06_冥王17_ヘッダ

神影鎧装レツオウガ 第五十三話

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Chapter06 冥王 17

『kill me』
 三百年以上前。地獄の火《ヘルファイア》クラブが終焉したその日から、ひたすらに自身の再生を求め続けてきた男達の、最初で最後の懇願。
 その重さに、コクピット内の誰もが、一瞬言葉を失う。
『殺してくれ、か』
 ぽつりと。
 静寂を最初に破ったのは、モニタの向こうに居る冥《メイ》だった。
『よもや、僕の前でそんな妄言を吐くヤツがいるとはな。大したもんだ』
 くつくつと、冥は笑う。
 双眸が、熱を帯びていた。
『良かろう、望み通りにしてやる。ファントム4、ブレード・スマッシャーだ』
「ええっ!? ど、どういうコトなの冥く……じゃなかったファントム2!?」
『ファントム3だよ。2だったら雷蔵《らいぞう》になっちゃうじゃあないか』
 淡々と訂正する冥。だが驚いていたのは風葉《かざは》だけではない。辰巳《たつみ》と巌《いわお》も同様だ。
 立体映像モニタ越しに、巌は冥をじっと見る。
『おいおい、ちょっと待ってくれファントム3。権能を全部解放するつもりか?』
『ああ』
『それがどういう結果をもたらすのか、分かっているのか?』
『当たり前だ。そもそも僕は二年前不本意に呼び出された禍《まがつ》なワケだらかねえ』
『えっ?』
 目が点になる風葉。だがこの場で冥の正体――禍である事に驚いているのも風葉だけだ。
 だから、冥は淡々と並べていく。
 状況を打開する、策を。
『僕が本来の力を全解放するには、大量の霊力が必要だ。現状、その為に用意されてる選択肢は二つ。一つは、管理者である五辻巌《いつつじいわお》が僕へ霊力を供給する事』
 これは凪守《なぎもり》に公式登録されている方法だが、実のところは骨抜きにされた、絶対に出来ないやり方だ。
 巌は自らの霊力を、上層部への恭順の意味合いも込めて、とある施設の維持にほとんど割いているからだ。
『――』
 ヘルガ。口中へ上りかけた名前を、巌は飲み込む。代わりにつぶやく。
『――まあ、無理だな。カートリッジへの充填とかもある以上、冥へ回せる霊力は身体の維持で手一杯だ』
 欺瞞。いや、ある意味間違いではないのか。信念に凝り固まった巌の有様、それ自体は好ましく思っていたが――こんな状況下では歯痒いものだ。
 故に、冥はもう一つの選択肢を提示する。
『もう一つは、僕が自分自身の身体を崩す事。自壊術式の名前通りにね』
 こちらも公式に登録されており、オーディン・シャドーと交戦した際、発動しようとした方法がこれである。
 あの時は風葉のがんばりでおじゃんになってしまったが、この方法を使えばすぐにでも必要霊力を捻出出来る。冥の身体を構成している霊力を、そのまま自壊術式へ転化するからだ。
『だが、それは』
 苦い顔をする辰巳。その顔が映る画面へ向けて、冥は三本指を立てる。
『けどね、思いついたのさ。三つ目の選択肢を』
 言いつつ、紫色の転移術式を展開する冥。巌は続きを促す。
『それは?』
『ファントム5の協力だよ』
「えっ?」
 目をしばたく風葉。それとほぼ同時に、背後へ現れる紫色の術式陣。
「えっ?」
 振り向く風葉。そこには自分と色違いの鎧装を装備した冥――もといファントム3が、術式陣を通って来た所であった。
「と言う訳でファントム5、よろしく頼むよ」
「い、いやいや! よろしくされても何が何だか分からないんですけど!?」
「なに、単純な話さ」
 ぽん、と冥が風葉の肩に手を置く。ぞっとするほど赤い唇が笑う。
「まずは僕に任せてくれればいい」
 次の瞬間、風葉は荒野の中に立っていた。
「は?」
 視界いっぱいに広がるのは、赤とも黒とも言い難い寂寞とした荒野。生ぬるい風は相変わらず吹き続けていて、死と終焉のにおいを否応なく送り込んでくる。
 この風景を、風葉は知っていた。グレイプニル・レプリカを解いたあの時、強引に乗り込んでしまった心の中だ。
「ここ、は」
 風葉は辺りを見回す。疑問が膨らむ。
 何故、ここに来てしまったのか。何故、フェンリルの姿が見えないのか。
 そして、何よりも。
 何故自分は、こんなにも安らいでいるのだろうか。
 錆びた鉄と、爛れた死のにおいしかしない場所だというのに。
「……なんで?」
「そりゃあ、僕が繋がせて貰ったからさ」
 背後から聞こえた回答に、風葉はすぐさま振り返る。
「ぅわっ!?」
 そして、声を上げた。
 まぁ無理もない。前回は地平線の向こうに居たフェンリルが、自分の真後ろに立っていたのだから。
 相変わらずの巨躯を晒すフェンリルは、風葉にその背中を向けている。主を守るように、というより侵入者を警戒するような格好だ。ぐるぐると喉を鳴らしてもいる。
「?」
 なんだろうと足の横から覗いてみれば、そこにはファントム3こと冥が小さな笑みを浮かべていた。
「やぁ。その様子だと、大分馴染んだようだね」
「冥、くん? 馴染んだって、どういう意味?」
 フェンリルの横を通り、小走りに冥へ駆け寄る風葉。その足下から伸びる影は、フェンリルと繋がっている。冥は見逃さない。さっき聞いた通りだ。
「言葉の通りだよ。それがあるから、僕はこうしてフェンリルの寝床……霊泉領域《れいせんりょういき》に干渉した訳だしね」
「あ、ここってそういう名前だったんだ」
 ――心の奥の更に底、霊力の湧き出す原泉。それがここ、霊泉領域だ。
 霊力を扱う者にとって、ここは最も重要な場所だ。ここからどれだけの霊力が発せられるかで、術者としての素質は決まってしまうのだから。
 また禍が憑依する場所も大抵はここであり、だから冥はここへ自分と風葉の意識を引っ張って来たのだ。
 先程言った三つ目の選択肢を、実行するために。
「まぁ、とにかくだ。僕が本当の力を発揮するためには、かなーりたっぷり目の霊力が必要でね」
 言いつつ、冥はタブレットを操作。画面から投射される霊力光。正方形の像を結ぶ。
「その分の霊力を、風葉とフェンリルの力で是非とも捻出して欲しいのさ」
 そう冥が説明する傍ら、光の正方形内部では小さな文字がぞろぞろと並んでいく。
 どうにも小難しい文面ではあったが、一言で現すとすれば、それは。
「……契約書?」
 下の方にある署名欄などから、風葉にはそうとしか見えない。
 そして実際、その見立ては正解であった。
「そうだね。僕と風葉の霊力経路を結ぶための、儀式みたいなものかな。何せこの僕と霊的な繋がりを持つためには、相応の素質が必要だからね。禍経由とは言え、それを持ってる風葉は光栄に思っても良いんだよ」
「そう、なの?」
 言葉の意味がイマイチ飲み込めず、風葉はフェンリルを仰ぎ見る。灰銀色の横顔は、油断無く冥を威嚇するのみだ。冥は小さく肩をすくめる。
「とにかく、その契約書にサインしてくれ。経路が出来なきゃ何も始まらないんだしさ」
「ん、ん。分かったよ」
 何だか微妙に腑に落ちなかったが、とにかく風葉は契約書に目を通す。
 文面自体は微妙に小難しかったが、内容は冥が言った通り霊力経路の構築に関するものであった。
「ふぅん。ファンタジーで良く見る、召喚獣との契約みたいなものなのかな」
 と、そう言って風葉はふと気付く。
「こういうのってもっとこう、魔法陣とかむつかしい呪文とかを使う、おごそか儀式みたいな感じだと思ってたなぁ」
「おや、そういうのが好みだったかい? やろうか?」
「え、出来るの?」
「そりゃね? そういうのを編纂したのが術式なんだし。ただまぁ、結構めんどくさくなるね。例えばそれの文章を全部諳んじたりとか」
 光の書類を指差す冥。浮かび続けている正方形の中には、法律のように小難しい文面がびっしり並んでいる。
「……このままでいいです。舌噛んじゃうよ」
「懸命な判断だ」
 頷く冥。程なく風葉も書類を読み終え、つつがなくサインを完了する。
「これで、いいのかな。にしても、さっきも言ったけど私は何でまたここに連れて来られたの?」
「理由は二つあるよ。一つは時間の短縮だね。霊泉領域は心の中だから、時間の流れを任意で変える事が出来る。現実ではようやく五秒経ったくらいかな」
 言いつつ、冥は手をかざす。光の書類は回転しながら小さくなり、タブレットの画面へ吸い込まれる。
「もう一つは、さっき言った素質のためさ。普通のニンゲンなら僕と接続した時点で精神に異常をきたしかねないけど――」
 ちら、と冥はフェンリルを見上げる。
「――ここなら、僕と同じ死と破滅を内包したフェンリルを、簡単に経由する事ができる。その為の契約書だった訳だしね」
「え?」
 さらりと混ざった不穏な一言に、風葉は眉をひそめる。何せ今し方読んだ契約書には、霊力経路構築についての説明しかなかったからだ。
「それって、どういう」
「さて。主の了解も得た事だし、早速経路を繋がせて貰おうかな……ああ、もちろんこの場においてはキミに従うから安心してくれたまえ、オオカミ先輩?」
 イタズラっぽく冥がウインクした直後、その足下の影が生き物のように伸びた。
 月も無いのにするすると這う黒色は、フェンリルの足下にわだかまる影へ、音も無く接続。
 この瞬間。風葉は、冥・ローウェルという禍の正体を、理解した。
「う、そ」
 例えば、地獄の火洞窟でグレンを圧倒出来た理由。あれは、かつて亡くなった武術の達人の記録を、冥界から自身へ転写していたからだ。
 規格外の能力。だがそれですら、冥の真の力の一端に過ぎない。
 風葉は冥を見る。紫の双眸が見返す。うっすらと、笑みをたたえている。
「あ、の」
 何か、風葉は言おうとした。
 だが、何を? そうして迷っているうちに、荒野は黒く溶けていく。冥が接続を解除したのだ。
「ちょっ、あの、冥くん、じゃなくてその……!」
 ブラックアウトしていく視界。その灯火が消える最後の瞬間、風葉は見た。
 紫に輝く豪奢な鎧と、重厚なマント。背丈はスラリと高く、長髪に半ば隠れる横顔は、それでも凍り付くような美貌をたたえており。
「呼び名はそのままでいいよ。どうあれ、ご覧に入れようじゃないか。この僕の、冥王《ハーデス》の力の一欠片を」
 真の姿を現した冥は、ギリシャ神話に謳われた冥王ハーデスは、歌うように言い放った。

◆ ◆ ◆

「……。あ、れ」
 気付く。レックウのシートに跨がる自分を、風葉は発見する。これはまぁ、以前激昂した時と同じだ。
 時間は、冥が言った通りさほど経っていない。バハムート・シャドーとの距離がそれを物語っている。これも前と同じだ。
 違うのは、己の内にある霊力の流れだ。
 霊力。息をする度に、心臓が跳ねる度に、渦を巻いていた凶暴な力。
 風葉は感じ取る。身体の中、レックウ、レツオウガ。今まではそれくらいしか繋がっていなかった経路が、新しく増えている事を。
 目で追う。その先に居るのは、当然ながら冥だ。相変わらず薄く笑っている。
 感じ取る。経路の先にあるのは、黒く冷たい、絶対的な力の片鱗。
「は、はは」
 開けてしまった扉の巨大さに、今更ながら風葉は笑う。
 だが確かに、これなら現状を変えられる。怪盗魔術師の懇願に、応える事が出来る。
 だから、風葉は頷いた。冥もまた、頷き返した。
「さぁファントム4、ブレード・スマッシャーを使うんだ。準備も出来た」
 そして冥は、楽しげにそう言った。
「さっきから何言ってんだ? アイツに通用するはずが……」
 言いかけて、辰巳は目を見開いた。レツオウガの内部に異様な霊力が流れ込んで来たとあれば、さもあらん。
 例えるなら、それは毒の一滴。全体量から見ればごくごく微量な、しかし決定的にレツオウガを変えてしまう劇薬。
 その劇薬を操る術式の名を、辰巳は呟く。
「自壊、術式」
 以前、オーディン・シャドーと戦ったあの時。風葉がグレイプニル・レプリカを外す直前まで、ファントム・ユニットが使おうとしていたレツオウガの最終手段。
 その正体こそ、冥・ローウェル――もとい、冥王ハーデスの統治する冥界の瘴気なのだ。
「何考えてんだ!? 俺やオマエはともかく、ファントム5まで死んじまうぞ!?」
「だから心配ないんだよ。そのファントム5の協力が、折良く得られたからね」
 冥がそう言う傍ら、レツオウガの霊力経路上へ術式が展開。レツオウガの纏うタービュランス・アーマー、その灰銀の輝きが、紫色に塗り変わる。
 自壊術式が、冥王の力が、顕現し始めたのだ。
 その有様に辰巳は血相を変えかけたが、しかしすぐに得心する。
 霊力経路の大元に風葉が、フェンリルがいる事に気付いたからだ。
「こ、れは」
「分かるだろう? このやり方なら自壊術式を使ったとて、コクピット内の誰かが死ぬ事は無いし、僕も消えない。遠慮無く力を使えるのさ」
 ころころと、鈴のように冥は笑う。
 ――そもそも自壊術式とは、冥王ハーデスの力を引き出すための術式だ。オウガローダーを移送していた紫の術式陣、ヘルズゲート・エミュレータも、元はその延長に当たる。
 冥の思い通りの場所へ展開出来る代わりに、踏み入った生物は例外なく即死する紫色の転移術式。
 なぜ、そんな性質を保っているのか。
 答えは単純だ。あの門は、冥王ハーデスの統治する冥界に繋がっているからだ。
 一旦冥界《あちら》へ入った後、現実世界《こちら》の別座標へ繋がる門をもう一つ開き、潜る。こうする事で、擬似的に転移術式と同じ運用をしていた訳だ。
 術式陣の向こうにある冥界には瘴気が充満しており、生きとし生けるものの存在を絶対に許さない。触れたが最後、それが生きている限り絶対に抹殺するのだ。地獄の火洞窟で花束が死んだのはこのためである。
 そして本来の自壊術式とは、この瘴気をハーデスの名の下に召喚し、行使するための術式なのだ。
 原理自体は完璧なのだが、霊力越しとは言えどうしても瘴気に触れる都合上、引金を引いた術者は絶対に死ぬ。どんな防護策を用意しようと、世の理から外れた力には意味がないのだ。
 だが。
 ここに風葉が、フェンリルがクッションとなる事で、問題は一気に解消される。
 北欧神話の最後を飾る最終戦争《ラグナロク》。そこに刻まれた死と滅びを、フェンリルは司っている。ギリシャ神話の冥王ハーデスと同じ、死と滅びを。
 だからフェンリルを、風葉を経由すれば、術式を精密にコントロール出来る。コクピットへの影響を無くす事が出来る。冥はそう踏んだのだ。
 加えて、今のレツオウガは先程のフェンリルファングによって、十分な霊力が充填されている。冥が身体を崩す必要も無い。
 だから冥は、風葉と霊力経路を結んだのだ。
「さぁ、さっさと準備してくれファントム4。暴発しても知らんぞ?」
 相変わらず笑い続ける冥に、辰巳もまた薄い笑みを返した。
 ほんの少しの緊張と、揺るぎない信頼を込めて。
「何て事を、してくれるんだかな……! セット! ブレード!」
『Roger Blade Etherealize』
 まず辰巳は、先程投擲してしまった左ブレードを再構成。そのまま右の刀身を合わせるように、ゆるりと並行に構える。
「モードチェンジ! アッセンブル!」
 二つの刀身に紫電が走る。冥王ハーデスの霊力を受け、妖しく輝く二本の刃が、鏡あわせのように重なる。
『Roger Executioner's sword Ready』
 二つの刃が、一振りの剣となる。オーディン戦の時とはまるきり違う、本来の霊力によって起動した術式が、今度こそ本当の姿を顕現させる。
「行、く、ぞっ!」
 突貫するレツオウガ。既にバハムート・シャドーは大気圏の目前に迫っている。猶予時間はほとんど無い。
『GG、RRRRRROOOOOOOOッ!』
 そんなレツオウガの接近に気付いたのか、バハムート・シャドーの体表が激しく蠕動、幾百もの触手がミサイルのように射出された。しかもいくつかの先端には、スケイル・カッターを思わせる回転刃が備わっているものさえあり。
 それらがレツオウガを、冥界の使者を始末すべく、三百六十度から殺到する。
「す、ぅ」
 相対する辰巳は、レツオウガの加速を一切緩めない。むしろ更なるブーストをかけながら、構築完了したばかりの刃を構える。
 以前の歪な物とは、まるで違う。
 無垢で、長大で、ぞっとするほど美しい両刃の剣。
 絶対零度の宇宙より、なおも冷たい輝きに濡れるその刃を、レツオウガは構える。
「ふッ!」
 そして、まっすぐに突き出す。触手回転刃の表面を撫でる。ミリ単位、切っ先が沈む。
 それで十分だった。
 刃は回転を止めるより先に塵となり、横を過ぎるレツオウガの推力余波で粉々になった。
 これが自壊術式だ。冥界の瘴気の威力だ。
 まさしく、立ちふさがったあらゆる敵を処刑する剣なのだ。
「ふふ」
 冥は笑う。酷く楽しげに。
「とんでもねえ、なっ!」
 辰巳は剣を振るう。バハムート・シャドーを止めるため、立ち塞がる触手の群れを斬り伏せ、斬り伏せ、斬り伏せる。
「む、むむ」
 そして風葉は、霊力を捻出し続けている。この世ならざる力を無理矢理に引き出す自壊術式は、今まで以上に大量の霊力が必要なのだ。タービュランス・アーマーの必要量なぞ、歯牙にもかけぬ程の量が。
「五辻、くん。長くは、持たないよっ」
「分かっている! それとファントム4だ!」
 いかんせんバハムート・シャドーは巨大極まりないため、ブレード・スマッシャーは十分当てられる距離にある。
 それでも辰巳がバハムート・シャドーを追うのは、直線上に地球があるからだ。万一にも地球へ処刑剣の余波を与える訳にはいかない。
 幸いレツオウガの加速力はバハムート・シャドーのそれを上回っており、触手の群れもまったく足止めにならず。
「捉え、たっ!」
 叫ぶ辰巳。バハムート・シャドーの正面へと回り込むレツオウガ。
 恐ろしく地球が近い。推力は十分だが、気を抜けば重力に絡め取られてしまいかねない。
『GGGGGRRRRRRROOOOOOOOOOOOOOO!!』
 前を向けば、苛立ちを隠そうともしないバハムート・シャドー。無理もない。餌場を前にして、またもや鬱陶しい蠅が現われたのだ。
「そう怒るなよ、とっておきのプレゼントを持ってきたんだ」
 各種アラート。近付く大気。のしかかる重力。何よりも、バハムート・シャドーの口腔で燃え上がる炎。
 矢継ぎ早に襲い来る脅威。その波を前に、それでも辰巳は静かに処刑剣を構える。
「受け取れよ、怪盗魔術師――!」
 刀身を下に、身体を斜めに。脇構えに似た姿勢を取るレツオウガ。
 巨大な口をいっぱいに開き、最大出力のメガフレア・カノンを放とうとするバハムート・シャドー。
 一触即発。先んじたのは――レツオウガの再加速と、辰巳の咆哮であった。
「ブレードッ! スマッシャァァァァァァーッ!!」
 解き放たれるは真のブレード・スマッシャー。両刃の刀身から解放されたハーデスの力が、紫の光となって迸る。
 その光をなびかせながら、レツオウガは飛んだ。バハムート・シャドーの頭上を、まっすぐに。
 それに連動して、辰巳は処刑剣を振り抜いた。刀身から迸るブレード・スマッシャーの光が、バハムート・シャドーの正中線を撫でる。
 一見すると、その光はあまりにか細い。以前と違って刀身と同じ幅しかないブレード・スマッシャーは、バハムート・シャドーに比すると糸屑よりもなお細い。
「GG、R?」
 しかしてその糸屑に打たれたバハムート・シャドーは、凍り付いたように動きを止めた。目まぐるしく脈動していた身体中のまだら模様も、ぴたりと動きを止める。
 活動が、止まったのだ。
 それとは対照的に、レツオウガの上昇は止まらない。未だ放出し続けるブレード・スマッシャーでバハムート・シャドーを斬り裂きながら、上へ、上へ。
 全開駆動するスラスターに、タービュランス・アーマーによる最大加速を乗算されたレツオウガは、ものの数秒でバハムート・シャドーの尻尾へ到達。だが加速と振り抜きは尾ひれを過ぎてもなお止まらず、数百メートルの距離に残光を刻んだ後、ようやく止まった。
「す――、ぅ」
 深く、呼気を調える辰巳。見れば、レツオウガの霊力装甲はいつの間にか元の灰銀に戻っていた。残心と同時に両手を振り抜けば、分離した二刀が掌中へ収まっている。
 その二刀を、辰巳は霊力装甲に再変換、両肩へ装着。同時に、凍り付いていたバハムート・シャドーの時間が、ようやく動いた。
 ずるりと。バハムート・シャドーの巨体が、正中線から上下にずれたのだ。真ブレード・スマッシャーの、冥王ハーデスの力を直に受けた箇所が、塵となって崩れ落ちたためである。
 冥王の浸蝕は止まらない。ざらざらと虚空の中に散っていく、バハムート・シャドーだったもの。
 それを背にしていたレツオウガのタービュランス・アーマーが、唐突に途切れた。オウガに戻ったのだ。
 フェンリルの霊力供給も、流石に限界が来たのである。
「は、あ」
 大きく息をつく風葉。息は荒く、汗も滴っている。今までとはまったく異質な力を扱った反動の疲労だ。
 そんな疲労の元となった冥は、真っ二つになったバハムート・シャドーを満足げに眺める。
「ふむ。爪の一欠片くらいしか力が出せないのは歯痒いけど、初めてにしては上出来かな」
「ええっ、今ので、ほんのちょっぴりなの?」
 驚く風葉だが、その声にいつもの勢いはない。変則的な接続による術式を、ぶっつけ本番でフル稼働したのだから無理もない。
 気を抜けばハンドルへ突っ伏してしまいそうな風葉。その肩を、冥は優しく支える。
「そりゃそうさ、僕は冥王なんだからね。けどまぁ、ファントム5は良く――」
 ――頑張ってくれたよ。そう言いかけた冥の横顔を、唐突な白光が焼いた。
「っ、誰だ?」
 鬱陶しげに光った方向を見やれば、そこには小爆発を繰り返しているバハムート・シャドーの残骸。数秒おきに身体のどこかで炸裂する炎は、段々と大きくなっているようにも見える。
「……ねぇ、五辻くん。何だか私、すごくわるい予感がするんだけど」
「ファントム4だ。あと、その予感は正解だな。どうやら行き場を無くしたバハムート・シャドーの霊力が暴走しとるらしい……そういや、ブレスも発射間際だったよなぁ」
「じゃ、じゃあ早く逃げようよ!?」
「俺としてもそうしたいのは山々なんだが、どうもシステムエラーが起きたみたいでな。現状、オウガは指一本動かせない」
「ふむ、僕の力の余波かな? いくら利英《りえい》の仕事でも、冥王の力を御しきる事は出来なかった訳か」
 く、と冥の口が孤を描く。
「……今回の一件で、一番おもしろい収穫だな」
「そ、そんな悠長な事言ってないで早く逃げ」
 ごう。
 疲労を押しのけた風葉の叫びは、しかし一際巨大なバハムート・シャドーの爆発に、オウガごと飲み込まれた。

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【神影鎧装レツオウガ メカニック解説】
レツオウガ(2)自壊術式の本来の目的

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