手法が「より少ない汚染削減コストで、悪影響をより大きく減らせるか?」を比較することが可能になります。

作図:LAIMAN


「環境経済学」者のシゴト4:
環境政策の効果を確かめる。

さて、理論的に何かしらの環境政策手法をデザインできたとしましょう。
あいにく、ほとんどの場合でそれは机上の理論にすぎません。

ある環境政策を大々的に実施する前に、まずはそれが「本当に効果があるか?」「うまく機能するか?」を検証したいですね。
そこで、政策の「事前評価」をするのもシゴトの一つになります。

現状の環境経済学者の事前評価のアプローチは主に3つで、
1)ミクロ経済学理論を使って企業と家庭の活動を描写する数理モデルを構築し、現実のデータからそのモデルの詳細を推計し、こうして数値計算できるようになった数理モデルを使って政策の効果を「シミュレーション」します。
これはコンピューター上での政策の事前評価といえます。
2)「教室(ラボ)実験」と呼ばれる方法で、排出量取引制度などが理論の予測通りに企業などの行動を引き出すか?を検証します。
これは、コンピューター教室や会議室に一般の方・学生・ビジネスマンにお越しいただいて、机上演習的にロール・プレイをするイメージです。
3)「現実社会での実験」をします。
全国で一斉に政策を実施するのではなく、一部の地域で小規模に政策トライアルをするイメージです。
「ランダム化比較試験(RCT)」というデザインがしばしば採用されます。

これら3つのいずれかを用いて政策を実施前に評価します。
(ただ、実はこの政策の「事前評価」はまだまだ日本社会では普及していないとも言えます。)

さて、晴れて環境政策に現実社会での効果が期待でき、(次のシゴト5のプロセスを経て)それが実際に社会に実装されたとしましょう。
その後に時を経て、その環境政策が「本当に効果があったか?」「予想外の副作用などはなかったか?」を検証することも有益です。

これは環境政策の「事後評価」といえます。
政策レビューにあたりますし、何年も前の政策を歴史研究的に振り返って検証する場合もあります。

例えば、政策の有無を表す指標(T)を考えます。
そして、環境汚染や気象(X)に対して、Tの有無が与えた「政策の効果」を評価します。
さらには、その結果として人間や社会の状態(Y)を改善したかどうかも見ます。

この「環境政策の因果効果の評価」には、シゴト1と同じく統計学的因果推論のアプローチを用います。
なお、2021年のノーベル経済学賞はこのような「政策の因果効果の評価」の理論を構築した3名の計量経済学者たちが受賞しました。

彼ら計量経済学者が開発した手法を応用することとなります。

以上の「環境政策の事前&事後の評価」がシゴト4となります。


ここまでの4つが「研究面」での環境経済学者のシゴトの分類といえます。
筆者の認識では、環境経済学の研究は上記の4つのシゴトにおおむね分類できます。
あるいは、4つのシゴトに繋がる基礎的な研究をしているイメージです。

「環境経済学」者のシゴト5:
環境政策を社会に実装する。

最後の5つ目のシゴトだけ毛色が異なります。
研究ではなく、その研究成果の「社会実装」の働きかけとなります。

シゴト2「環境政策のデザイン」は、正直に言えば、政策・制度の大まかな理論的根拠を提示する程度です。
具体的な政策やさらには法律に落とし込んでいく上では細かい点を詰めていく必要があります。

このような詳細な政策立案と制度設計は…研究者の手を離れて、実務者にゆだねられます。
この政策立案を行うのは、日本で言えば、議員のみなさんと、経済産業省、環境省、農林水産省などで働く国家公務員のみなさんです。
あるいは、地方自治体の公務員さんたちです。
また、その政策立案をお助けするシンクタンクや政策系コンサルタントの方々です。

そういった実務者と陰日向(かげひなた)で意見交換し、そういったみなさんに貢献できるように建設的な提案をする。
時には、過去の環境政策の事後評価結果をフィードバックする。
あるいは、書籍やウェブサイト上で政策提言を行う。
これらの環境政策の社会実装に向けた取り組みもまた「環境経済学者のシゴト」であると筆者は考えています。


まとめ

以上、「環境経済学とは?」の2本目の記事として5つのシゴトを紹介しました。
長くなってしまいましたね。

つづきの記事では、再び、「環境経済学」を言い換えてみます。

2023年6月版 横尾

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3本立てコラムの次の記事はこちら:


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