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全文無料掲載「お母さん、明日からぼくの会社はなくなります」

「大丈夫、きっとうまくいくよ。」
私やパワーコンテンツジャパン株式会社のことをもっと知っていただくために、2013年に出版した「お母さん、明日から僕の会社はなくなります」(角川フォレスタ)を全文無料公開しています(権利取得済み)。もちろん、書籍として購入することも可能です。

(↑Amazonや書店では手に入れることができない、特別限定装丁版です。これをパワーコンテンツジャパン株式会社で会社案内として使用しています。)

はじめに

ほとんど面識はないけれども、一方的に書かせてもらう。

神田昌典氏のマーケティングや知識は私に勇気をくれた。
本田健氏の物語は私を温かい気持ちにさせてくれた。
ナポレオン・ヒルは哲学的な知恵を。
マーフィーはユーモアに溢れた五感の使い方を。

とてもじゃないけど書ききれない。数多の成功者の本やノウハウ。そのすべての名前を挙げられないのを本当に申し訳なく思う。

でも、10年前。私はあなたたちを憎んでいた。

本を読んだところで収入は増えない。時間は自由にならない。人間関係も豊かにならない。まったく言っていることと逆じゃないかって。

だから、「はじめに」でよいことばかり書いている本は信じなくなった。あなたも成功できる。夢は必ず叶う。結局、成功法則を書いている人は、成功法則を売ることで成功しているって、そうなんじゃないかと本当に疑っていた。

それでも、心の奥底ではあなたたちがうらやましかった。名声、収入、周りを囲むたくさんの人たち。

なぜ、あの人たちは成功しているのか。なぜ、自分はそうなれないのか。ずっとジレンマの日々が続いた。あれから一〇年が経ち、私も大人になった。

そして、私は見つけたのだ。「普通の人」が成功するための真実を。学歴が平凡でも、ろくな職歴がなくても、スキルがなくても知識がなくても自分だけの成功を手に入れる方法だ。

この本は、10年前の自分に向けて書いた本になる。無職で収入がなかった自分。平凡な学歴にコンプレックスを持っていた自分。まともな職歴がなかった自分。そして、人生を諦めかけていた自分。

「もう、駄目かもしれない」

10年前、そう思っていた。すべてが投げやりだった。でも、10年経った今だからこそかけてあげたい言葉がある。

「大丈夫。きっとうまくいくよ」と。

本書は、私の10年間のすべての経験を注ぎ込んだ本です。「もう、駄目かもしれない」。長い人生、誰しも一度はそう思うときがあります。本を通じてあなたにメッセージを伝えている以上、あなたのことは詳しくわかりません。だから、言ってしまえば明確な根拠はありません。ごめんなさい。でも、やっぱり大丈夫なんです。今、人生を投げ出さず、正しい努力を続けていけば、必ず人生は好転します。それは断言できます。本書はそういった人のためだけに書きました。そして、ひいてはあなた自身の夢や目標を叶える。そういった手順書でもあります。

私の場合、「もう、駄目かもしれない」という時期は、比較的早く来ました。今から10年前、私が23歳のとき。普通に考えればありえないことですが、私は新入社員として入社した会社をたった一カ月で解雇されてしまいました。途絶える収入。減っていくわずかな貯金。社会人失格という烙印。今でこそ笑って話せる昔話になりましたが、当時はただただ茫然自失し、解雇された日、会社のあった東京は京王線の笹塚駅でしばらくしゃがみ込み、動けないほどでした。

それから10年。そのかわいそうな青年はどうなったかというと、独立開業を成功させ、現在は小さいながらもコンサルティング会社を経営するほどになりました。あまり数字を出すのは好きではないのですが、年収は1000万円以上。スタッフは5名。新宿区四谷に30坪以上のオフィスを構えています。あまり物欲がないので、キャッシュで外車を買ったとか家を買ったとかそういう話題はないのですが、都内にそれなりの広さのマンションを借りて安心して暮らせるようになりました。もともとゲーム好きでインドアな性格なので、やっと余った時間にゲームをする余裕もできました。

でも、10年前は、どれもまったく想像できないこと。お金の余裕も心の余裕もない。そんな時期が続きました。でも、できたんです。そして、そのすべての方法を本書にまとめました。

ただ、こうして書いてしまうとよくある稼ぐ系の本だったり、強く生きろという自己啓発もののように聞こえたりするかもしれません。もちろん、重なる部分はあると思いますが、本書はこれまでの本とは次の点でまったく異なります。

1.著者が平均的な人間から、成長をしたタイプであること
ビジネス書を選択するときのひとつの基準が、著者のプロフィールであると言われています。あなたも私のプロフィールを見て、本書を読んでくださっていると思います。他のよくある成功法則の本などと違うことは、私がいたって平均的な人間だということです。

私が10年前、無職で路頭に迷っていた頃、数々の成功法則、稼ぐ系の本を読みました。しかし、著者のプロフィールを見てはいつも萎えてしまっていたのです。

どういうことかというと、著者のほとんどがそれなりに優秀か、あるいは逆に大変な不遇をかこったハングリー精神の持ち主だったからです。たとえば、東大、京大はもちろん早稲田、慶應、上智なんていう学歴を見ただけで意気消沈です。なんだよこいつ、そもそも優秀じゃんか、と。

私の最終学歴は、専修大学法学部卒。しかも1年浪人のおまけつき。早稲田や上智などの有名大学に入りたかったのですが、ダメでした。やっぱり優秀な人は違うんだ、と高学歴の人の本は読む気になれません。

あるいは「元リクルートでダメ営業マンだった」とか、「大塚商会ではまったくの泣かず飛ばずで……」などと書いてあったとしてもダメ。私は社会人にすらなれなかったので、そもそも企業に勤めてまともに続いている時点で萎えてしまいます。おいおいそもそもよい会社に入れる人材なんじゃないかって。

さらに、高学歴や企業経験がなくても、一家離散したとか自己破産したとか、数千万円の借金があったなどの過酷な環境を乗り越えたという経歴や、中卒、高卒などの学歴コンプレックスからハングリー精神を育み、成長してきたからこそ今があるという経歴を見てしまうと、また萎えてしまう。とてもじゃないですが、そんな経験ありませんって。

私が受けた挫折も、会社を解雇されたことのみで、これらの壮絶人生を歩んでいた人と比べると、やはり大した経験ではない。そう考えると、自分自身は成功なんてできないのではないか、と考えてしまうのです。

学歴でみても、ハングリー精神を育むほどのコンプレックスがあるわけではなく、偏差値的には中の中。学歴としては中途半端です。専修大学という大学は、多くの出会いと学びがあり、素晴らしい大学ですが、このように成功者と比べてしまうとやっぱり成功する人はそもそも違うよね、という結論になってしまうわけです。

また、特に経営に関して深い関心がもともとあったわけではありません。独立開業は23歳とかなり早いほうの部類に入りますが、両親が会社を経営していたわけでもなく、私の両親はいたって普通のサラリーマン。親類の中には特に企業経営を行っている人はゼロ。農家がいるくらい。このように一般的な家庭で育ったので、特に小さな頃から経営を考えていた、という土壌もまったくなし。

さらに、大学時代も学生ベンチャーを立ち上げたりすることもなく、居酒屋のアルバイトを3年ほど行っただけ。アルバイトとして経験した職種は接客の一種類のみ。ですから、経営的に何か素養があったわけでも、経験を積んだ上で始めたわけでもないのです。

今これを書きながら、本当に何か環境や素養があったわけではないとちょっと自分でもかわいそうになりますが、全国的にみれば可もなく不可もない、平均的な人間が書いているということがこの本の特徴になります。

2.真面目な人向けであること
人を騙したり、嘘をついたりするのが苦手な人。他人を蹴落としてまで幸せになりたくない、FXとかアフィリエイトの裏技で何か楽して稼ぎたい、このような方法や考え方で人生逆転させたいというのはちょっと違う……。本書はそう思っている人向けです。

私自身、10年間フリーランスでビジネスをする上で、たくさんの儲け話と出合いました。怪しいものから割とそうでないものまでたくさん。たとえば、今FX投資というのは一般的になりましたが、その草創期。この時期に投資すれば間違いなく儲かるという話があり、多くの知り合いが儲かっているようで、ちょっとうらやましいなとは思いましたが、結局私は話には乗りませんでした。同様に、アフィリエイトのある手法ですぐに稼げるとか、そういう話は本当に多数ありましたが、今の今までこういった話には乗っていません。

それは、なんとなくですが、真っ当な仕事をして、そしてその対価として報酬がほしかったからです。なんかこう、自分なりに誇れる仕事がしたいと。お金もなかったのですが、どうしてもそういうところは譲れなくて、ここまでやってきました。ですから、人生を逆転したい、稼ぎたいけど、できるだけ誰にでも言える、胸を張れる仕事でそれを実現させたい。そういった比較的真面目な人向けに書いています。私はそういう真面目な人が好きです。

3.できるだけ具体的な手順書にした
ふわふわしたよくわからない成功法則みたいなものは書かない。これが本書を書く前に決めたことです。「毎日ひとつ、誰かに与えよう」とか「掃除をきちんとするとよい流れがくる」というような、よくある成功法則に言われるような方法は、本書にはないです。そういうのは他の本にお任せしますし、私や本書の役割じゃありません。もちろん、成功法則のすべてが間違っているとは思いませんが、まずは現実世界のあなたの人生を好転させることが本書の目的です。ですから、できるだけリアリティのある話をします。

後述しますが、成功法則と言われる本は、正しい読み方が必要です。その読み方を間違えると成功法則の実現のために成功法則をする、というなんとも本末転倒なことになってしまいます。

他にも読み進めていただければ、他の本と違うことはきっと理解していただけると思います。

さて、本題に入る前にもう一度だけお伝えします。

今、もう駄目かもしれない。人生に行き詰まってしまったとあなたが考えていたとしても、大丈夫です。

きっとうまくいきます。

私自身も、正社員になれずに無職になったとき、なんておれは不幸なんだと世の中を恨みました。しかし、世の中や過去のことに文句を言っていても、何も変わらなかったんです。収入は増えることはないし、貯金は減っていく。退廃的で変化のない生活が続くだけです。そして、自分自身の学歴、経験、才能、性格など振り返り、嘆いても未来は一向によくならない。少なくとも、私自身そうでした。自分を解雇した会社の不満をどんなに言おうが、自分は変わらないのです。

ある日を境にして、私は決めたんです。自分の人生、逆転させようって。

時間がかかっても、誰も応援してくれなくても、自分の一度きりの人生、もっとよくしようって。

ない知識は身につけよう。経験はこれから積んでいこう。ないならないなりにやり方があるはずだって。

前を向き始めたとき、少しずつ人生は動き出しました。そして気がついたんです。

ほとんどのことは、後天的に変えられるって。

知識はいくらでも増やせる。経験もこれからいくらだって積める。才能も見つかるかもしれないし、自分にできないことは誰かに頼めるかもしれない。もちろん生まれた場所や今の年齢とか、身長とか変えられないものもあります。ただ、それ以外はほとんど変えることができる。いや、できたんです。

性格だって変わります。今でこそ多少こうして本を書かせていただき、偉そうな講釈も垂れるようになりましたが、正直私の性格は、もともとあまり褒められた性格ではありませんでした。

ぐれてヤンキーになる、みたいな素行が悪いというのはなかったのですが(そもそもそういう度胸すらなかったのですが)、自分が優秀な人間であると思い込んで人を見下すところがありました。よくあるパターンで、小学校、中学校まで成績がそこそこよいと自分のことを優秀だと勘違いしてしまうケースです。

でも、現実は狭い地域社会での一時的な「優秀」なわけで、全国から受験生が集まる大学受験となるとボロが出ます。でも、悔しいから学歴が自分より低い人は軽視し、自分より上の学歴の人には「学歴じゃない」と言う。自分が言ったことが正しい。さらに大手企業からは内定をもらえないので、ベンチャーに行った私は、大企業に行く人を見下す発言をしていました。「大企業でやりたいことなんてできない」「実力のある人はベンチャーに行く」とかなんとか。これはどう考えても、自分の小さなプライドを守るための発言です。

情けない話、私は自分のプライドとか今ある場所とか地位とかが大切で、いつもそれを失うのが怖かったんです。結局のところ、そのベンチャーを解雇されてしまうわけで、もう笑うしかないわけですが。

こんな過去の私ですら、今ではこうして仕事をいただくことができ、会社も回っているわけで、性格は多少改善されたんじゃないかなと思ってます。

どうでしょう。こんな私です。この私がやってきた人生を好転させる方法、すべてこの本に詰め込みました。もし、あなたが10年前の私と同じく、仕事がなかったり、収入が少なかったり、あるいは仕事はあるけれど、収入が増えない、この先が見えない、人間関係がうまくいかない、今後どうしていいかわからない。詰んでしまいそうな人生をなんとかしたい。そう思っていたら、少しでもいいから私の話を聞いてほしいと心から願います。

本書を批判する人も出てくるでしょう。でも、私は批判されないために本を書いているわけではありません。

人生を豊かに、とか素晴らしいものに、などと抽象的なことは言いません。本書の目的は、あなたの収入を上げ、詰みそうな人生を逆転することです。そのために私は10年間のすべてをこの一冊に注ぎ込みます。

プロローグ

「お母さん、おれ、無職になっちまった……」

その男は、電話越しに震える声でそう言いました。順風満帆に見えた人生はなんともあっけなく、どん底に落とされます。

男が人前で自分の母親のことを話すとき、一般的には「母」といいます。古い言葉なら「おふくろ」という人もいるでしょう。でも、目の前にいるときはやはり「お母さん」と呼ぶ人も多く、特に自分が苦しいときには間違いなく「お母さん」と情けない声を出してしまうものです。

私は2003年に行政書士という資格で独立開業し、2005年にコンサルティング会社を設立。約10年の間、経営コンサルティングを自分の生業としてきました。コンサルティングにも様々なジャンルがあり、たとえば大手船井総研のような総合的なコンサルティング・ファームもあれば、アクセンチュアのようなシステム系のコンサルティングの会社もあり、加えて独立系の個人コンサルティング事務所も多数あります。個人コンサルタントはさらに細分化され、Facebookのマーケティング専門や組織構築専門のコンサルタントなど、多岐にわたります。

その中でも私の位置づけは、個人がゼロから年商1000万円から3000万円くらいを達成させるいわゆる「起業」のコンサルタントです。もちろん年商数億の会社のコンサルティングの仕事も受けてきましたが、いわゆる中小零細企業のほうが得意で、中でも自分自身の経験を活かした、いわゆる士業といわれる税理士、社会保険労務士、行政書士などの独立開業コンサルティングが最大の強みです。

そんな私の仕事の中心は、相談に答えることとセミナー。もちろん経営者でもあるので、社長業も行っていますが、コンサルタントという立ち位置で考えれば、「悩みを解決する」ことが大きな仕事になります。これまで1400名を超える人・企業の相談を受け、個人では年収1000万円を超える人たちをもう100名以上輩出してきています。

本書で人生を逆転させる方法を伝えようと考えたとき、方法論をただ並べては、それこそこれまでの成功法則の本となんら変わらない。そう考え、ある事実を元にお伝えすることにしました。個人情報や各種の兼ね合いで若干脚色したものもありますが、私に起きた事実を元にお伝えしていこうと思います。

時期は2006年まで遡ります。正確な時期は覚えていません。ただ、夏の暑い日だった記憶があります。あまりにも作り話のようで、信じてもらえるかどうか少し心配なのですが、これからお話しすることは事実です。

東京は渋谷のスクランブル交差点。私は仕事で渋谷に来ていました。そう、あのハチ公のある有名な交差点を渡りきって、次の行き先の確認をしているとき、あるひとりの男性から声をかけられたのです。

「あの……横須賀さんですよね?」

私は驚きました。芸能人でもあるまいし、まさか街中で声をかけられるなんて。サッと感じる背中に流れる汗。当然相手のことは知らないし、何か事件に巻き込まれるのではと少し身構えました。風貌はまるでホストのような男性。少しくたびれたスーツを着た20代とも30代とも見えました。その男性は、以前から私のブログやメルマガ、書籍などを通じて私のことと顔を知っていたということ、声をかけるのは申し訳ないと思ったが、こんなチャンスはないと思って話しかけたことなどを聞くと、私も少し落ち着き、名刺交換をしてその場を後にしました。

その後、もし可能であれば個別に相談したいというメールが届きました。

「正直にお話ししますと、今風俗関係の仕事をしているのですが、できれば違う仕事に就きたいと思ってます。でも、こんな仕事だし、特にまともなスキルもなく、なんというかこの仕事嫌いじゃないんすけど、真っ当な仕事というか……なんで転職も難しいんです。ちゃんとした仕事したいし、結婚もしたいんです。こんな私でも成功できるんでしょうか」

その後、メールのやりとりを何度か続け、話をよく聞いてみると、いくつか職には就いたが、打ち込むことができずに転職を繰り返し、現在は風俗関係の仕事をしていること。再度転職活動をしてはみたものの、これまでアルバイト歴も長く、正社員経験が少ないため、まともな職にありつけない。そもそも、好きでこの仕事に就いているわけではなく、なんとなく割のよい仕事を探しているうちに今の仕事になった。

もともと別にヤンキーでもぐれているわけでもなく、なんとなく将来に希望を見いだせなくて、流されてきてしまった。普段の仕事を続ける中で、成功法則や営業の本を読んでみたものの、リアリティを感じない。

そこで、本当に成功できるのかどうか、たまたま見つけたこの私に直接聞いてみたかった、とのことでした。

第一印象は、一見チャラいホストのようだ、というものでした。しかし、メールの文面ややりとりを見ると、今の仕事もやる気に満ちあふれているとは言えないけれど、手を抜いているようにも聞こえない。礼儀正しいし、根が真面目であることはわかる。

言い換えれば、本当はもっと描いていた未来像があったのに、どこかで「もういいや」と投げ出してしまっているようでした。

突然街中で声をかけられ、しかも相談に乗ってほしい。常識的に考えれば、こんなお願いを聞く必要はありません。しかし、彼のメールから感じる秘めたる熱意や苦悩のようなものを感じ取ったのでしょうか。彼の要望は、とにかく成功する方法が知りたい。私の体験談が聞きたい、とのことでした。私はその要望に応えることにし、別途日時を指定。彼の相談に乗ることにしました。


真夏日に近かったその日、私は彼に会うために新宿駅南口にある喫茶店に向かった。

高級ホテルのラウンジでも何でもない、平凡な喫茶店。店に入ると、すでに彼は窓際のテーブルに座り、私を待っていた。

「お待たせしました」と声をかけると、彼は少し緊張した面持ちで、「今日はわざわざ、すみません」と浅く頭を下げた。緊張しているのは、実はこちらも同じだった。

「こちらこそ。今日は暑いですね」

あたりさわりのないあいさつの後、沈黙が少しの間続く。それを打ち消すように、やってきたウェイターにコーヒーを二つ頼むと、私は話し始めた。「とりあえず、私が就職した頃のことから話しましょうか」

第1章 人生の逆転劇は、 すぐには始まらなかった

「おまえ、明日から会社にこなくていいから」

1999年、1年の浪人生活を経て専修大学に入学した私は、平凡な大学生活を送り、そして就職活動を終え、一社のベンチャー企業から内定をもらい、新入社員として働き始める予定でした。IT系のコンサルティング業を中心とした数名の小さな会社で、私は初めての新卒採用ということで、希望に燃えていました。しかし、入社から1カ月経ったある日。社長に呼び出されます。

「おまえ、やっぱりこの会社向いてないよ。もう明日からこなくていいから」

つまり解雇。いくつか思いあたるフシはあるものの、クビになるような決定的な理由はわかりません。社長と性格が合わなかったのか、仕事ができなかったのか。ただ、事実として残ったのは、「おまえは、会社にとって不要」。つまり解雇ということのみ。文字通り無職になってしまいました。

23歳で会社をクビになった私は、これからどうしようかと悩みました。こんなに悩むことがあるのかってくらい、本当にこれからどうなるのか、自分の人生こんなはずじゃなかったのにと文字通り途方に暮れました。

幸い、その会社から解雇予告手当金という名目で少しお金が振り込まれました。一カ月分の給料が振り込まれたので、18万円程度。多少の足しにはなりますが、今後定期的に入ってくる収入は当然ありません。すずめの涙のような自分の貯金を足しても確か40万円か50万円程度の残金。これが私に残されたお金でした。

このとき、東京都調布市というところに木造アパートの6畳1間を借りて住んでいたのですが、改めて生活費について考えなければならなくなりました。家賃は6万4000円。計算すると、4、5カ月後にはどうやってもお金が底を突きます。つまり、私に残された期間は短めに見積もってあと4カ月。この4カ月で何かをしなければ、本当に人生詰んでしまうことになります。

普通に考えれば、すぐに次の職を見つけるべきです。でないと収入がありません。しかし、会社をクビになった私には、その気力すらありません。解雇されたことをその頃の友人に伝えると、「大変だったね」とか「ひどい会社だね」とか同情の声ばかりで、本当に泣けてきました。

特に両親に対してはなかなか打ち明けられずにいたのですが、大事なことなので思い切って電話で伝えると、「運が悪かったね。しばらくはゆっくり休みなさい」と、さらに優しい言葉。

叱られるより、かえって心に刺さり本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。大学まで出してもらって、会社を解雇されたわけですからもう世話ないです。そして親子だからこそわかるのですが、優しさ・同情の反面、呆れた感情も伝わってきました。

当時、私の家族構成は両親と弟。そして父方の祖母が一人の5人家族でした。中でも小さな頃よく世話をしてもらった祖母には大変心配させてしまったようでした。

こうして、気力のないまましばらくは現実逃避の日々が続きます。小説や映画なら、本来ならこのあたりから「自分を解雇した会社を見返してやる」と復讐劇が始まりそうなものですが、本当にその気力すらない、なんとも情けない状況でした。そして、ニートのような引きこもりのような、何もしない鬱々とした日々が続きます。

人間とは不思議なもので、4、5カ月先まではなんとか貯金があると、危機感が薄れてしまいます。現実逃避してしまった私は、朝からビールをあおり、「ああなんて自分はかわいそうなんだ」と自分に酔いしれていました。いわば悲劇のヒーロー気取りです。もうはっきり言って世の中のなんの役にも立っていません。なんでこんな奴が変われたんだろうと今でも不思議です。

ただ、一週間もすると、酔うこともできなくなり、現実を直視せざるを得なくなってきました。

それは勘違いから始まっていた

そもそも、なぜこんなことになってしまったのか。そもそもは自分の慢心、勘違いから始まったことだったのは、うすうす気がついていました。大学3年生のとき、間違って行政書士の資格を取ってしまったことから始まります。

本当に典型的な勉強をしない大学生でした。もともと生まれも育ちも私は埼玉県なのですが、専修大学に入学が決まったことから、親に無理をいって、ひとり暮らしを始めさせてもらっていました。住んでいたのは神奈川県川崎市。専修大学の生田校舎の近くです。

しかし、こんなに近くなのにもかかわらず、授業には出席しません。そんなことよりもアルバイト。このとき、居酒屋で接客のアルバイトをしていたのですが、居酒屋なので夜が遅く、そして毎日飲んで帰ってきていたので、午前中は当然起きることができず、大学の授業にはほとんど出席していませんでした。

ところが、この怠け者にも大学二年の夏に転機が訪れます。アルバイトと飲み会だらけ、暴飲暴食の日々を送っていたところ、身体から抵抗力がなくなり、扁桃炎を起こし倒れてしまったのです。

扁桃炎という病気は、私の場合は喉が完全にふさがるほど腫れ、40度近い熱が出て、それが3日以上続くという症状で、場合によっては手術が必要な病気です。最初はただの風邪と思い込み、寝ていれば治ると放置していたのが災いし、最後には電話口で母親に助けを求め、そのまま意識を失っていました。気がつくと私を心配して焦燥した母の姿が見え、そのまま病院に連れていってもらうというなんとも情けない状況を覚えています。幸いにも入院はせず、通院と投薬で治すことで落ち着いたのですが、普段は連絡もよこさないバカ息子が、こういうときだけ親を頼り、病院に連れていってもらう……なんともこの時期から情けない男です。

扁桃炎というのは、ややもすると再発します。そのため、しばらくは通院し薬をもらって体調を落ち着かせる。そんな日々が続きました。発症後2週間はほぼ自宅療養でお粥など本当に病人食のような食事生活。3週間後には、少し外出できるようになり、薬を定期的に服用し続けると体調は1カ月もすると復調してきました。

「ああ、親を悲しませてはいけない」

このまま以前のような生活を続けていては駄目だ。と、なぜかこのときは真面目に人生を考え、学生ならば勉強をしなければ、とまずは必修科目の授業にしっかり出ることにしました。その必修科目というのが「行政法」という科目で、どうせ勉強するなら何か資格でも取って、両親に勉強をしたことの証明を見せたい。そこで、大学の生協で見つけたのが行政書士という資格でした。

行政書士というと、今では難関資格のひとつに挙げられますが、私が受験した当時は試験方法が変更された時期でした。それまでの論述式がなくなり、比較的簡易化しており、今の難易度とは比べものにならないほど簡単なレベルでした。合格率こそ10パーセントほどの試験でしたが、翌年は試験の簡易化を受け受験生が増えたのにもかかわらず、合格率が20パーセント近くまであった時期です。

しかも、勉強期間は1年半。合格者の平均勉強時間は約400時間とされていますので、その倍くらいはかけています。さらにお恥ずかしい話、当時の行政書士試験は140点満点で、最低合格が84点以上。私は86点でした。しかも出題ミスが2問あり、私の記憶が確かなら、全員に4点分が配られていたので、実力では不合格だったのです。

さらに、行政書士を取って将来独立したいとか、そういう考えも特にありませんでした。

就職活動に多少有利になるかも……くらいのなんとも浅はかな考えのみで、大した理念も目標もないまま、多数の幸運が重なり間違って取れてしまいました。

のちのち漫画『カバチタレ!』のヒットなどで、行政書士って結構格好いいなと、知るようになりましたが、何とも資格取得理由としては、不確かなものでした。

しかしながら、資格を(まぐれにも)取ってしまったことにより、より偉そうな性格に拍車がかかります。もともと、調子に乗りやすいタイプで、駄目なときは人並みに落ち込むのですが、このように試験合格なんてわかりやすい証明があると、調子に乗り、「自分は優れた人間だ」と思い込んでしまうのです。バカか。

前述のとおり今となっては会社を解雇された本当の理由はわかりませんが、まちがいなく、社長から言われたのは「この会社に合っていない」ということだけ。でも、今思えばプライドが無駄に高く、使いにくい人間だったのだと思います。

業務命令「行政書士に登録せよ」

ところで、ここでちょっと細かい話を。行政書士の登録について少し解説させてください。会社をクビになる少し前、行政書士の登録申請をしていました。行政書士という資格は、合格しただけでは活動できず、行政書士会に登録をして初めて行政書士としての活動ができるようになります。ですから、資格試験に合格しただけでは、行政書士としては、動けないんです。

本来、行政書士登録というのは行政書士で開業する時期に登録するものなのですが、私は開業の意思がないまま登録をしていました。なぜこの時期に登録申請していたかというと、社長の命令があったためです。私の資格を事業に活かしたいと考えていた社長から、私が会社をクビになる少し前、私に行政書士登録をするよう業務命令を受けました。業務命令で行政書士登録するって今考えるとおかしな話ですが、命令なので仕方がない。行政書士会に登録するには、約30万円の費用がかかるのですが、資格そのものは会社で保有するものではなく、個人のものになるため、すべて自腹で払いました。このような経緯で登録申請をし、その登録申請中に解雇されてしまったのです。

行政書士として登録はしてしまったものの、どうしようかとまた悩みます。行政書士登録後は、月7000円の会費がかかるのです(支払いは3カ月に1度)。

ですから、行政書士登録したままでいると、余計な出費がかかってしまうわけです。このときの月7000円は痛い。

しかも、たとえばここで決断し、東京から実家のある埼玉に居住地を移すとすると、今後は埼玉の行政書士会に入るためのお金が必要になる。また、東京に残ったまま、1度登録を解除して再登録するとまたそれはそれでお金がかかる。登録した後に知ったのですが、行政書士はこういうシステムになっています。実家に帰るのもなんだか格好悪いし、まだ多少のお金はあるし、当時の私にはとりあえず登録しておくという選択肢をとるしかありませんでした。

なんとなく、独立開業。とりあえず、独立開業

さて、話は2003年、解雇された直後に戻ります。仕事をしないので徐々にお金はなくなります。普通に考えればアルバイトでも再就職活動でもすればいいのですが、「採用されたとしても、また解雇される。新卒1カ月で解雇されるような人を雇う会社なんてない。もう、解雇されるのは絶対に嫌だ」というようなネガティブな理由で、勤めることが怖くなっていました。はっきり言ってトラウマです。もう面接を受けて不採用通知を受け、お祈りメールをもらうなんてのも嫌だし、解雇される恐怖と戦いながら仕事できるとは思えない。というかしたくない。そしてまた会社をリストラされれば、また両親を悲しませてしまう。それだけはしたくない。

とはいえ、何かしないと、収入は一向に増えない。最低限の収入でいい。月10万円の収入でいい。なんとか貧乏でも自分で食べられる方法はないだろうか。そう考えました。

当時、インターネットはもうありましたが、私の接続状況はISDNというあまり速くない回線で、ネットで検索しても写真などがサイトにあるとなかなかサイトが見られず、あまりネット閲覧に適した環境ではありませんでした。ですから、何か情報を探すにしてもスピードが遅く、これでは時間がかかり過ぎる。それならば本屋はどうだろうかと調布駅前の真光書店という本屋に行き、ビジネス書コーナーに向かいました。

当時、インターネットを使って楽々稼ぐ! なんて本が流行りだしたときでした。パソコンは持っている。あとはFAXなどの備品があれば、行政書士としてなんとか仕事を始めることができそうだ。でも、本当に可能なのか。いや、できるはずはない。だって23歳だし、経験ないし。いや、ネットを使えば成功できるらしい。それならできるかもしれない。こうして揺れる日々が続きました。

本物の「行政書士」に出会ったことがなかった

少しずつ減る貯金。あと4カ月ほどしかもちません。再就職するという選択肢は、自分のトラウマがあるので無理。では、フリーランスで仕事を取るという選択肢しか残されていません。冷静に考えれば、無理。でも、もしかしたら……という希望もゼロではない(気がする)。一週間ほど悩みました。

ところで、そのときふと思ったのです。

「まだ、まともな行政書士に会ったことがない」

そう、なんと行政書士の資格を持っているのにもかかわらず、行政書士として活動している人に会ったことがなかったのです。そもそも行政書士で活躍している人なんているのだろうか。そして、行政書士として開業するために必要なものはなんなのだろうか。疑問は山積みでした。

行政書士に登録すると、行政書士会主催の研修会を受けることができます。そういった研修会で行政書士に会うことはできるのですが、研修会だけあって「これから」の人が多いのです。また、講師として登壇する人も、年配の方が多くやはりキャリアが必要なのかと考えざるを得ません。20代とは言わないまでも、30代の成功者はいないのか。こうして行政書士の情報をインターネットで調べ始めました。

ところが、行政書士に関するネットの情報は、悪意に満ちたものでした。匿名掲示板では、行政書士は取っても役に立たないと言われ、ホームレス以下だと書かれている始末。

もちろん匿名掲示板なので、真実かどうかはわかりません。でも、自分が取った資格を、自分の努力をすべて否定されたような気になりました。

「行政書士なんて、取るべきじゃなかったのか……」

こうして、また無駄にやる気をそがれます。ただ、一方で光明としてはインターネット上にある無料のメーリングリストで、数名の「行政書士で食べている行政書士」と知り合うことができたのです。

そのメーリングリストは「行政書士開業メーリングリスト」というもので、現在もあるのですが、当時はかなり活発な情報交換、意見交換がされていました。そのメーリングリストを通じて、数名の行政書士の方にお会いすることができ、はじめて「行政書士で食べている」行政書士に会ったのです。

一応、行政書士で食べている人はいる。20代での成功例なんていうのはなかったけれど、まったく駄目という資格ではないらしい。もう再就職するという選択肢はないし、この行政書士という資格でなんとかならないものか。

今考えるととても他力本願な意思ですが、ともかく準備だけはして、少しやってみようと当時は考えました。

そこで、持っていない備品をそろえます。一番高かったのはFAX。当時はまだ感熱紙のFAXも一般的だったのですが、それでは仕事にならないと先輩に聞き、2万円くらいする普通紙FAXを購入。そして、必要だと言われた名刺、行政書士の仕事に必要な資料、ホームページ作成ソフトなどを購入し、さらにはドメイン、サーバ契約をしました。

あと4カ月分あった貯金は、備品をそろえた結果、あと3カ月分ほどに目減りしていました。残金はあと約30万円。通帳残高を確認した私は血の気が引いていくのを感じ、通帳を持つ手は小刻みに震えていました。もう、自分に酔っている余裕もありません。

こうして、なんの自信もないし、確信もない。でも、雇われるのが怖い、両親にまた悲しい思いをさせたくないというなんともネガティブな感情から、フリーランスでの活動を始めてしまったのです。

こうして、私の独立開業は、なんとも後ろ向きでとりあえず、そして準備も何もないまま、残金3カ月分で始まりました。いや、始まってしまったというほうが正しいかもしれません。

本当にこんな「なんとなく」で始まる独立開業があるのか、というくらいいい加減なものでした。

極貧の下請け生活

「独立しました!」

本来ならば胸を張ってそう伝えたいものです。しかし、そんな自信はなく、こっそりと看板を掲げることになります。

23歳の独立起業物語は、いうまでもなくスムーズに運びません。仕事は当然1件も来ない。行政書士としての私を知っている人が多数いるわけでないので、よく考えれば仕事が来るわけもありません。

知り合った行政書士の先輩から、小さなおこぼれのような仕事はいくつかいただくことはありました。1件数千円の車庫証明。2万円を切る宅建業免許の変更届、など、月5万円いくかいかないか、そういった収入でした。これならアルバイトをしたほうがマシです。

毎月ではなく、毎日預金残高とにらめっこする日々。気が休まる日はありませんでした。

財布とにらみ合い、数冊買ったビジネス書によれば、やはり営業しないことには仕事は入ってこないことを知らされました。そうしたビジネス書の購入や、行政書士会で行われる研修のための費用、懇親会費、交通費など一回の出費は決して大きくないのですが、お金は容赦なく減っていきます。30万円が25万円に。25万円が20万円に。下請けで数千円、数万円の仕事が二、三週間に一度入ってくるので、盛り返す時期もありますが、出て行く費用のほうが圧倒的に多い。そして、2カ月が経過する頃は残金が10万円ほどになっていました。

「確かにお金は減っている。でも、少ないながらも仕事はある。このまま頑張っていれば、なんとかなるはずだ……」そう信じていました。

しかし、状況が変わらないまま三カ月後。いよいよ本当にお金が底を突きそうになります。微々たる収入と切り詰める生活によって、残り3カ月という生活費は、少しずつ延命されていましたが、一向に生活が楽になることはありませんでした。電気代、電話代、ガス、水道代金は銀行口座の残高不足で、期日に支払えない。最終的にガスや電話は止められることがありました。もちろんすぐにお金を支払えば、数日後には使えるようになるのですが、電気やガスのような生活に必要なものが止められてしまうので、なんとも情けなく、そして精神的ダメージも大きなものです。

そして、困窮生活を極めた2003年10月。なんと、貯金残高は23円まで落ち込みます。23万円ではなく、23円です。

いくつか入金の目処はありましたが、これには正直膝から崩れ落ちました。福本伸行先生の漫画『賭博黙示録カイジ』で言えば「ぐにゃあ」の世界です。

全身から嫌な汗をかくと言いますが、これ以上はないというくらいびっしょりと嫌な汗をかきました。

ただ、何もしないと今日の晩飯代もないので、手持ちの本、漫画、ゲームなどを売りさばきました。売った本には父から譲り受けたビジネス書があり、ゲームには弟から借りた「みんなのGOLF2」がありました。父は笑って許してくれましたが、弟からは後で怒られました。情けない兄貴でごめんなさい。

もはや、もう再就職か、実家に帰るしかないのだろうか。やっぱり駄目なのか。潮時というのは、こういう時期をいうのだろうか。

そんなことを考えていたとき、インターネットを通じて一通のメッセージをいただきました。福岡の音丸一哉先生という方でした。

「11月に研修会を大阪で行います。もしよろしければ、この研修会に参加しませんか?」

そういう趣旨のメッセージでした。大阪? 研修? そんな余裕あるわけない。

今日のご飯代に苦しんでいるというのに、まったくこっちの気も知らないで……と思っていたとき、ふと目にした情報がありました。

講師『小さな会社☆儲けのルール』著者 栢野克己氏

ん? この名前、どこかで見たことがある。なんだっけ……あ、そうだ。最初に買ったビジネス書の著者だ。確かこの人の本持っている。一番わかりやすくてためになったっけ……。本を出している人の話が聞けるのか……。もしかしたら、これはチャンスなのかも……。

もう、このままぐだぐだしていても、何も変わらない。それなら、何かのタイミングだし、この研修に賭けてみようか。もし、この研修に出て何も変わらなかったら、一度廃業して、おとなしく実家に帰ろう。頭を下げて一からやり直そう。

そう考え、思い切って大阪に行く決意をしました。後で入金されたなけなしのお金を握りしめ、私は初めて自分で新幹線の切符を手配し、大阪の西中島というところにある楽天トラベルで一番安かったビジネスホテルをネットで予約しました。

初めての大阪。埼玉県民にとっては、大阪は全員ミナミの帝王みたいな人がいるんじゃないかと思うくらい怖いところという印象があり(私だけです)、緊張とこれからどうなるかという恐怖でふるえていました。それでも、私は最後の希望を賭け大阪に向かいました。

『小さな会社☆儲けのルール』の著者 栢野克己氏に会いに行く

2003年11月。初めて見る道頓堀のグリコのマークが、阪神タイガースのユニフォームを着ていた賑やかな街。この頃はまだ食い倒れ太郎も健在でした。私は観光もそこそこに、大阪の行政書士会館で行われた研修に参加しました。

関東勢はやはり少数派。それでもブログを通じて知り合っていた人と、リアルで会えたりして、インターネットの時代はすごいなあとか考えていました。この頃からのブログ活用の経験が、のちの初めての出版につながるのですが、それはまた後の話。

研修は2日間行われ、1日目が法律実務の研修をある行政書士の先生が、そして、2日目に待望の栢野克己氏の講演です。1日目の研修のあと懇親会があり、そこで初めて栢野さんと名刺交換をし、話をしました。

栢野さんはサイト上では、回し蹴りだか跳び蹴りだかの画像が貼ってあって、正直変なことを言ったら蹴られるんじゃないかと戦々恐々としていましたが、実際の栢野さんはとても懐の深い人で、私の話をじっくり聞いてくださいました。服装もラフな格好で、ウエストポーチから名刺を出して名刺交換されたのは、栢野さんが最初で最後の人です。

「二四歳で開業!? スゴイね! でも食えてる?」

栢野さんのストレートな物言いにたじろぎましたが、「な、なんとか……」と返すと、「スゴイね! 立派なもんだ」と言ってくれました。

あの著者と話ができた……と感激していましたが、栢野さんの研修は明日。こっちはある意味人生賭けて大阪まで来ているんだから、お願いしますよ、という気持ちでいっぱいでした。

ところで、栢野さんとお会いできたのは感激だったのですが、それ以上にたくさんの成功されている九州、関西の行政書士に会えたことは別の意味で大きな収穫でした。

やっぱり全国的にうまくいっている人はいるんだ。2ちゃんねるでは食えない人多数って書いてあったけど、そんなことない。ちゃんとやれば、結果は出るんだ。

ネットでは全く見えなかった私の欲しかった未来が現実にはちゃんとあった。それがわかったことは大きな収穫でした。

そして、2日目の研修。講師でもないのに緊張していた私は、トイレに駆け込み、会場に入るのがギリギリになってしまいました。まあ人生を賭けて大阪に来て、そしてその講演が始まるのですから、二四歳の貧乏な青年が緊張するのも無理はありません。

トイレから急いで出ると、なんと講師の栢野さんと会場の出口付近の階段で鉢合わせ。なんにも言わないのも変だなと思い、

「き、昨日はありがとうございましたっ! 今日はよろしくお願いします!」と伝えると、栢野さんは笑顔で「はい!」と返してくれました。

こうして、私の人生が(一方的に)賭かった栢野さんの研修は始まったのです。

残金1カ月。半年遅れで決意した復讐劇

栢野さんの研修内容は、著書で扱っている「ランチェスター経営」を解説するものでした。もちろん、研修の内容が役に立ったことは言うまでもないのですが、それよりは栢野さん自身の生き方に惹かれていきました。

栢野さんの人生は壮絶です。ウェブサイトから拝借すると端的に言ってこんな感じ。

福岡県立城南高校+小倉西高校は裏口入学、立命館大学卒。新卒入社のヤマハ発動機を九カ月でノイローゼ退社、バイトのリクルートは三年弱で正社員試験落第。失意と復讐を誓い、大阪のIBMリースへ転職するが、またも仕事失敗+ウツ+婚約破棄+自殺未遂で退社。東京へ逃げ、半年失業後チラシ宅配ベンチャーへ転職。しかし、そこも詐欺的FC会社でまたも転職に失敗。もはや「同級生に勝つには独立しかない」と決意し、様々なセミナーや交流会に参加後に「無料職業相談業」で起業。しかし、半年で金がなくなり、出版社:ビジネス社でテープ起こしのバイトをするも先の人生が見えない。そんな九二年実家が他人の連帯保証一億円かぶり博多へUターン。七度目の転職で広告代理店へ。同時にビジネス交流会「九州ベンチャー大学」立ち上げ。九五年、借金返済のため八社目となる二度目の起業。九七年完済するも実家失い親は自殺。二〇〇二年~今までの人生への復讐スタート。お楽しみはコレからだ。

そして、気づいてしまったんです。ああ、おれは自分のことを世界一不幸だと思っていた。でも、栢野さんに比べたら、会社をクビになったことなんて、まったく大したことないじゃないか。

私の人生は自分から見れば不幸。でも目を外に向ければ自分の人生なんて大きな障壁なんてなかったのです。

そう思わせるほど、壮絶な人生を栢野さんは全力で生きている。

栢野さんの生き様に触れ私は自分が恥ずかしくなりました。何、悲劇のヒーロー気取ってるの、と。正直研修の内容うんぬんより、栢野さんの生き方に触れたことが私を変えました。

おれ、ぜんぜん生きてない。まだなんにもしてない。それでもう諦めて、実家に帰るわけ? それでいいわけないじゃん。ダメだ、もう一度やってから諦めよう。

そう決意したのです。

研修は数十分も延長し、終了。私はもっと聞いていたかったのですが、会場の都合だとのことで、2日間の研修はすべて終了となりました。もう決意はできていました。

もう一度、死ぬ気でやってみよう。それでダメだとわかってから、実家に帰ろう。

帰りの新幹線の中で、今後どのようにしていくか、研修の内容を踏まえて計画を立てていました。

お金がかかる営業はできないけれど、ランチェスター経営が推奨するハガキ戦略とか、お金がかからないものはすべて実践しよう。

そう考えて行くと、本当に目が覚める思いでした。今まで、悲劇のヒーローとして酩酊中だった私は、急に現実を見て動くようになりました。

そして、あることを改めて思い返しました。そう、会社をクビになったことです。会社をクビになったことで、私は気持ちが弱っていました。しかし、よくよく考えてみれば、私は悪いことをしたわけではないですし、社員として一カ月で何がわかるのかって、わかるわけはない。採ったほうにも責任があるわけだし、少なくとも解雇っていう手段はないはずだ……。

少しずつ強気に戻っていた私は、いつのまにか怒りに震えていました。

「……よし。絶対に成功してあの会社を、あの社長を見返してやる……!」

手持ちの貯金を確認すると、約1カ月分。人間、本当に追い詰められないと気づかないものです。

やっと、やっと火が点きました。なんとこの決意ができるまで半年。お金がなくなって、ハンマーで頭を殴られるような出会いがあって、やっと気づいたのです。

これまで独立開業したような、引きこもりのような半年の生活。半年経って、栢野さんに出会い、ようやく私の復讐劇は始まったのです。

第2章 僕なりに成功法則について 本気出して考えてみた

夏の暑い日。喫茶店はやや強めに冷房がきいていて、アイスコーヒーよりも温かいコーヒーがちょうどよい。周りは外回りをしている営業マンが休息をしている。そんな中で彼との会話は続く。

「今の横須賀さんからは、想像できないですね……。本当にこんなに優柔不断というか、何も考えずに始めたんですか?」

「そう。本当に何も考えていなかったですね。資格を取った理由も実際のところあまり明確でもないですしね」

「うーん、横須賀さんのような方だったら、もっと計画的でというか、しっかりとしたものだと思っていました」

「いやーまったくそんなことない。知識も経験もお金も何にもなかったですし、独立開業がこんなになんとなく、で始まるとは私も思っていなかったです」

「その栢野さんという人に会って、決意ができた。その後はどうなったんすか?」

「そうですね。でもその前に、成功法則も知りたいって言ってましたよね。ただ体験談だけ聞いてても、これから何をするかまとまらないだろうから、先にちょっと整理してみましょう」

「成功する方法」で本当に成功できるのか?

23歳で解雇。社会人失格の烙印を押された私は、もうこの社会では生きていけないと考えていました。少なくとも、大きく逆転することは不可能だろうと。だからこそ毎日ふてくされていましたし、お金もないのに酒浸りの日々が続きました。

自分自身の人生の目標があるわけでもない。夢があるわけでもない。そんなときは、やはりやる気も起きません。

とはいえ、お金は徐々に目減りします。何かをしないと、お金は入ってこない。そこで動かざるを得ない状況になって初めて動くことになります。人間、生命エネルギーのもともと高い人は、何もなくてもモチベーションを高く維持できますが、平均的な人間はやはり追い込まれないと動かないものです。

私は会社にリストラされるという外発的要因によって、このような状況になってしまいましたが、普通はこうは行きません。日々の生活がありますし、あえて追い込む必要もありません。

ただ、どこかで区切りをつけて、一歩を踏み出す勇気が必要です。

外発的要因でも、内発的要因でもよいのですが、環境を変える勇気が必要です。

そして、今のありのままの自分と向き合い認めること。今の自分のレベルが低くてもいいのです。私も何もない自分を認めるには大きな抵抗がありましたが、ないものはないのです。今の自分を認め、踏み出すしかないのです。

タイミングに関しては、正解はありません。こればかりは私もどうとも言えないのですが、このあたりの話は最後にしましょう。とりあえず、私はどうしてよいかわからなかったので、世の中に出ようとします。

復讐劇が始まる前のこと。なんとなく独立開業の道を選んでしまって鬱々としていた時期に、私が最初に行ったのは「成功する方法探し」でした。

なんとも安直ですが、それが一番手っ取り早いと思ったわけです。人生を変えたい、成功したいという人の多くが、成功法則などの本をまず手にします。

あなたもナポレオン・ヒルの著書や、『7つの習慣』のような本は読んだことがなくとも、著者名やタイトルは聞いたことはあると思います。

私の10年間の経験と成功法則に関する研究から、私のような平均的な人間が成功するため、次のような分析をしました。実際、このような結論が出たのは、創業から何年も経過したあとなのですが、まずはこのような成功法則に惑わされないようにするため、人生逆転のための準備運動といきましょう。

これらの本は、確かに成功するための法則を指南してくれるのですが、結論として読み方、読解力が必要です。

私自身も、このような成功法則の情報を自分なりに調べたりしたのですが、中にはこの成功法則に関する高額教材を売りつけることを目的にする悪徳な業者がいたり、あるいはねずみ講のようなビジネスへの勧誘だったりして、やはり見分ける目が必要になります。

実際、ある成功法則に関する資料請求をしたところ、毎日しつこくセミナーに参加しないか、高額教材を買わないかと勧誘を受けたことがあります。ですから、成功法則に関しては、見分ける力、見抜く力、そして整理整頓する力が必要です。

成功法則を語る本は多数ありますが、成功法則を分類、整理することはまずないと思います。本書ではあなたが無駄な時間を使わないために、次のとおり大胆に分類しました。

 1.考え方・習慣に関するもの
 2.脳や潜在意識に関するもの
 3.具体的な稼ぐ方法(マーケティング)

成功するための具体的な手順は後述することにして、まずこれらの成功法則に惑わされず、自分に必要な情報を集めることが必要になります。

1.考え方・習慣に関するもの
中村天風氏、船井幸雄氏、斎藤一人氏などの本にこういったことが多く書かれています。素直でいることが重要であるとか、人に与えなさい、などの考え方や習慣です。

こういった本は、考え方を学び、よい習慣を身につけるための参考書と最初は考えればいいでしょう。ものごとをプラス方面に考えるとか、こうした成功法則は、あなたの人生を好転させるための助力となります。

ただ、「助力」というのはあくまで助ける力です。これだけ読んでいても多少日常生活が楽しくなることはあっても、抜本的には変わりません。

2.脳や潜在意識に関するもの
引き寄せの法則や、『思考は現実化する』のナポレオン・ヒル、西田文郎氏など、脳の潜在意識を活用して、自分自身の思考力を変える。広い意味では考え方、習慣と同じですが、イメージ的にはアスリートのメンタルトレーニングのようなものを意識するとよいでしょう。もちろん、このジャンルの成功哲学も「助力」。あくまでもサポートする位置づけで、前向き習慣が身についただけで、収入が伸びたり、昇進したりということはまずあり得ません。

3.具体的な稼ぐ方法(マーケティング)
神田昌典氏、石原明氏、竹田陽一氏など、ここでは戦略・戦術ひとまとめにして解説しますが、具体的に稼ぐ方法を指南した成功方法です。こういった具体的な稼ぐ方法があって、はじめて現実に変化が起こります。独立する方法や起業する本など、物理的に変化を起こすためには、こういった成功方法を知ることが重要です。

ただ、どんなに優れたマーケティングでもビジネスモデルでも、使いこなすのは人。ですから、素直な心や前向きな思考力が必要になってくるわけです。

結論を言うと、先人たちが残してくださったよい習慣、考え方などを身につけながら、具体的な手法を学んでいく、というのがベストになります。

私自身これに気がつくまでかなりの時間がかかりました。

たとえば、ある成功法則の本には、「毎日トイレ掃除をするとよい」「靴をそろえるとよい」のような習慣を進めるものがあり、私自身も実践しましたが、それで収入が上がることはありませんでした。やはり、ただ習慣を改善するだけでは成果は出ないのです。

なぜ、成功ノウハウを学んでも、成功できないのか

さて、ここまで解説したところで、あなたも疑問があるでしょう。そう、なぜ成功ノウハウがこれだけあるのに、成功している人が少ないのか。本という形になっている以上、誇張や嘘は書いていない、という認識が一般的です。

しかしながら、本も完璧ではありません。本というものに権威はありますが、人間がつくるものである以上、本の中身がすべて正しいとは言い切れません。私の感覚でしかないのですが、本の7割以上は、何かしらの役に立つというのが実際だと考えています。

「本に書いてあることなんて大したことない」と言われる方もいらっしゃいますが、本を1冊書くということは大変な作業です。ずさんなノウハウしかないなら、1冊を書ききることはできません。少なくとも私自身、本を書くという仕事をさせていただき、そう感じています。

しかし、残念ながら、中には実績のみ、肩書きのみで本を出す方もおり、マーケティングがわかっていないのにもかかわらず、マーケティングの本を出しているという事実があることは、知っておいて損はないでしょう。

話を戻します。なぜ成功ノウハウを読んでも成功できないのか。

私自身もこのような成功法則を読み、目標を紙に書いたり、ほしいものを写真で撮って部屋に飾ったり、毎日掃除をしてみたりしましたが、どう考えても生活は改善されません。

でも、その理由は簡単でした。自分自身の「成功の定義」が決まっていなかったのです。

なんとなく、成功したい。なんとなくよい生活をしたい。ただ漠然とそう考えていた私に、「私の成功の定義」はなかったのです。そしてそれを実現する手段も持っていませんでした。

つまり、成功ノウハウを手に入れたところで、向かうゴールがなかったのです。

世の中の成功法則は「目標」を設定しようと言うけれど……

成功とは、たとえば豪邸。たとえば外車、海外旅行。こういうものが成功だとなんとなく思っていました。自由な時間、自由な仕事。でも、それは誰かが思い描いた「他人の成功」だったのです。

たとえば、私はあまり物欲がありません。免許証も車も持っていません。そんなお金があれば、仕事とゲームに使います。そして、あまり休みもほしいとは思いません。もちろん、たまに休みを取るとか、遊びに行きたいな、なんて気持ちはありますが、それ以上に生きている以上、今は特に仕事で自己表現したいのです。だから、毎日どこかで遊ぶだけの自由な時間がほしい、というのもありません。

これが私の定義のひとつです。

ですから、あなた自身がまず自分自身の成功や幸せの定義を考える必要があります。ところが、なかなかこの成功の定義、つまりは目標設定がくせ者なのです。

しかし、目標設定しましょうと言われて、すぐに目標を立てられる人は本当に少数派です。

たとえば、豪邸を建てたい! ということが目標なのか、年収100万円アップ、ということが目標なのか。それとも家族と一緒に仲良く暮らすのが幸せなのか。ただ趣味のゴルフに興じる時間を取ることが目標なのか。

つまり、多くの成功法則には「目標設定の仕方」が抜けているのです。私自身も何か変えたいと考え勉強したのにもかかわらず、結果が出なかったのはここに原因があります。

では、どのようにしたら目標はつくれるのでしょうか。

最初から夢は描かない

よく、成功法則では夢を大きく描き、紙に書こう。そう伝えます。しかし、最初のうちは大きな夢はあえて描かなくてもよいと私は考えています。なぜなら、大きすぎる夢や目標は、自分を萎えさせるだけだからです。

成功法則に従って、自分が手に入れたいもの(本当は心から欲していないのですが)を写真に撮って壁に飾った私は、最初はちょっとだけ気持ちが高揚しました。しかし、一カ月、二カ月経てども状況は改善しない。そんなとき、大きな夢は近づくどころかどんどん離れていってしまいます。そうすると、気持ちが萎えます。

ですから、最初から大きな夢や目標は描くべきではないのです。もちろん、根拠のない自信が持てる。そういう方は描いていただいて構いませんが、少なくとも私は最初の頃、大きすぎる目標はかえって気持ちを消沈させるだけでした。

ただ、近い将来、一度大きな夢を思い描くということは重要です。これは潜在意識にあなたの壮大な夢をすり込ませるという役割があるのですが、一度思い描くことによって、あなたが最終的に叶えたい夢の実現に必要な情報のアンテナが立つようになります。

たとえば、あなたが普段着ないピンク色の洋服を買ってきたとしましょう。普段はほとんど着たことがない色。こんな色、あまり町でも見たことがない。でも、着た瞬間に町中ピンク色の洋服を着た人がいることに気がつくのです。これがアンテナです。

そのため、最初に描いたことを潜在意識は記憶します。詳しい解説は本書の趣旨ではないので省きますが、少しずつ行動を起こし、小さな自信を持てるようになったら、一度大きな夢を描き、潜在意識にすり込ませてください。

とはいえ、私も大きな夢を持てたのは、開業してから三年以上経った時期でしたし、本当の意味での壮大な夢は、10年経った今やっと少しだけ描けるようになりました。ですから、今の時点で壮大な夢が描けなくても、まったく問題ありません。夢を持とう、夢に日付けを入れよう、なんて他人から言われても、やっぱりやる気は出ないものです。

さて、話を戻します。立てる目標は、やはり現実的なものであるべきです。そうでないと、やはり「おれになんてできるわけがない」「私になんてとうてい無理」と萎えてしまうのです。

では、目標はどのように考えればいいのか。それは次の四つの要素で考えます。

1.経済的要素
まずは経済的な要素です。誤解を恐れずに言えば、自分に関わる問題の八割くらいはお金の問題です。衣食住はお金です。そして車や旅行などもお金。自分自身でビジネスをするにもお金が必要になります。

日本はなんだかんだいっても、資本主義です。生きていくにはお金が必要になります。

人の心はお金で買えませんが、ある程度の問題はお金で解決することができます。重要なのは、この事実から目を背けないことです。ですから、あなたがどのくらいの年収を実現したいのか、こことしっかり向き合うことが重要です。もちろん、今の収入がいくらでも問題ありません。大丈夫です。私は最初、収入がありませんでしたから。

2.人間関係的要素
「お金持ちでも、不幸」。なんてフレーズは聞いたことがあるかもしれません。「あの人は成功したらしいけど、一家離散したそうよ」なんて、どこかのドラマにでも出てきそうなセリフです。つまり、人の成功とか幸せの要因には、やはり誰かとの関係を必要としていることが多い、ということになります。

孤独死、という言葉が近年フォーカスされていますが、果たしてあなたはそういう人生を望みますか、ということです。やはり家族関係を良好なものにしたい、そしてそれを幸せだと感じる人は多くいます。

家族関係でなく、仕事関係でもどのような人と仕事がしたい、誰かに認められたいというものもあるでしょう。ですから、ここでは広く「誰とどのような関係」を築きたいのか、という目標をつくることになります。

ところで、この人間関係というのは特に私たち日本人にとっては重要な要素です。これは、日本人という民族が、「他者との関係性」によって幸せを感じやすいという感受性を持っているためです。ですから、成功しても孤独では、幸せを感じない人が多いのもうなずけます。欧米などの成功哲学は、どちらかというとキリスト教の影響を受けていて、すでに個の確立があり、そして個の実現というところに重きを置いているため、実はあまり日本人にそぐわないという事実があることを付け加えておきます。

3.社会実現的要素、4.享楽的要素
詳しい人なら知っているマズローの欲求五段階説。その承認の欲求、自己実現の欲求のようなものです。世の中とどう関わりたいか、どういうことを世の中で成し遂げたいか。お金がなくてもやりたいことは何か。たとえばそういうことです。よくある自分のミッション探しや天職探しのようなものです。

そして、最後が享楽的要素。お金にもならないし、時間の無駄だってわかっているのにやめられない趣味、とかです。プロアスリートでもないのに筋トレが大好きすぎる、とか月一回はゴルフに行かないと禁断症状が出る、みたいなことになります。ちなみに私は極度のゲーマーで、たまの休みは狂ったようにゲームしてます。休みになってません。

以上、四つの要素からあなただけの成功の定義を決める必要があります。そうすることで、今後どのようにしたらいいか、という具体的な手順が見えてきます。

「私の給料は会社に決められているから、そんなこと言われても……」という方も、とりあえずはそういうものだと思って読み進めてください。

たとえば、私が最初に決めた経済的な目標は、月15万円の売上でした。15万円あれば、なんとか生活していける。15万円だったら、なんとかなるかもしれない。それが最初の目標でした。そして、その目標達成のために、具体的な方法論としての成功方法(マーケティング、営業)を使う。これがもっともシンプルな目標達成方法でした。

私が立てた目標を達成するのは、開業から数カ月後のことになりますが、その際に重要なことが3つあります。

ひとつは、前述の目標のうち、まずは経済的な目標を最優先にして考えることです。多くの問題は、お金で解決可能なものです。ですから、目を背けることなく経済的なことで目標を立てる必要があります。

ふたつめ。目標は「なんとなく」「暫定」でいいので決めてしまうということ。

目標達成できない理由のひとつに、「目標が決められない」というのがあります。いつまでも目標を決めきれず、先に行けない。これでは本末転倒です。ですから、暫定でいいので、とりあえず決める。そして毎年見直していくのがよいでしょう。

そして最後。これが一番重要なのですが、目標に対してあなたの感情がどれだけ納得感を持っているかです。

独立したり、何かアクションを起こしたりするのが怖いから「私はサラリーマンがベストだ」というのは、正直な感情ではありません。できることなら、フリーランスで活動したい。そう思っているのであれば、その道を段階的に目標にしていけばいいだけです。

私が思う成功や幸せというのは、「感情が満ちている状態」です。ですから、他人の成功を追いかける必要はありません。あなたが、あなたの思うもの、願うものを成就できればよいのです。

私が思い描いた、最初の目標は、月収15万円で雇われずに生きていくこと。

最初の目標はこれだけでした。私が開業した頃には、ライブドアやサイバーエージェントなどの新興IT企業がマスコミで注目を浴びている時期で、独立起業ブームでもありました。そのため、独立起業したというと「いつかはやっぱりヒルズ族を目指すの?」などのようなことも聞かれましたが、当時の私にとっては六畳一間、家賃6万4000円のアパートで、経済的な心配がないというのが幸せな状態でした。

もちろん、経験を重ねるうちに、やりたいことは増えていくのですが、当時、そんな野心のない私に対して、若いんだからもっと野望を持て、なんていう人もいましたが、私にはまったくそんな欲はありませんでした。極端な言い方をすれば、自分の目標なので他人の意見なんてどうでもいいのです。

あなたが、あなたの望む経済的成功、人間関係、社会実現、そして享楽にふける時間があり、あなたが心から納得することが幸せであり、成功です。

さらに世の中にある成功法則の本は、短期間で大きな成功をあおりすぎている感があります。しかし、経済的に困窮している場合を除き、短期間で変えなければならない理由はありませんし、また自分が求めない規模の成功も、また求める必要がありません。

5カ年計画なんて、立てられない

では、どのように目標を設定すればいいのか。

よく、成功法則などの本では5年後、10年後の自分をイメージして逆算しようと言いますが、はっきり言ってこれは高度です。そもそも今の状況が「駄目かもしれない」と嘆いているわけですから、五年後によいイメージなどできるはずもないのです。

私自身、開業した直後は5年後どころか5日後の自分すらわかりませんでした。五年後などから逆算できるのは、確固たる自分が見えている人のみできる、高度な目標設定方法なのです。

ですから、すべき目標設定は、なんとなく今年の目標というのを経済的、人間関係、社会実現、享楽のジャンルで考えることです。そして、とりわけ経済的なところに重点を置くことが重要です。

このとき、あまり考えすぎて完璧な目標をつくる必要はありません。目標は具体的である必要はありますが、暫定で構いません。

どうでしょう。ちょっとずつ、わかってきましたか? なぜ世の中に成功ノウハウがあるのにもかかわらず、成功者が少ないのかは、こうした理由からなのです。

どちらかというと、才能があるかどうかよりも、正しい自分だけの目標設定と実現手段が見つかるかどうか、ここが焦点になっています。

最初は自分でつくる計画よりも、他人の成功計画をなぞる

少し理屈っぽい話になりましたが、まずはこの四つの要素に対して、あなた自身がどのような目標をつくるか。重要なのは他人の意見ではありません。自分の感情です。これにそって、現実的な目標をつくっていくことが人生を好転させる最大のポイントです。

しかしながら、実はいきなりこれに向かうのも難しい点があります。ゼロから何かを生み出すのは、やはり簡単ではありません。そこで、最初は自分の目標達成の前に、成功事例をまねることが重要です。

私が最初に行ったのは、成功している行政書士を探すことでした。

そもそも試験に受かったはいいけれど、本当に行政書士で食べていけている人はいるのだろうか? そうした疑問もあり、行政書士会の先輩を通じて、成功している人たちを探しました。結果、そこには予想をはるかに超えて、成功している人たちがいたのです。

私は、そうした先輩たちにどのようにして仕事を取ったのか、まるで取材するかのように聞き込みました。こうして、先輩たちがどのように計画し、そして営業を実践したのかを知ることができました。私は、その後、先輩が実践した行動をなぞることにしたのです。

もともと才能がある人だったとしても、何もかもうまくいかない、もう駄目かもしれないと考えているときは、新しいアイディアや創造性の高い計画などはできないものです。

私自身、どのようにして動いたらよいか。そもそも計画の作り方もわかりませんでしたので、うまくいった方法をなぞることにしたのです。自分自身で経営を勉強すると、SWOT分析やマーケティングの4Pだとかがでてきて、自分の知識のなさを嘆くだけになってしまいますが、誰かがやった行動をなぞる、というのは決して難しいことではありません。こうして私は、まずはお手本を見つけることにしたのです。

もちろん、先輩たちが実践した時期と、今では状況が違います。厳密に言えば、成功事例を「今風に」「自分のことに置き換えて」なぞる、ということになります。こうすることで、大きく勉強の時間を省くことができます。

私が経験から得た、成功するための習慣と考え方

私自身、単純に成功法則を信じ、目標を設定したり理想的な1日のスケジュールを自分なりに考えてみたりしましたが、最初の頃はどうしてもうまくいきませんでした。それは目標が現実的でないことがひとつの要因。そして、それを実現する手段を持たないこと、さらに考え方を持っていなかったこと。これらによって私の人生逆転劇の序章が加速することはありませんでした。
「なんとなく」開業してしまった私は、いきあたりばったりの日々を送ります。何かを勉強しようと思って図書館に行ってみたり、思いつきでホームページをつくってみたり。でも、いきあたりばったりなので、結果は出ません。1年以上は、平均月収が20万円を超えることはありませんでした。しかしながら、新たな考え方を身につけ、他人の成功をなぞることで、少しずつ考え方は変わります。

本来は、こうした考え方はあなた自身の経験や学びによって得ていただきたいのですが、私がこれだけは大事にしてほしいということを少しだけお伝えしておきたいと思います。

知識は、習得するものではなく、調べるもの

大学時代から経営の勉強をしてきたわけでもなく、社会人経験を積めなかった私は、経営、営業に関する知識がほとんどありません。しかし、少しでも収入を稼がなければならないため、勉強している時間もありません。

そこで、知識を習得することを諦めました。もともと本を読むのも速くないですし、そもそも本を買うお金がありません。そのため、半ば強制的に勉強することを止めました。

では、どのようにしたかというと、目的に応じて「調べる」ことにしたのです。ホームページをつくって集客できる、ということがわかれば、ホームページに関する本を読み、調べる。名刺を作り替えると仕事が来やすいよ、と聞けば、名刺に関するノウハウがある本を使って調べる。

このように、必要に応じて、目的によって「調べる」ことにしたのです。これによって、勉強にかける時間が劇的に減り、様々な行動につながりやすくなりました。

ベストセラーをいつも押さえている。ビジネス書の名著はほとんど読んでいる。そういう人に会う度に、私はやっぱり自分なんて駄目なんだ、レベルが低すぎると感じてしまっていました。しかし、よく考えれば、読書量が多いことそのものは、素晴らしいことですが、だからといってそういう人が成功しているわけでもないのです。

私自身、通算で「調べた」本はこれまでに何千冊とあると思います。しかし、最初から最後まで通読した本というのは10年間で100冊もないのではないでしょうか。

『もしドラ』もろくに読んでいませんし、ドラッカーそのものもあまり読んだことがありません。つまり、いつのまにか私自身の体験を通じて、「体系的で豊富な知識」がなくてもそれなりにうまくいく、ということを実証したことになります。

もちろん、勉強することは大事なことですし、知識があって困ることはありませんので、時間があれば様々な勉強をしたほうがよい、というスタンスが基本であることは付け加えておきます。

ところで、この「勉強する」ということだけではないのですが、物事、もっと中途半端でいいと思うのです。勉強をしたところで、すべての知識を手に入れることは不可能です。人脈術も営業術も、商品・サービスの完成度にも終わりがありません。そもそも自分のスキルアップだってなんだって、完成されることはないのです。どこか中途半端で未完成のままなのです。

自分が何か中途半端だなあと感じるのは、いたって普通のことで、個人的には70点くらい付けられるものがあれば、それはもう十分なんじゃないかと思います。もちろん、完成度を高める必要はあると思いますが、あとはどこでそれを使うか、という勇気を持てるか、ということになります。

私自身も、たとえば、最初につくった名刺、「横須賀行政法務事務所」としたのですが、これを使っていいものか、わかりませんでした。でも、完璧な名刺ってなんだかよくわかりませんし、「とりあえず」というのは決して悪いことではないと思うのです。あなたが、もし、何か今の自分が中途半端だなあと感じていても、それはいたって普通で、それよりも今後どうしていくかのほうが重要になります。

まとめると、曖昧な状態に慣れる。そもそも何かが完成することはない。だからこそ、その状態でなんとなく目標に向かっていくことが重要になります。人間だもの、完璧になんかなれっこないんです。今の私もまだまだ曖昧で中途半端なのです。

社会人失格でも、人は私を人として扱ってくれた

そんな中途半端な名刺をつくって、恐る恐る世の中に出てみました。

とりあえず、先輩に聞いた話では、人脈をつくるといいと。そこから紹介で仕事はやってくる。しかし、名刺をつくったところで、社会人としては褒められる要素がほとんどない。自信もない。そんな状態で初めて異業種交流会というような場に行きました。

とある都内の公民館のような施設で、部屋の隅にペットボトルのお茶が置いてある。そんな会場で、名刺交換会が始まります。名刺交換をすれば、仕事の話になって、年齢もバレる。23歳で行政書士として独立開業なんて、信じてもらえるわけない。信用されるはずがない……。

ところが、世の中の人は思ったより心優しい人が多かった。それが私の印象です。

一人の人としてちゃんと扱ってくれるし、フリーランスとしても認めてくれる。私は、自分自身を人として扱ってもらえることにとても感激しました。それまでは、どこかで人を見下すところがあったものの、この頃から本当に人が接してくれることがありがたくなり、つまり感謝のレベルが下がったのです。普通に会ってもらえるだけでも本当にありがたい。ちょっとしたことがありがたいと思えるようになったことで、日々が楽になりました。

そして、自分自身を底辺の人間だと認めることで、出会うすべての人が先生になりました。年下であっても、立派に企業に勤めている人もいますし、年齢やキャリアは本当に関係ないのです。

私のような最下層人間は、すべてのことが学びです。弱い自分を認めることは、本当につらいことでした。しかし、今の駄目な自分を受け入れることによって気持ちは楽になりました。

「自分には何もない。だからこそ、もっと学ぶ必要がある」と考え方が変化していったのです。

メンターなんて、現れない

様々な成功法則の中で、これだけは断言できます。そう、人との出会いで人生が変わることがあると。

前述のとおり、私は栢野さんにお会いして変わりました。ご本人は「私は何もしていない」と謙遜されますが、私にとっては存在そのものが感謝なのです。

数多ある成功法則の中でも、人に出会うこと。これだけは間違いない成功法則だと言えます。もし、あなたが何か迷っているという状態であれば、ぜひ様々な人に会ってください。自分が憧れるような人に会ってください。そうすることで、多くの問題が解決することがあります。

これは理屈でいえば、自分と違う経験、価値観を持っている人から客観的なアドバイスをもらうことができるため、方向性が見えやすいと説明できるのですが、それよりも人に会うことの空気感。この本では伝えにくい「感じ」が重要だと私は考えています。憧れの人の文章を読むより、DVDで講演を聴く。DVDより直接話を聞く。この雰囲気を感じること、そして直接何を言われたか。こういうところで大きな変化があるのです。

ところで、よく成功法則に「メンターを見つけなさい」というものがあります。メンターとはいろいろな教えを説いてくれる人のことを指すと思いますが、これはある面では同意、そしてある面では間違っていると考えています。

「人に出会う」という意味では、幸運にもメンターとなる人に会うことができる人もいるでしょう。しかし、実際のところは「無料で何もかもあなたに教えてくれる」という人に出会える確率は決して高くありません。

あえてわかりやすく、大胆な言い方をするならば、「メンターはお金で買う」というのがもっとも近道です。セミナーに出る。コンサルティング料を支払う。最初はこのようにお金を出して、自分から機会をつくったほうが明らかに早いといえます。どこかにあるような「たまたまどこぞの高級ホテルで大富豪に会って、その大富豪が次々に課題を与えてくれ、いつのまに億万長者になっていた……」なんてサクセスストーリーは、99パーセントないのです。

だからこそ、人に会うということは自分で道を切り開き、機会をつくっていかなければならないのです。

本書に登場する渋谷で出会った彼も、人ごみの中で私に声をかけるという勇気を持っていたことを忘れてはなりません。

第3章 僕はどうしても、 誇れる仕事で 成功したかったんです 前編

「コーヒーのおかわりはいかがですか?」

ウェイターにそう聞かれ、コーヒーの追加注文をした。中は涼しいが、外は照りつけるように日が差し、汗をぬぐう人も多い。彼はいつのまにかノートを取り出し、メモを取り始めていた。最初はただうなずくのみだった彼の聞く姿勢が、少しずつ変わってきた。彼はその手を休めることなく、会話を続けた。

「なるほど、成功法則にそんな分類があったんですね」

「そう。だから、読み方が必要なんだよね。ただよい習慣だけ実践しても結果は出ないし、たとえば大きな夢を描くというのも人によってはマイナスになる。最初から自信を持って夢を描けるっていうのは、やっぱりある種の才能なんじゃないかな」

「そうすると、経済的、人間関係、社会的……と享楽的な要素の中で、自分が実現したいものを考えていけばいいんですね」

再びペンを取り、メモをする。彼のノートは短時間で次々に埋まっていく。

「そういうことかな。それと、肝心なこととしては健康だよね。これがないと成功も受け取れない。で、その4つの要素にも順番があって、それを間違えると逆転にはなかなか届かなくなるんです」

「どういうことでしょうか?」彼は身を乗り出してたずねてくる。

「まずはお金ってこと。これが最優先になるんです」

「え、でも人生ってやっぱりお金だけじゃないと……自分みたいな人間だってそう思うんですけど」

「では、その辺の誤解もときながら、本格的に人生を好転させる方法をお話ししましょうかね」

ロバート・キヨサキ『金持ち父さん、貧乏父さん』が教えてくれた真実

「普通に会社員になる」というとても小さな夢すら破れた私。それでも、両親を悲しませたくないという思いや、このままではいけないという焦燥感から少しずつ行動を起こし、そして大阪まで行きます。人に会うことで自分が変わり、少しずつ人生が変わってきました。

世の中にある成功法則に触れ、徐々に「世の中の仕組み」が見えてきたような私。しかしながら、気持ちはあっても経済的な状況は一向に改善されない。そんな日々が続きます。

ところで、本書をお読みの方には、真面目に働いているのに、会社で昇給や昇進がもう見込めなくなった。病気や事故で会社を辞めざるを得なくなったり、会社に就職することができなくなった。そして、私のように会社をリストラされ、ブランクがあいてしまい、再就職できない。あるいは年齢的にもう就職活動しても相手にされない、そういう方もいるでしょう。

結論から言えば、もうそうなれば選択肢はひとつです。自分自身で仕事をつくり、それで生きていく。

つまり、独立開業すること。これ以外には考えられません。無茶は言っていません。これが最短距離なんです。

もちろん、前述のとおりあなたの成功の定義が、「会社員として職務を全うすること」であれば、それがあなたの成功です。ですから、独立なんかする必要はありません。私の意見なんかどうでもいいですし、自分の意志と向き合うことのほうがよっぽど重要です。

しかし、会社員として職務を全うすることがあなたの幸せではないなら、違う道を選んでいく必要があります。つまり、会社勤務でないなら基本的には独立起業を選択することになります。

なぜ今の状況をひっくり返すために、独立起業がもっとも適していると言えるのか。これは、10年前にベストセラーになったロバート・キヨサキ氏の『金持ち父さん 貧乏父さん』がとてもわかりやすく解説をしています。

収入というのは四つの区分(クワドラント)に分かれるというのが、ロバート・キヨサキ氏の解説になります。Eクワドラントと説明される「従業員」。Sクワドラントと説明される「自営業者」。そして、Bクワドラントが「ビジネスオーナー」、Iクワドラントが「投資家」です。収入がどのように入ってくるか、というのを冷静に考えると基本的にはこの四つになります。

当時、『金持ち父さん 貧乏父さん』が大ベストセラーになったため、書籍の解説を読まず、なんとなく「金持ちとは、やはり投資をしてなるもの」つまり、株式投資や不動産投資の部分がフォーカスされてしまいました。そのため、この収入の区分というものより、やはりこれからは不動産投資だ、というような風潮が大部分を占めてしまったのです。

この作品のヒットの後は、サイバーエージェントやライブドア、村上ファンドなど、いわゆるヒルズ族のような起業ブームがあり、そしてリーマン・ショックで景気はすっかり冷え込んでしまいました。とりわけライブドア・ショックとリーマン・ショックの影響は大きく、それとともに起業ブームは去り、投資はFX投資が大きく注目を浴びるようになった、というのがこの一連の流れです。

この一部始終に目を奪われてしまいがちで、なんとなく流し読みになってしまいがちですが、注目すべきは4つの収入区分です。

日本で仕事をしている大部分が「E」、従業員(雇用者)です。つまり、自分の収入を誰かに決められていることになります。もちろん、これそのものはいたって普通のことですし、そういった人たちが日本の企業を支えているのは事実です。

しかし、私のような夢破れ、そして再就職も難しい(私の場合は、その気力がなかった)場合には、もう雇用されることで人生を逆転させることは難しいのです。長く勤めれば給料も次第にベースアップする。これが従来の給与の考え方ですが、すでに終身雇用制度はくずれ、シャープやNECのような大企業ですら、大リストラを敢行しています。

結論を言えば、雇われている以上は自分で自分の収入を決めることはできず、仮に転職に成功したとしても、大幅な収入増を見込める時代でもないのです。もっとも、ビジネススキル、語学力、コミュニケーション能力など、ビジネスマンとしてはるかにレベルの高い人は別です。多少経歴に傷があったところで、なんの問題もなく高収入の職にありつけるでしょう。しかし、私はそうではありませんでした。

学歴も普通。能力は高くない。職歴もほぼないのと同様。つまり、もうEの区分では高みは望めないのです。もちろん一定の収入はアルバイトや派遣社員などで可能ですが、人生を逆転させる、という意味合いからは少し遠ざかってしまいます。

独立すると心配だと思う、でも心配しなくていい

Eクワドラントが就職。そう考えるとSが独立開業です。このほかにB・ビジネスオーナー、I・投資家という選択肢がありますが、後者のふたつの区分は、はるかにレベルの高いものです。

ビジネスオーナーというのは、お金を出して経営を行ってもらうこと。そしてその中から配当をもらったり、役員報酬を得たりする収入区分です。これは説明するまでもなくある程度の資本が必要になります。誰のどのような会社に出資するかという経営的なセンスも必要ですし、何より私にはお金も経営知識もなかったため、これは論外。

これに対して、投資家は比較的現実的です。ただし、投資するといっても元手となるお金は当然必要ですし、投資の知識も必要になります。デイトレードや不動産収入で食べていっているという人もいますが、それぞれの投資家が並々ならぬ努力をしています。私のような素人が参入したところで、勝てる分野ではない、少なくとも私にとっては勝てる場ではないと判断しました。

個人的なことを言えば、投資を否定するのではありませんが、なんとなく、やはり働いた分としての報酬がほしいという、お金に困っているのに変に真面目なところもありました。こうなると、まずはSクワドラントの区分として、独立開業するしか方法はないのです。

「ちょっと待ってください。というと、つまり横須賀さんの言うとおりだとすると、最終的に独立開業するしかないってことですか?」

彼は手にしていたコーヒーカップを置き、そうたずねてきた。私は答える。

「もちろん、勤めるという方法もある。ただ、もう日本は右肩上がりの成長はしていないし、よほど成長分野で伸び続ける優良企業を見つけない限り、収入を増やすというのは難しいよね。たとえばさ、私は会社を1カ月でリストラされてる。もしあなたが社長だったら、私を雇う? 高い給料払う? スキルも経験もまったくないんだよ」

「うっ……。そうすね。それだけ聞いたら雇わないですね。雇っても、雑用とかからかな」

彼は少し困った表情でそう答えた。素直な回答だ。

「でしょ。そうなるよね。だから、会社の中で給料を飛躍的に伸ばして、経済的な目標を達成するのは結構難しい。昔は頑張ればそれなりに反映されたけど、今はどこの会社も景気のよい話があるところばかりじゃない」

「そうすか……。じゃあ、自分は成功できないってことですかね?

「ん? なんでそうなるの?」

「だって、独立起業なんて誰でも成功させられるものじゃないですよ。借金とか怖いし。失敗したら夜逃げとか、もうそれこそ人生終わりじゃないですか」

「でもさ、私の話を聞いて、とりあえず才能とか経験とか、そういうので決まるっていうわけでもないってことはわかったよね?」

「あ、はい。確かにそうですけど……」

「確かにね、何十億とか稼ぐって話になれば、動くお金も大きいし、借り入れもするでしょう。でもね、自分が食べていく……そうだね、1000万円くらいの年商は、そんなに難しい話じゃないんだ。お金に関するリスクもそんなに多くない」

「……本当なんですか?」

「じゃあまずはお金のリスクに関して。間違った認識を変えていこうか」

なぜ、会社の倒産が人生の終わりのように聞こえるのか

独立開業をなんとなく決めた当初は、どうやって月何十万も何百万も稼ぐのだろう。うまくやっていくためにはどうすればいいんだろうと、開業したものの、謎だらけです。ましてや会社を解雇されたレベルの私ですから、うまくいくとはとうてい思えません。

でも、会社を起こしたけれど、数百億の負債を抱えて倒産とか、一家離散とかそういったネガティブなことは容易に想像できます。

ただ、実際のところ、開業しても想像のようなそこまでの極端なリスクはないのです。リスクの99パーセントは「お金」。これさえ解決すれば、フリーランスなんてまったく難しいことはない。ということで、その不安を早めに解決してしまいましょう。

とにかくもう一度フリーランスで仕事を取って食べていく決意をし、必ず成功して前の会社を見返してやる。そう心に決めました。しかしながら、相変わらず金銭的な不安がつきまといます。よく聞く独立起業の不安といえば、やはりお金。私はこのように考えていきました。

まず、借金に追われて倒産するというリスク。これは借金さえしなければどう考えても発生しないリスクです。会社が借金で倒産する、なんてことはたとえば、一億の借り入れをして、その後業績が悪化。それを見た貸し手の銀行が返済不能を察知して、早めに返してくださいと請求する。これが借金による倒産の仕組みです。ですから、普通に考えて借金さえしなければ、倒産リスクなどは起こりえないのです。

私も、今でこそ会社で借り入れをしていますが、開業から5年ほどは借金をせずに活動していました。そのため、自分で考えた範囲以上にお金の請求をされる、ということは一度もありませんでした。借金する必要がなければ、しなければいいだけの話です。開業にあたっては、手持ちの資金のみで行う。あるいは借金するとしても、家族、親族などの範囲内で行えば大きなリスクはありません。

また、仮に会社を辞めてしまっても、最悪、再就職する方法もしっかり残されています。仕事を選ばなければ求人は必ずあります。仮にもし独立開業してうまくいかなかったとしても、また就職しながら次の機会を窺えばいいだけの話です。また、週3回、4回勤めながら、フリーランスで働くというなんとも今らしい選択肢もあるでしょう。

終身雇用制度が崩壊し、フリーランスで仕事をすること、転職すること、働くことにも多くの価値観が今ではあります。ひとつの会社を勤め上げなければならない、という考え方は立派なものだと思いますが、今はたくさんあるうちのひとつの選択肢でしかないのです。

私の場合、借金はしませんでしたが、最終的にこう考えました。

お金がなくなったら、売れるものを売ろう(実際、ゲーム、漫画、書籍などは売りました)。売れるものがなくなったら、どこかから借りよう。そのお金が返せなくなったら、また借りよう。そしてどこからも借りられなくなったら、自己破産しよう。自己破産して住むところも何もなくなったら、実家に帰って土下座して、しばらく食べさせてもらおう。

実際は幸運にもここまでいかなかったのですが、一応これでお金の不安については対応策ができました。そうすると、もう行動するしかないのです。借金さえしなければ、お金がなくなったことで再起できないこともありませんし、何度もやり直せます。重要なのは、今の状況を打破することに他なりません。

私はお金について真剣に考えたとき、気づきました。不安になるのは「お金の不安を考えているだけで、何も行動していないから」だと。

不安というのは動いていないとどんどんふくらんでいきます。不安だ、不安だと考えるより、「どうすれば金銭的リスクが防げるか」を考え行動することが重要なのです。

最悪、フリーランスの仕事に行き詰まったら、アルバイトをすればいいし、何度でも再起できます。過去、転職することはあまりよいこととされませんでしたが、今では普通。

何度失敗しても周りの評価を気にせず、再起する勇気さえあれば良いのです。

そういう意味では多様な働き方が認められる現代って、なんて素晴らしいんだろうと思うわけです。

それから小さなことかもしれませんが、「独立起業」という言葉のイメージが重すぎるのもリスクが高く見える要因です。「独立起業」という言葉のイメージにおどらされる必要はありません。言葉は言葉。月収15万円での独立起業でも独立起業にはちがいありません。

ノートに引き続きメモを取る彼。もうすでに何枚ものページにメモが書かれている。どのようなことを書いているのだろう。そんな私の疑問を跳ね返すように、彼が続けた。

「そうか。借金さえしなければ、またバイトすればいいってことか。なんか独立起業をすっごい大げさに考えていた感じがします」

「そうそう、何度でもやり直せばいい。何度でもやり直して、勉強していけばビジネスは自然とうまくなる。チャンスもやってくる。スポーツの世界は厳しいけど、ビジネスは必ずしも金メダルを取らなくても、成功といえるからね。とはいえ、会社でお金を借りるということが、必ずしも悪いことではないんだけどね。まあ、これは先の話かな」

「そっか……。じゃあ具体的な仕事は? どんなことをすれば稼げるんですか?」

「そうだね。やっと本題っぽくなってきましたね」

独立開業の成否の鍵は、始める前にある

では、話を物語に戻しましょう。大阪での栢野さんとの出会いから一カ月。東京に戻った私は劇的に行動が変わります。飛び込み営業を繰り返してみたり、異業種交流会に積極的に参加したり、商工会に入り活動を手伝うなど、仕事をもらえる可能性があるものはすべて実践していきました。

すぐに仕事につながることはあまりありませんでしたが、それでも姿勢は以前とはまったく違うものでした。「人間が変わる」とはよく言いますが、まさに自分でも信じられないような変わりようです。

「独立起業の成否の六割は、動機やモチベーションで決まる」
これは一〇年間フリーランスで仕事をやってきて感じることです。マーケティングや営業の方法などは、本書以外にもいくらでもあります。情報が多すぎるといってもいいくらいです。だから、あなたにやる気があれば、本書も宝の山ですし、やる気がなければゴミ箱行き。ヤングジャンプでも読んでいたほうがよっぽど楽しいです。ただ、少なくとも復讐に燃えた私にとって、ビジネス書は漫画や映画より面白くてたまらないものになっていました。

ところで、私はこのような状況から、行政書士で独立開業します。よくよく考えれば、別に行政書士でなくてもよかったわけです(もっとも、当時そんな冷静な考えはありませんでしたが……)。結果として行政書士で開業したのは正解でした。

理由はいくつかあるのですが、まず「商材」が最初からあったという点です。普通、独立開業すると何で起業するのか「商材」探しで行き詰まります。何を仕事にしようか、何がお金になるのか。こう考えてしまうと、では自分がやりたいことは何か、好きなことを仕事にしよう……などと迷いが出てしまうのです。そして前述のとおり他人の成功をなぞるのです。

これだけは言えます。最初は「やりたいこと」ではなく「できること」から始めるべきであると。

さらにその中でお金になることを実践し、結果を出し、その後、やりたいことをやる。最初からやりたいことで成功する、というのはかなり上級者向けです。私のような普通の人にはできません。そういう意味では、資格業というのは仕事内容も決まっていますし、取り組みやすかった仕事であるといえます。

ところが、このフリーランスでやる仕事は、どの仕事でも一所懸命やれば必ず稼げるわけではありません。よく「正しい努力をすれば、必ず成功する」と言いますが、そもそもクリアしていなければならない問題があるのです。言い換えれば、始める前から、そのビジネスで稼げるかどうかが決まっている、ということになります。

1年後、月商100万円を突破し、年商1000万円が見えた理由

栢野さんにお会いした後、私は人が変わったように熱意を持って仕事に取り組み始めました。しかしながら、一体どこから手を付けてよいかわかりません。

とにかくできることはやろう。お金がかからないことでできることがあれば、何でもやろう。書籍や行政書士会で知り合った諸先輩の成功事例などから、「反応があった」という営業方法なら何でも実践しました。私が聞いた成功事例は次のとおりです。

・人からの紹介/・飛び込み営業/・チラシ配り/・ポスティング/・広告/・ホームページから/・FAXDM/・ダイレクトメール/・ニュースレター etc

飛び込み営業でもポスティングでもとにかくどんなに非効率でも時間の限りすべて実践。しかし、なかなか売上には結びつきません。依頼があった仕事としては、先輩からの紹介、自作のホームページからきた法務相談、セミナーや交流会などで会った人からの相談、紹介などです。ホームページはお金がないのでもちろん自作。FAXDMや広告はお金がないので実践できませんでした。

実践した結果、正直なところをお話しすると、月の売上は10~20万円前後。なんとか食べてはいける金額ですが、毎日お金がなくなる恐怖との戦いです。毎月、一カ月が終わって、「なんとか生きながらえた」と安堵する。これを繰り返していては、いずれ精神のほうが破綻します。廃業まであと四カ月……そういった危機からは少し脱却していましたが、それでも不安の日々が続きました。もう売る本や漫画、ゲームなどはない。いつか仕事が途切れたとき、廃業してしまうのではないか……。眠れない日々は一年続きました。

そんな苦しい日々が続く中、自分が受けた仕事の中身をもう一度見直してみることにしました。車庫証明、契約書作成、相続、遺言作成、宅建業許可、建設業許可、会社設立、内容証明。ここであることに気がつきました。そう、単価がやけに安いものと対照的に高いものがあるのです。

それが「ビジネスモデル」に気づいたきっかけでした。こう考えたのです。「営業方法が悪いのではない。そもそも稼げるビジネスをやっていないんじゃないだろうか?」と。この「ビジネスモデル」との出会いが、業績改善の突破口になります。

ビジネスモデルというのは、様々な定義がされていますが、私から見た認識は「仕組み」。つまり、どうやってお金が入ってくるか、という構造です。

結論から言えば、このビジネスモデルが破綻しているとどんなに営業努力をしても、報われません。このあたりが世の中のビジネス書に欠けている部分で、優れたマーケティングさえすれば成功するように見えてしまうわけです。しかしながら、実際のところはそうでもないのです。前述のとおり、一所懸命営業をしました。しかし、一日一五時間以上働いたところで、収入は一向に増えなかったのです。

私の体験談の前に整理をします。まず、ビジネスモデルありきなのです。そして効果的な営業、マーケティング。そして最後に時間配分。これでビジネスは決まります。

たとえば、私が扱っていた商品・サービスは、低価格のものばかりでした。30分の相談が3000円。行政書士の仕事として、車庫証明の手続き代行が5000~1万円。あるいは内容証明郵便を代筆して8000円。これでは多数の仕事を受けない限り、一向に売上は伸びません。

そこで、単価の高い商品を扱うことにしました。当時選択したサービスは会社設立手続きというサービス。一件で15万円はもらえる仕事です(※2003年当時)。こうすることで、同じ数件の仕事をしたとしても、入ってくる金額が違います。5000円の仕事では、30件受けて15万円ですが、会社設立は一件受ければ一五万円。つまり、単価の高い商品・サービスを取り扱うというのがビジネスモデルの第一の鉄則になります。

月の売上が100万円を突破するために、この単価の高い商品を取り入れることは必須でした。主要取扱い商品を会社設立にしたことによって、2件で30万円。3件で45万円。今まで3000円、5000円の商品を積み上げていたときよりも、はるかに簡単に達成できます。実際に2004年の7月から主要サービスを変え、同年の9月に100万円を達成しています。同じ営業努力なら、単価の高い商品を扱うことが、独立成功のポイントなのです。

こうして、当時、比較的単価の高い商品を取り扱うことによって、少しずつお金が貯まるようになってきました。独立して「食べられない」人の多くが、単価の安い商品を取り扱っていたのです。

もちろん、単価の低い仕事の価値がないわけではありません。最初は高い金額の商品を取り扱ったほうが成功しやすいということなのです。この次に営業の効率化、強化を行う。多くの人がこのビジネスモデルの重要性に気がついていないのです。

ビジネスモデルの確立から、突破口となる営業手段を見つけろ

いわば「勝てる」ビジネスモデルを確立できたら、次は営業です。この頃からセミナーの仕事もいただいていましたが、まずは行政書士の仕事を取ること。これが最優先でした。

単価が高い商品を取り扱うことで、突破口は見えた。では、次はこの確率を高めていくことでもっとうまくいくはずだ。そう考えた私は、ビジネスモデルを考えたときのようにこれまで実践した営業手法をもう一度振り返ってみることにしました。

・飛び込み営業……100件以上行ったが、成果はゼロ。精神的にもつらい。
・ポスティング…1000枚以上ポスティングしたが、反応はゼロ。
・異業種交流会参加……売り込まれるばかりで仕事は来ない。
・メルマガ……まぐまぐ! で発行。出す度に読者が減り、反応はいまいち。のちに廃刊。
・ブログ……効果あり。ブログを書けばアクセスは集まるし、相談も来る。
・セミナー参加……名刺交換をして仲良くなってからの紹介がたまにある。
・ニュースレター……「もう送りつけるな」ということも。応援してくれる声もあるが、予算的にも厳しい。
・ホームページ……問い合わせはブログも見たという意見がほとんどだが、依頼はここを通じてくることが多い。

こうして冷静に振り返ってみると、セミナーに参加して名刺交換をする。この方法とブログを書いてアクセスを集め、サイトから問い合わせを取るというのが一番効果が高そうだという結論に達しました。

そこで、営業手法をこの二つに絞ることにしました。セミナーに参加して名刺交換。そして日々のブログを書き続けることによってアクセスを集める。結果としてこれが大正解でした。

特にブログは、背景にあったブログブームに乗り、一日のアクセスが50、100、500、1000と増えていき、一気に知名度が高まりました。私の中での結論は、営業というものは、才能のあるなしではなく、やってみたことを検証し、工夫をしていくだけなんだということにたどり着きました。そうか、営業経験とかなくても、とりあえずやってみる。やって成果が上がらなかったら検証する。駄目そうならやめる。うまく行けば量をこなす。たったこれだけのことなんだ。

もともと営業経験どころか、社会人経験もない私。でも、できたんです。もちろん経験があったほうがスムーズなのでしょうけど、経験がなくても仕事は取れる。それを自分で立証したとき、少し誇らしげな気持ちになったのを覚えています。

このように、ビジネスモデルがあって、マーケティング・営業術が役に立つ。これが開業の第一段階に求められるものです。

これに加えて、時間の考え方が重要になります。言い換えると、「いかに自分の時間を、お金を生みだす時間に使えるか」という意識を持つことが最大のポイントです。ところが、時間についての考え方があまり知られていないと私は考えます。普段のビジネス活動の時間は四つに分けられます。

1.利益生産活動 2.利益維持活動 3.無利益活動 4.利益減少活動です。

1の利益生産活動とは営業です。人と会って名刺交換をする、ホームページをつくって広告を出す。このような自分のことを知ってもらうための活動。

2の利益維持活動は、仕事をこなしたり、打ち合わせをしたりなど、発生した利益を維持する活動で、大部分がこの利益維持と、そして利益を生まない活動に費やされています。

4の利益減少活動をわざわざ行う人はいないでしょうから、いかにこの1の活動に時間を割けるかがポイントになってきます。これに気づいた私は、とにかく少しでも仕事につながる活動を増やし、月商100万円に至るのです。

当初のスタートから、想像もつきませんでしたが、約一年半で達成した月商100万円。しかしながら、第二の壁にぶつかります。

それが、商品・サービスの種類と1日が24時間ということ。行政書士の仕事そのものは何か商品サービスを仕入れることはありませんが、時間がかかります。仕入れがないこともビジネスモデル第二の鉄則として挙げられるものですが、いわゆる労働集約型。つまり時間と身体を使って初めてお金がもらえる仕事です。そのため、一日24時間のうち自分が動いた分しか稼げないわけです。

本来、ここでスタッフを採用して組織化をしていくわけですが、リスクなく食べていくことが最優先だった私は、スタッフの採用を選択肢に入れることはなく、自分ひとりで業態変化できることはないかと考えます。

それが、サービスではなく「商品」の提供でした。具体的に言うと、ビジネス教材の制作やセミナー講師の仕事。講師の仕事は肉体労働ではありますが、お客様を多数集めることで、短時間でも大きな収益を出すことができます。そして、ビジネス教材をつくったことによって、収益を大きく伸ばすことができます。

たとえば、ビジネスCDを10枚販売するのも、30枚販売するのも、手間はそれほど変わらないからです。

こうして、労働集約型のビジネスに商品販売型のビジネスを加えることによって、月商は100万円前後から150万円~200万円まで伸びました。

これがビジネスモデル第二の鉄則です。

心配なく、安定的にビジネスを続けたい一心から

月商が100万円を超えると安心します。しかし、それでも来月はどうなるかわからない。こうした心配がありました。そこで継続的にお金がもらえる仕組みはないだろうかと考えます。それがコンサルティング契約などの長期契約でした。

1年以上営業に取り組んできた私は、「なんとなく」仕事を取るということがどういうことなのか理解できました。そうすると、「私のビジネスについてもアドバイスがほしい」「僕のホームページを見てほしい」という声が増え、月1万円、月3万円などのコンサルティング契約が少しずつ増えてきたのです。

「そっか。儲かるビジネスをしっかり選ばなきゃ、ってことなんすね」

「そう。気づくまでは本当に貧乏だった。お金に対して飢えていたのに、肝心のビジネスについてはあんまり考えてなかったんだよね」

「……単価が高い商品。労働集約型と商品販売型。継続収入のモデルと仕入れがないこと……。これだけですか?」

彼はメモで埋め尽くされたノートを確認しながら聞いてくる。

「あとはリピートする商品なんかがあるといいね。行政書士の場合は相続とか会社設立とかあんまりリピートしない商品だから、それはしょうがなかったかな。講師の依頼とかはリピートあったけど」

彼の二杯目のコーヒーももう空に近い。なんとなく、個人で独立して稼いでいく。そういうイメージが湧いたようだった。

「……あれ? でもそうしたらもっと儲かることっていっぱいあるんじゃないですか? 最近だと情報起業とかアフィリエイトとか、FX投資とか儲かりそうな話いっぱいありますよね?」

彼は嬉々としてそう言った。しかし、私の内心は穏やかではなかった。彼は続ける。

「情報起業とか大変そうですけど、自分の友達とかも確かアフィリエイトとかヤバイ方法でやって儲けているとか、そういう話あったなぁ。横須賀さんみたいに資格を取るのは大変そうだし……。そうか。もっと楽で儲かることをやれば……」

「あのさ。それでいいの?」

彼は少し驚いたように見えた。私は続ける。

「もちろん、お金は大事。それからアフィリエイトとか、情報起業そのものを否定するわけじゃないよ。でも、真っ当な仕事って言ってなかったっけ。稼げれば何でもいいの? 確かにお金を稼ぐことは重要だよ。でも、結婚もしたいって言ってたよね。それでいいの? 子どもができて、仕事を伝える。お父さんの仕事は、ズルして楽して稼げるもんだよって」

「いや……それは……」

私は、彼に次のように伝えた。

誇りを持てる仕事で成功したい、というわがまま

個人事業で開業して、仕事をうまく回すには、前述のとおりビジネスモデルの構築が大前提。次いでマーケティング、そして営業時間の配分となる。これに加えて個人が仕事を取るためにもっとも簡単な方法は何かというと、名前を売ることだ。

今はソーシャルメディア全盛だ。FacebookやTwitterなどで、個人が発言をすることが普通になった。そのため、個人が自分の名前を売ることは実に簡単だ。自分の名前が知れ渡れば、当然注目もされるし、仕事も増える。

個人に仕事を頼む場合、商品・サービスがとても優れているということもあるけれど、実際のところは「この人が気に入ったから頼む」というものが多い。特に仕事の内容がほとんど同じになってしまう資格業の仕事はこの傾向が強い。

2003年9月。私はひとつのソーシャルメディアと出会う。当時はまだソーシャルメディアという言葉はなかったけれど、注目されたビジネスツールがある。それがブログだ。
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当時はブログという認識よりも「日記を公開する」ような意味合いが強かったが、行政書士として個人の名前を売るには最適なツールだった。特に2003年から2005年まではブログの大ブームといえるほどで、ブログの女王といわれた眞鍋かをりさんが注目されたのもこの頃だし、二大ブログといわれた楽天日記とライブドアブログは、プロ野球球団参入で否が応でも耳にするものだった。

名前を売るというのは、「ブランディング」という言葉で代弁される。ブランディング手法には様々なものがあるが、もっとも簡単な方法としては名前と顔写真を出し、そしてプロフィールをよりよく見せる。具体的にはこんな感じだ。

1979年、埼玉県行田市生まれ。専修大学法学部法律学科卒業後、ベンチャー企業に就職するが突然の解雇。一念発起し、在学中に取得した行政書士の資格でもって「行政書士横須賀事務所」として開業、弱者の戦略とブログ営業術で営業を展開する。

2004年にはアクセス数全国No.1(楽天日記)を達成する。現在もブログ営業術を駆使しながら、自らが起業した経験を活かして、起業支援専門の行政書士事務所を運営。その一環として起業家セミナー講師としても精力的に活動中。

こうすることで、会ったことのない人にもいかにも自分がすごそうな人だと思ってもらえる。もちろん事実以外のことは書けないけれど、見せ方ひとつで変わるものだ。

2003年、2004年とブログブームに乗り、なんと私の楽天ブログは資格者が書くブログとしては、全国一位のアクセスになってしまった。今でいえば、Facebookでもっとも「いいね!」をもらっている士業事務所だといえばわかりやすいだろう。ともかく、実力以上に名前が売れてしまったのだ。

もちろん、その結果仕事は増えたし、よいこともあった。しかし、一方でビジネスの提携やお誘いなどが増えてきた。当時、情報起業やアフィリエイトが流行し始めた頃で、中には詐欺まがいのビジネスを行う人も多かった。「今FXを始めれば絶対に儲かる」とか「このアフィリエイト手法は限りなくグレーに近いんだけど、今やれば絶対に稼げるから一緒に……」とか、とにかくお金儲けの誘いばかりだった。

しかし、私はこの手の話には一切乗らなかった。うらやましい気持ちがなかったかといえば嘘になる。たった一日で100万円稼げるとか、自分が一所懸命やって1カ月で稼ぐ金額を1日でとか、自分の仕事が馬鹿らしく思えたときもあった。

でも、私は誇れる仕事がしたかったのだ。会社を解雇されて、独立して成功したとしても、詐欺まがいのビジネスでは家族も余計悲しむだろう。親戚にも何をしているか胸を張って伝えられない。これだけはどんなにうらやましくても譲らなかった。

誇りを持てる仕事で成功したい。これが24歳のときのわがままだったのだ。

私の話を聞いた彼は、何かに気づき始めたような表情をしていた。

そして、私は仕事をする上で重要だと考えているふたつのエピソードを続けた。

2004年の秋。前述のとおり営業手段をブログとアナログな人脈営業に絞り、事務所の中心商品を比較的単価の高い会社設立業務に据え、事務所の月の売上は100万円を超えていた。もちろん、これまで様々な行政書士業務を行ってきたことから、すべての仕事が会社設立手続きというわけではなかった。車庫証明の仕事も相変わらず続けていたし、相続でも遺言でも、声をかけられれば何でも行ってきた。食べるために今できることを全力でやってきた結果だ。

このままただ続けていけば、食いっぱぐれるということはないだろう。嫌なお客様でもつらい仕事でも、食べるためには当然のこと。そう思ってどんな仕事にも取り組んできた。仕事ってそういうもんだと思っていた。

しかし、ふたつの出来事がその考えを変える。

仕事への取り組み方によって、相手を幸せにも不幸にもする

一つ目は遺言作成の仕事を受けたとき。遺言にも様々な種類があるが、自筆で書いてもらう場合には、実際には遺言作成というより遺言の原案作成が仕事になる。

私が埼玉県行田市の出身だったことから、埼玉県在住の方からたまたまインターネットを通じて遺言作成の依頼をいただいた。守秘義務がある以上、詳細を書くことはできないが、依頼者は40代の男性。母親が弱ってきているので、遺言を書いてもらいたいという依頼だった。すでにその男性の母親は入院しており、病院に来てほしいという。遺言の原案をつくって伺った病院では、依頼主の男性がおり、男性の母親は床に伏してはいるが、意識ははっきりしていた。打ち合わせを行い、この通りに書いてもらえれば、遺言は完成すると伝えると、内容を検討すると回答があり、その他報酬などの打ち合わせを終えて帰路についた。

その2日後である。依頼主の男性から私の携帯あてに電話があった。

「母が危篤になった。もう遺言を書ける状態ではない。どうにかならないだろうか」

そういった緊急相談だった。この際、公正証書遺言であれば公証人が出向いて遺言をつくるということもできる。しかし、その時間はなかった。

そこで、私は自宅にあるありとあらゆる相続や遺言に関する資料を探し、ひとつの解決策にたどり着いた。それが危急時遺言というものである。これは遺言を残したい人が、危篤である場合など、自らが遺言を書けないときに使用する遺言である。口頭で伝える遺言を利害関係者でない第三者が書き留めて、そして二人以上の証人をもって家庭裁判所に申し立てる。そういった特例のような遺言があったのだ。

事態は緊急。自分にできるか、できないかではない。やらなければ男性の母親は遺言を残すことができない。私は資料を詰め込んだ5キロはありそうな黒いビジネスバッグを担いで病院に向かった。

前述のとおり、この遺言には利害関係者でない証人が二人以上必要になる。利害関係者が証人をしてしまうと、本人の意思に則った遺言を残せないことがあるからだ。私は病院の関係者にこの証人をお願いした。前例はゼロではないだろうと信じて。

しかし、予想に反して病院側はこれを拒否した。医療の分野ではないと。きっと病院なら応じてくれるだろうと安易に考えていた私が甘かったのだが、そんな悠長なことを考えている時間はない。対策を考えなければ、男性の母親は遺言を残せない。

携帯電話の電話帳を見ながら、誰か頼める人はいないだろうかと検索をかける。そこで白羽の矢が立ったのが、大学時代の友人だった。事情を話すと快く引き受けてくれ、病院に到着。早速遺言を書き留めることになった。

3階にある比較的眺めのよい病室。その光景は今でも時々夢に出てくる。危篤状態だった男性の母親は、か細い声を出して遺言を語り出した。それを書き留める私の手は小刻みに震え、一文字一文字を追うように書き留めていった。

その後、遺言は無事に家庭裁判所の審判を受け、有効なものになった。遺言を残した後、男性の母親の意識は戻ることなく、帰らぬ人となったとのことだった。私は男性の母親の遺言を残すことはできた。しかし、遺志のようなものを残せたかどうか、それは今でもわからない。

仕事というのはとにかく何でもやればいいというものではない。そして、仕事として受ける以上は、真剣に相手のことを考え、相手にとっての最善を尽くす。それが仕事なんだと。

適当に手を抜く仕事が、どれだけ相手を不幸にしてしまうか。仕事というのはそれだけ真剣に取り組むべきものなのだと改めて認識した出来事だった。

仕事をせっかくやるなら、ひとりでも多くの人の役に立つべきだ。貢献すべきだ。これが私のひとつの仕事観でもある。私もまだ先は長いがいずれ死んでしまう。この案件によってまざまざと認識させられた。それなら、「どうせ頑張っても頑張らなくても同じ」ではなく、少しでも誰かの役に立って生きるべきなのだ。少なくとも私はそう考えている。

それにしても、24歳だった私にはこの仕事は少し荷が重すぎた。これ以来、同様の遺言の仕事は一切受けていない。

いったい仕事は誰のためのもの?

この件が落ち着いた頃、東京でいつものように車庫証明の仕事を受けた。車庫証明の仕事にもいろいろあって、実地計測を含んで申請書の作成・提出まで行うものもあれば、単にお客様から書類を預かってくるだけのお使いのような仕事もある。

今回はお使いのほうだった。ただ書類を受け取るだけの仕事。場所は東京都府中市にある居酒屋。そのお店の店長さんが車を買ったということで、書類を受け取りに行ってほしいと依頼元のディーラーから連絡があった。一万円にもならない仕事だけど、小さな仕事も積み重ねれば山となる。私は別件の仕事で府中にある公証役場で手続きを済ませたあと、少し遅くなってしまったが、一七時過ぎにその居酒屋にたどり着いた。個人商店のような小さな居酒屋で、赤提灯のある典型的な居酒屋、という感じのお店だった。

「すみません。遅くなりました……」と居酒屋の引き戸を開けて入ると五、六卓ある席がほぼ満席で、厨房にいる料理人らしき人がどうも店長さんのようだった。普通ならこれで書類をもらって、あとは近所のコンビニで宅配便の手配をして終了。となんとも簡単な仕事なのだが、今回は違った。明らかに普通のお店と様子が違うのだ。

詳細な説明は避けるが、どうもその筋の人御用達のお店のようだった。つまり、そこにいる人たちはすべてその関係者。しかも、書類の話をしても通じない。そう、ディーラーから連絡が入っていなかったのだ。本来ならば行政書士が何時くらいに行くので書類をよろしくお願いしますという旨の連絡をするものなのだが、今回は何かの行き違いで連絡がいっていなかったらしい。

「おまえは誰なんだ。何しに来たんだ。おれは何も聞いてないぞ」と尋問してくる。つまり、素性のわからない人間が書類をくれといきなりやってきたのだ。いくら私が若いとはいえ、何が起こるかわからない世界。嫌でも全員に緊張が走る。

なんとなく、よい状況でないことを理解し始めた私は、どのようなことを話せばいいか考え始めた。いやでも喉が渇き、こめかみから汗がつたってくる。まさか自分の人生でこんなことが起きるなんて。万事休す。私は必死で店長を説得し始めた。

最近車を購入されたのではないかということ、ディーラーと話があったのではないかということ、私は怪しい人間ではないこと、行政書士であること、あなたたちの邪魔をしにきたわけではないことなど、丁寧にひとつずつ説明をしていった。

しかし、なかなか納得しない。おそらく、内心はわかっているのだろう。ただ、一度「知らない」と言った以上、折れないのだ。

私は、もし何か手違いがあったら好きにしてもらってかまわない。ただ、その前に1本だけ電話をディーラーあてにさせてほしい。それでも違っていたら、謝罪し何でもいうことを聞く。本来、度胸のない人間なのだがこうでも言わないと話が進まない。私がこの店をたずねてから一時間が過ぎようとしていた。

結局のところ、ディーラーが電話をすることを怠ったのが今回の原因だった。ディーラーと話をした店長はしぶしぶ私に書類を投げるように渡した。この説得の間、私は一歩も動いていない。動けば何かが起きてしまうような気がしたからだ。

最終的にすべてではなかったのだが、書類の一部を受け取り、すべての客に頭を下げ、そのお店を後にした。

脱力というのはこういうことを言うのだろう。何もしていないのに膝が笑っている。

憔悴しきった私は、もうとにかく早く家に帰ろうと府中駅に向かった。府中駅は京王線の中ではそれなりに大きな駅のほうに入る駅だが、普段から大賑わいの駅ではない。ところが、この日は駅前が騒がしかった。何か号外を配っているようだった。

いったいなんの騒ぎなのだろうと手に取った号外にはこう記されていた。

マリナーズ・イチロー 年間最多安打新記録達成。二五九安打。
ジョージ・シスラーのメジャー記録を抜く。

そう、当時アメリカメジャーリーグのマリナーズに所属していたイチロー選手が世界記録を樹立したのだった。

世の中には自分が選んだ仕事で才能を発揮して、活躍する人もいる。それに比べておれは……。今日の仕事は、本当におれがやりたかった仕事なのだろうか。いや、そうじゃないだろう。おれは……。

彼は唖然としていた。私はそのまま続けた。

「それで思ったんだよ。自分が一所懸命になれる人たちのために仕事をしようって」

まだ彼は黙っている。

「さっきの話であれば、いい加減に仕事をすれば、その先にいる人の人生を悪くしてしまう可能性がある。さらに、自分が好きな人を相手にしなければ、仕事を続けることは難しいって。だから、その後は仕事を絞った。とにかく私は真面目な人が好きで、まっすぐな意思を持っている起業家と仕事がしたいと思ったんだよ」

彼は黙ってコーヒーカップをテーブルの上に戻した。

第4章 僕はどうしても、 誇れる仕事で 成功したかったんです 後編

 少し言い過ぎたかな……と心配したが、彼は次のように答えた。

「そうでした。そうですよね。誇れる仕事をしたいです」

「そうだよね。そう言ってくれてよかった」

私は二杯目のコーヒーを飲み干した。代わりのコーヒーを勧めてくるウェイター。時間はもう1時間ほど経っている。

「じゃあ、何を仕事にして独立するのがいいんでしょう……」

「何もないなら、資格を取ったら?」

そう言うと彼は少し気まずそうにこう言った。

「でも、横須賀さんの本とかでも見ましたけど、競争激しそうじゃないですか。自分なんかが今さら資格取っても時間はかかるし……」

「まあ確かにそうだね。ビジネス的なキャリアがある程度あるのであれば、別に資格にこだわる必要はないと思う。でもね、何もないなら、何も自信を持てるものを持っていないなら、必ず資格を取ることは生きる。仮に将来資格の仕事をしなくてもね」

「資格の仕事をしなくても……?」

「そう。これから少し、資格について話していこうか」

中途半端な学歴、恥ずかしいキャリアをすべて変えてくれたのが資格だった

冒頭でお伝えしたとおり、私は中途半端な学歴にコンプレックスを持っていました。大学に行っていない人からすれば、贅沢な悩みなのかもしれませんが、偏差値的には中くらいにいるなんとも宙ぶらりんな感覚が、当時無駄にプライドが高かった私にとっては許せないことでした。

しかし、まず独立開業することで、出身大学はおまけのようになります。重要なのは今の実績なのです。さらに私は会社を一度解雇されているという誰にも言いたくないような苦い過去があります。独立開業した当初は、出身大学も解雇されたことも伏せていました。きっとこんな大学で、しかも会社をリストラされたような人には仕事がこないんじゃないかって。実際は違いました。

資格を持って独立していること。これが評価されたのです。

私は独立開業当初、こんな若い人間に仕事はこないのではないか、キャリアの浅い人間に仕事なんてないのではないかと考えていましたが、実際は逆で「若いのに資格を取って独立開業しているなんて立派だ」「資格を取ったということは、大変努力されたのですね」と高く評価されることのほうが多かったのです。

実際、インターネット上で、行政書士は比較的叩かれている資格です。取っても役に立たない。「士農工商、犬、行政書士」なんて書き込みを見たこともあります。しかしそれはあくまでネット上の評判で、実際リアルで人に会うと評価はとても高いのです。

大胆な言い方をすれば、資格を取ることでこれまでの学歴や職歴をリセットすることが可能なのです。資格を取って独立開業してしまえば、それまでの職歴がアルバイトだけでも高学歴でなくても、資格を取って独立している点がもっともフォーカスされます。

資格を取ったということは、努力の証明であり、知識の証明です。単に会社をつくるだけでは、自社の実績を伝え、商品・サービスの良さを説明する必要がありますが、資格はただ持っているだけでその証明になるわけです。このように私のような学歴にコンプレックスのある人にとっては最適なのです。

加えて言えば、仕事を取る上でもっとも重要なのが「信用」です。前述のように会社を信用してもらうには説明が必要ですが、資格を持っていればその信用が最初から得られていることになるわけです。

また、会社で営業成績が抜群によく、これなら独立できると独立したけれど、いざ独立したら仕事が取れないパターンがあります。これはいわゆる「会社の看板」があったからうまくいっていたケースです。会社の実績や歴史を自分の能力と勘違いしてしまうもの。どんなに仕事が取れていたとしても、会社の看板だけで取れていたとすれば、独立開業しても仕事は取れません。この会社の看板の代わりになるのがやはり資格なのです。

小さな成功体験なしに、大きな成功はできない

 これまで、1400名を超える人の相談を受けてきてわかったことがあります。それは、どんなに大きな成功をした人でも、最初の成功は小さいものから始まるということです。逆にいえば、小さな成功さえしてしまえば、また繰り返せる。そしてその体験を大きくしていくことができるのです。

資格業に限らず、自分に自信を持てない人が成功するということはほとんどありません。資格で成功する人は、「試験に合格した」小さな成功体験があるからこそ、次の一歩を踏み出しているのです。

試験に合格する。それも国家試験に。私が合格したのは半分以上、運だと考えていますが、それでもまったく努力をしなかったら、その幸運のラインにもたどり着けなかったでしょう。

すから、もしあなたが今自信の持てるものがないのであれば、試験に挑戦してほしいのです。合格すれば資格を元にしたビジネスをつくっていけますし、また死ぬ気で努力した期間があるというのは、資格を使おうが使うまいが、それは自信につながるのです。

たとえば、学歴コンプレックスがあるといった私ですが、なぜそれなら2浪、3浪してもっと有名な大学に行かなかったのか? という疑問があるでしょう。両親との約束で、浪人は1年間のみ、という縛りもありましたが、それ以上に勉強をやりきったという事実があります。頭は良くはなかったですが、それでも1日10時間以上、勉強に費やした1年でした。追い込みの時期は1日18時間、20時間勉強し、試験が終わると過労のような状態で一週間ほど寝込んでしまうほどでした。確かにもっと有名な大学に行きたかったという悔いはある。でも、もう一年やり直してもこれ以上の結果は出なかっただろう、といえるほど勉強をしたと胸を張って言えたのです。それが行政書士試験の受験にもつながっています。

繰り返しになりますが、もしあなたが今誇れるものがなければ、資格を取ってください。合格してもしなくても、真剣にやったことはあなたを裏切りません。

別に資格でなくてもよいのです。今やっている仕事。好きでないかもしれません。嫌な上司もいるかもしれません。手を抜いても真面目にやっても給料は変わらないかもしれません。でも、真剣に取り組んだ期間というのは必ずあなたを変えます。

重要なのは、他人の意見や世間の評価ではなく、真剣にがんばった結果、自分を信じられるようになることです。

ただし、あまりにも難関資格は勧めません。弁護士や司法書士、公認会計士などの資格は、法律知識の素養がゼロのまま短期間で取るのは決して簡単ではありません。比較的初学者でもなんとかなる行政書士、社労士あたりが狙い目です。

そして1年間、まずは試験勉強に没頭してください。もちろん税理士試験などは一年で受かるものではありませんので、税理士試験の場合は簿記になるでしょう。一年間、死ぬ気になって試験を受けてください。絶対に真剣に取り組むこと。これが私との約束です。

もし、それでまったく合格の目がない。そう感じればおそらく試験に向いていません。そのときは違った形を考えましょう。しかし、人間、一年真剣に取り組めば、試験もしょせん人間がつくったものなので、まったく合格の目処が立たないということはないでしょう。

「……僕も、好きでこうなったわけじゃないんです。事業をやりたいとか、そういう夢みたいなものはありました。でも、なんとなくその場その場の流れで……。日本も不景気だっていうし、何か仕事に一所懸命取り組んだところで、何が変わるんだろうって、投げやりになってました。仕事もさぼったりはしないんですけど、真剣になりきれないというか、そういうところがありました」

「じゃあ、これからその未来をつくってみようよ。この先のことなんて私にもわからないけど、諦めるより何かにチャレンジしたほうが……」

「チャレンジしたほうが……?」

「楽しくない?」

この喫茶店での面談で、初めて彼が笑顔を見せた。

「……そうですよね。確かに、何で自暴自棄みたいになっていたのでしょうか」

私も笑った。

「それは、これからがなんとなく見えなくなったからだよ。でも、これからそれは私が示してあげる。あげるっていうと偉そうだけどね。では、先に資格そのものの解説と勉強の大枠だけ。実際の勉強方法は予備校とかで聞いたほうがいいから、大筋だけ伝えておこうか」

人生を逆転させはじめるための資格

もう一度資格の解説の前にまとめておきます。資格を取ることそのものが目的になってはいけません。あくまで資格は通過点です。先にお伝えしたとおり、資格を取っても資格業を始めなければならないルールはありませんし、何より真剣に努力して小さな成功を手に入れるというのが最大の目的になります。その目標達成の上で、資格業、そして後述する資格起業家の道に進んでいこうと決意されるのであれば、それでOKです。重要なのはもう一度あなたが自信のあるあなたを取り戻すことです。

ここでは、時期ごとに真剣にやって結果が出やすい資格をまとめておきます。

どこから始めていいかわからない、資格を選べない人のための資格

人生を逆転させるためにどこからどう手をつけていいかわからない。そんな人のための資格です。難易度も低め。難易度が高いのはこれまで勉強してこなかったから厳しい、まずは試験勉強の勘を取り戻したい。そんなときはまずはここからチャレンジしてください。

●ITパスポート 難易度 ★☆☆☆☆
ITの基本知識をおさえるための国家資格。事務系の仕事をやってこなかった人が、まずはここから逆転を始めるために最適。合格しやすい試験でもあるし、基礎的なものが身につく。このくらいは決意して受かってほしい。

●ビジネス実務法務検定試験 難易度 ★☆☆☆☆
ビジネス上の法務の基礎がわかる資格。これも受かりやすい。独立起業をする際にも、法律のことは知っていて無駄にはならない。真剣にやればすぐに結果が出る試験。自分の真剣度をはかるための受験でも構わない。

●FP(ファイナンシャル・プランナー) 難易度 ★☆☆☆☆
お金、資産設計の知識などを問う試験。持っている人も多いが、結果は出やすい試験。コンサルタント系、その他法律系の資格と合わせて持っていると役に立ちやすい。が、持っている人も多いので、まずは手始めのための試験という意味合いも強い。

1年の真剣な努力で人生を逆転させはじめるための資格

1年の真剣な勉強で結果が出やすい、あるいは1年取り組んだことで2年目に受かるかどうか目安がつけやすい資格を紹介します。

●行政書士 難易度 ★★★★☆
行政への手続きを代行する専門家となる資格。法学系の下地があるなら一年で勝負できる資格。法律系問題と一般教養問題、記述式からなる試験。一般教養問題があるため、運の要素もあるが、比較的1年真剣にやって、結果が得やすい試験だといえる。年やってまったく歯が立たないのであれば、法律系の試験には向いてない可能性がある。その際は方向転換しよう。

●宅地建物取引主任者 難易度 ★★☆☆☆
不動産業を営むために必要な資格。法学初心者でも比較的取り組みやすい。一年真剣にやれば必ず結果に結びつく。そういう意味ではよくわからないけどチャレンジしたい、という人にも向いている。社会的認知度が高いため、取った後周りの評価もわかりやすい。しかし、著者のように決意不十分で受験すると、簡単に落ちてしまう(平成15年、不合格)。

●簿記三級 難易度 ★☆☆☆☆
簿記に関する検定。まったくの下地なしで税理士を目指すならこの資格が登竜門。これが駄目なら税理士は向かない。1年で努力の結果が必ずわかる試験でもある。ちなみに著者は3カ月の勉強の末、まったく理解が進まずに断念している。

●DTPエキスパート 難易度 ★★☆☆☆
ウェブ系の下地があるならお勧め。意外と資格を持っているデザイナーは少ないので、デザイナー志望の場合は持っているだけでも差別化になる。持っていてもPRしている人は少ない。

●ソフトウェア開発技術者 難易度 ★★☆☆☆
開発系の下地があるならこの資格がお勧め。エンジニア系の仕事は、実力の個人差が激しいため、資格があると安心感がある。下地はあるけど、資格にチャレンジしたことがない、という方は一度取り組む価値がある。

2年の真剣な努力で人生を逆転させはじめるための資格

2年目は準備、2年目が本試験というような2段階準備が必要な資格。2年目の結果があまりにも芳しくない場合は、そこでいったん仕切り直したい。試験の合格そのものが目的になってほしくありませんので、3年目に突入する場合には、2年目でよほど惜しかった、どうしてもこの資格で仕事がしたいと考えたときのみすることをお勧めします。

●社会保険労務士 難易度 ★★★★☆
人事労務の手続きを中心とした専門家。専門的な知識が多く、暗記ものも多いため難易度は★4つ。人気資格である。今後、メンタルヘルスケアなど人の問題が増えるため、有望資格ともいえる。ただし、2年でまったく結果が伴わないようであれば、方針を転換しよう。

●中小企業診断士 難易度 ★★★★☆
経営全般の知識が問われる試験。経営の専門家としての唯一の国家資格。試験は一次、二次とあり、難解なものも多いが、2年真剣に取り組めば経営のことも理解できるし、そういう意味では一石二鳥的な資格でもある。

●税理士 難易度 ★★★★☆
科目ごとに受験できるという試験制度。簿記が受からないのであれば、目指す資格ではない。税理士のみ、4~5年が当たり前なので、長期的に試験に取り組むことができ、さらに税理士での独立開業を目指している場合に限って、受験はお勧め。

多くの人の、資格を取った理由が「なんとなく」

正直、人生を逆転させるための最初の資格は何でもいいと思います。何でもいいって、とてもいい加減に聞こえるかもしれませんが、きっかけがあれば何でもよいと思うのです。私も行政書士を取ったのは、なんとなく。そして多くの資格業の人の受験理由が「独立したいから」とか「手に職」で、自分の夢実現のためではないのです。取りあえずこれ、と決めたら1年、2年真剣にやってみればよいと思います。

私自身、最初は行政書士で開業しましたが、今はコンサルティング、セミナー、執筆、各種のコンテンツ業など行政書士の業務からは離れていきました。最初から資格業が天職になるかどうかなんてわかりません。

ただ、たった1年でいいから、真剣に何かに取り組んでほしい。それが私の切なる願いです。前述のとおり資格試験でなくても、今働いている会社でできることはいくらでもあります。

繰り返しになりますが、投資や経営の能力があれば別ですが、私のように職を絶たれたり、特別なスキルを持っていない場合、最終的に人生を逆転させるためには、独立起業という手段しかありません。ですから、そのための準備を日々行ってほしいのです。

もちろん、会社で勤め上げることも立派な生き方です。ただ、何が起こるかわからない今、独立起業できる知識を持っているのとそうでないのとでは、いざというときに起こせる行動の質が変わってきます。

少なくとも私自身は大学受験や資格試験を頑張ったことが、独立起業の際に励みになりました。あの時期にあれだけ頑張ったのだから、きっと今の行動もうまくいくはずだ、と。

経営や営業の羅針盤となるような教科書がなく、行き当たりばったり、試行錯誤の繰り返しをしてきたため、何年もかかってしまいましたが、今やこれだけ情報がある中では、あとはあなたの心持ちをどうするか。これが最大のポイントになります。

ところで、受かりやすい資格というのも挙げましたが、合格率が7割も8割もあるような誰でも通る試験や検定はしっかりとした理由がない限り受けても意味がありません。重要なのは、資格を通じて真剣に努力したというプロセスです。

その成功体験を通じて、会社員の方は今から準備し、自分の人生逆転のための計画をつくっていくことがもっとも重要になります。

最後に、試験に落ちても何ヵ月もひきずらないこと。資格ごときで人生決まるわけではないので、ダメならダメで前向きにあきらめ、次に向かいましょう。

彼と会ってから、二時間が過ぎようとしていた。最初はただただ私の話にうなずくだけだった彼も、徐々に身を乗り出して話を聞き、次第にノートにメモを取り、最後には確認するように質問を繰り返した。メモで埋め尽くされたノートを確認しながら、次第に自分自身の人生設計を考え始めたようだった。十分伝えるべきことは伝えただろう。そう思って話を切り出し、最後にある言葉を伝え、二人分のコーヒー代を支払い、その場で彼とは別れた。

別れ際、何度も頭を下げ、丁寧にお礼を言い、握手まで交わした。喫茶店を後にする私を見えなくなるまで見送ってくれた。まるでホストのようだった第一印象はどこかに消えていた。

彼と会った2006年のこの時期は、会社をリストラされて、すかんぴんから始めた私の起業物語もやっと軌道に乗り始め、安定走行に入った時期でもありました。

開業から約3年。話は少し飛びますが、調布市から代々木にオフィスを移し、行政書士での年商が1000万円を超え、2005年には商業出版にも成功。25歳にして本を出すことまでできた時期です。相談に来た彼も、私のそういう部分を見ていたのでしょう。

しかし、当時の私は、本当は彼にアドバイスをできるような状況ではなかったのです。

第5章 自分のための人生が、 誰かのために変わったとき

本来、この章はカットしてもよい章だといえます。なぜならノウハウは少ないし、明るい話でないからです。でも、本書の編集者に無理を言って入れていただいた。私個人としては、そのくらい意味のある時期だったのです。

資格を取ってお金を稼ぎ、独立して食べていく。その方法は想像していたより早く得ることができました。話は少し遡り、行政書士で月商100万円を達成した2004年。私はひとつの疑問を持ちます。

確かに行政書士では稼げるようになった。でも、身体が元気なうちはいいが、ずっとこの長時間労働を続けられるわけがない。昼間はお客様との打ち合わせ、役所での手続き。夜は書類作成。20代だからまだいいけど、いずれ無理が利かなくなる。何か手を今のうちに打たなければ……でも、どうしたらいいのだろう。

まずは、資格業の業務にこだわることをやめました。この頃、士業という仕事は専業至上主義で、士業としての業務以外に取り組むことは、業界的には批判の的になっていました。しかし、私は食べていかなければならないし、諸先輩方のような知識も経験もない。それに行政書士になったにはなったけれど、それ以外の仕事をしてはいけないルールはないはずだと考え、セミナー、コンサルティングなどに取り組んでいったのは前述のとおりです。

そのため、私がセミナーをしたり、コンサルをしたりすることを批判する人もいましたし、直接お叱りを受けることもありました。

そもそも士業の仕事はニーズによって始まるものなので、基本的にはどうやっても「待ち」の営業になってしまう。だからこそセミナーやコンサルティングの仕事でもっと攻めるべき。こうした考えが私にはありました。この考え方は、のちに「資格起業家」として世の中に広げていくことになるのですが、それはもう少し後のこと。

次に、なんとも他力本願的ではありますが、「成功している人と仲良くなったらいろいろ教えてもらえるかもしれない」という発想で、いわゆる成功者と知り合いになろうと考えました。でも、成功者にただ会いたいと言っても会ってくれないだろうと考えた私は、成功者に会うための何かわかりやすいパスポートのようなものがつくれないかと考えました。

そこで出た案が、1.年収1000万円を稼いで証明する 2.本を出す という二つのアイディアでした。

この二つの選択肢から選んだのは後者。本は一度出せば一生ものですが、年収1000万円は終わってみないとわからない。身体はおかげさまで丈夫なほうですが、事故や病気があれば一発でアウト。そう考え、本を出すことにしました。

個人がブランドを持って仕事をするために、出版をするのはもっとも有効な手段です。本書では出版をするための詳細なノウハウは割愛しますが、端的に解説すれば出版実績のない人が本を出すためのポイントは次のとおりです。

 1.今求められている旬なテーマであること(売れること)
 2.同ジャンルの本の中でも新しい切り口の本であること
 3.著者がそれを書くにふさわしい実績を持っていること

この三つです。ただし、2004年当時はこの三つで良かったのですが、出版不況といわれる現在、4として、著者にも販売力があること、が求められています。

本を出すことを決めた私は、出版企画書を作成。テーマは「ブログ」を選びました。当時、ブログから集客できていたこと、ブログと名の付く書籍が三万部、五万部と売れていたこと。そして、フリーランス向けの具体的ブログ営業活用法はまだ世の中になかったことが決め手になりました。

そして、企画を「NPO法人企画のたまご屋さん」に提出。企画のたまご屋さんは、無料で出版社に企画書を代わりに送ってくれるサービスで、出版が決まり印税が入れば、その印税を分けるという仕組みです。このサービスであれば、仮に私のような無名の人間であっても、本の提案を無料ですることができます。

2004年の大晦日。自分なりに作り上げた企画書を送り、小さな期待と将来に対する不安を抱えたまま、実家のある埼玉県行田市で年を越しました。両親や弟は、私がフリーランスで食べていることについて、まだ半信半疑のようでしたが、祖母だけは立派だと褒めてくれたことを覚えています。

奇跡の出版成功。はじまる快進撃

おそらく相談に来た彼が主に見ていたのは私のこの部分でしょう。2005年、企画のたまご屋さんから、企画について出版社から回答があったと連絡がありました。結果としてはなんと10社から出版したいとの回答が。上から目線の発言のようですが、出版社を選ばせていただくことになりました。

企画のたまご屋さんの担当者から「この出版社にしましょう」ということで、技術評論社から『小さな会社の逆転戦略 最強ブログ営業術』が出版されることになりました。

この出版を機に、2013年までに17冊の本を出させていただくことになるのですが、そもそもこれは私の実力だけのものではありません。前述の「旬な題材」がすべてだと考えています。通常、ビジネス書の初版発行部数は5000部前後。それにもかかわらずこの『最強ブログ営業術』という本は、25歳の無名著者なのにもかかわらず、初版1万部以上。そして最終的に2万部を超えるヒット作となりました。2014年以降、ブログの本を出したとしても、おそらくここまで部数が伸びることはないでしょう。

1万部いけばヒットといわれるビジネス書の世界で、無名、弱冠25歳という悪条件の中、これだけの部数が売れたことは潮流に乗ったとしか解説ができません。

さらに幸運は続きます。この時期、プロ野球再編問題で、ライブドアと楽天が新規参入を争っていた頃。とりわけライブドアに対しては、堀江貴文社長の個性もあって毎日のようにテレビで報道されていました。そしてそのライブドアが、ニッポン放送を買収する……というニュースが流れた頃、そのライブドアの関連会社から一通のメールが届きました。趣旨としては、ライブドア社で行っているセミナー事業の中で、講師を引き受けてほしい、というものでした。

ライブドアといえば、当時日本で一番注目されていた会社のひとつといえるでしょう。のちに強制捜査が入り、ライブドア社は消滅してしまいますが、当時はまさに飛ぶ鳥を落とす勢い。名前を売り出したい自分にとっては、渡りに船です。

しかし、なぜ無名である自分が抜擢されたのか。担当者に恐る恐る聞いてみると、

1.持っているテーマが旬である 2.講師の経歴が面白い 3.講師が若くして独立しており、興味深い、とのことでした。

いかに自分の見せ方が重要か。公開しているプロフィールが相手の興味をひけば、このような抜擢もあり得るのです。

「どんな仕事でも、とにかく最初はうけるべきだ。まずはできると返事をし、後はそれから考える」

ある先輩からそう言われたことがあった私は、これまでどんな仕事も断らずにやってきました。前述の遺言の案件や車庫証明の案件でもそうでした。ライブドアという当時東証マザーズに上場していた有名な企業で講師をすることは、私にとっては自分を認められたようで本当に嬉しかったことを覚えています。ただ、ライブドアから仕事を取った、という事実は私にとってだけ嬉しいことで、ブログ上では多くの「ネット友人」が喜んでくれましたが、自宅に帰ればひとり。ちょっと寂しい思いをしたことを覚えています。

上場企業で講演をすることは、当時の私にとっては大きなプレッシャーで、平然とセミナーはこなしましたが、内心は極度の緊張とストレスに追い込まれていました。セミナーが無事終わるまでは、全身に蕁麻疹のようなものができ、日々かゆみと戦う。そんな内情もありました。

行政書士業務を行いながら、セミナーの準備・実施をし、その合間に必死で書いた原稿は、今読み返すと大変稚拙な文章でお恥ずかしい限りなのですが、当時の勢いに乗り前述のとおり二万部を超えるヒットとなりました。

また、このとき初めてチームで仕事をすることを体験。編集者、校正、デザイナーなど本にかかわる人の数は多く、アイディアを出し合ってひとつのものを作り上げていく。このような過程を生まれて初めて体験しました。

そうか、仕事ってひとりでやるだけのものじゃないんだ。フリーランスでも誰かと組んで仕事をすることはできるし、ひとりで進めるよりも当然アイディアがたくさん出てくる。こういう仕事のやり方もあるのか。

本来、普通に会社勤めをしたことのある人なら、チームで仕事をするというのは極めて当たり前のことです。しかし、私にとってはこれが初体験でした。無事本が完成し、想像を超えるヒットになり、編集長が関係者を招いて打ち上げを開いてくださいました。このときのお酒の味は、半ば引きこもりの頃に飲んでいたお酒の味とは違い、なんともいえないおいしさでした。

そして、本を出したことでセミナー講師の依頼が舞い込み、また「ビッグトゥモロー」や「THE21」のようなメジャーなビジネス雑誌にも毎月のように取材を受け、三年前、会社を解雇されたときと比べると信じられないほどの逆転を見せていたのです。

印税も200万円ほど入ってきました。これまで見たことのない大金です。書店に行けば自分の本が平積みされている。自分でも顔がにやけてくるのがわかるほどです。

ああ、おれは成功したんだ。成功者なんだ。

会社を解雇され、謙虚な性格に変わりつつあった私は、無意識に増長したのでしょう。会う人会う人に書籍の話題を自らし、褒めてほしいという承認欲求丸出しで会話をする。

喉元過ぎれば熱さを忘れる。昔の人はよく言ったものです。しかし、神様はよく見ているのでしょう。華々しく見えた私の人生物語はここからまた違った形で急降下していきます。

あんたの実力じゃないよ

出版後、2005年の初夏。

現在の弊社の顧問である調布の渡辺税理士事務所で打ち合わせをしていたとき、私の携帯に一本の着信があります。見たことのない番号。事務所にかかってくる電話はすべて私の携帯に転送されるようになっており、仕事の依頼は当然見たことのない番号からかかってきます。打ち合わせを中断させてもらい、いつものように電話に出ると、なんと栢野克己さんからでした。

私が出した書籍『最強ブログ営業術』には、ビジネスブログ活用の成功事例として栢野さんの事例を取り上げさせていただいており、お礼として書籍をお送りしていました。

私は内心「ああ、わざわざお礼の電話をくださったのか」と思い、話をしようとしました。「わざわざすみませんね」と。

すでにこの時点で私が調子に乗っているのがわかります。

しかし、栢野さんからの電話は想定外のものでした。

「本ちゃんと出たんだね。おめでとう! でもね、これは奇跡だから。あんたの実力じゃないから。そのあたりはき違えると、駄目になるよ。それだけ」

お礼を伝えられるとばかり思っていた私は、意表を衝かれました。

思わずとっさに「おれだって頑張って本を書いたんだよ!」と返すつもりでしたが、伝える前に電話は切れました。

電話に出ると言って打ち合わせを中断し、帰って来ると不機嫌な表情の私。渡辺さんも怪訝な顔をしています。「何かあったの?」と。私はなんともいえない感情を抱えたまま大丈夫ですと伝え、打ち合わせを終え、自宅に帰りました。

「今日は思わず栢野さんの電話にカッとなってしまったけれど……。確かにそういえばそうだ。ブログというブームがなければ本は出なかったし、無名の著者の本を出すという英断をしてくださった出版社もあってこそ。そうだ。そのとおりだ」

数年後、栢野さんにこの話題をするとまったく記憶にないとのこと。しかし、私にとっては本当に重要な会話でした。

仕事は自分だけでやっているのではない。たくさんの人の助けがあって、初めて成立する。特に出版は編集者、著者、デザイナー、校正など多数の専門職が力を合わせてつくるもの。ああ、最初に解雇されたときに思ったことじゃないか。今あることに感謝することが大事だって。

気を落とした私は、その後なんとなく仕事に向かう気力に欠けていました。2005年の秋。さらにそれに拍車をかけるような出来事が起こるのです。

それは深夜の着信から始まった

2005年9月末。深夜に一本の着信がありました。普段私は5時前に起きるので、深夜1時、2時に起きていることはまずありません。しかし、この日はなぜか夜遅くまで仕事をしていたのです。

電話は母親からでした。父が喀血して倒れ、入院することになった。命に別状はないが、もし帰れるなら帰ってきてほしい、とのことでした。

これまで身内に大きな病気などがなかった私は驚き、翌朝すぐに実家に帰りました。地元にある総合病院に入院していた父は、やつれていかにも弱々しく見えました。病状は重度の胃潰瘍とのことで、しばらく静養が必要とのこと。これほど弱っている父を見るのは初めてで、本当に動揺しました。

祖母と一緒に病院に行った私は、祖母にこう伝えられました。おまえは長男なんだから、この家を守って行くのは輝尚だ。もっと仕事を頑張って、家を守ってほしい、と。病気で弱った父を見ながら、私はより仕事に没頭することを決意しました。とはいえ、なかなか動揺した気持ちは収まらず、不安な気持ちで東京に戻ります。

ところが、東京に戻ってたったの数日後。またも深夜の着信が私を呼びます。また母親からの電話。父に何かあったのか、心臓の鼓動が速くなってくるのを感じました。

2度目。深夜の母親からの電話は、父のことではなく祖母の訃報でした。

確かに数日前、一緒に父の病院に駆けつけた祖母です。死因はくも膜下出血によるもので、あまりにも急過ぎた祖母の訃報に、私は仕事もそのままに実家に帰りました。幼少期、ともに過ごした時間があまりにも長く、祖母の死は私にとって大きな影響がありました。

父が倒れ、祖母は帰らぬ人となり、仕事も最低限しか行えません。明らかに2005年の秋から冬にかけて、売上は下がっていきました。出版をして今もっとも勢いのある時期。その時期に仕掛けないなんて端から見れば落ちているお金を拾わないようなものでしょう。

しかし、当時の私には仕事はできませんでした。祖母の四十九日が終わり、年末を迎える頃。年末年始をゆっくり過ごそうとこの年は早めに仕事納めをし、実家に帰りました。

そして、追い打ちをかけるように今度は母に癌が見つかります。症状が何かすぐ現れる癌ではなかったのですが、明らかに動揺している母。そんな母を見て私も動揺してしまいます。

開業して約3年半。この瞬間、本当に仕事を投げ出したくなりました。仕事を頑張って成果を出しても、家族がこのような状態になるのであれば、もう仕事なんかしたくない。何もかもやめてしまいたい。すべてを終わりにしてしまいたかった。

反面、仕事に関しては好調で、2006年の5月に商法に関わる大改正があり、いわゆる新会社法の施行に合わせて2冊の本の出版が決まりました。そして、インターネットを通じて、私の事務所で働きたいという人も出てきており、ビジネスの舵を切るには最適でした。

幸い、母の癌は咽頭癌という種類のもので、進行が遅く手術には至らないということ。それを知った母も少し落ち着いたようでした。2006年3月。父も回復し、母も平静を取り戻した。出版は新しく2冊決まっているし、行政書士の仕事もこれまでの紹介とインターネットから集まっている。

……もう一度だけ、頑張ってみよう。残った気力をふりしぼりそう決意したのです。

無経験からの組織化

再起を決めた私は、ひとつビジネスを起こすことに決めました。それが現在も運営している「経営天才塾」です。

真剣に取り組める仕事、そして自分が好きな人をお客様にして仕事がしたい。そしてどのような形でもいいから、世の中の役に立ちたい。立ってみたい。

ただ食べることが目標だった私の「仕事」は徐々に変化していきました。

行政書士で食べることはできるようになった。出版をすることもできた。では、次に目指すのは世の中の役に立つ仕事ではないだろうか。そう考えました。今の自分があるのは、資格をおいて他にない。つまり、資格がなければ私は会社を解雇されたあと、ここまで来ることは間違いなくできなかっただろう。資格業というのは自分でやっていて思うが、価値ある仕事だと思う。ミスは許されないし、高度な知識も必要になる。ただ、その素晴らしさを伝え切れていない……つまり、営業ができていない。

では、私自身の営業の知識と経験をまとめて提供したら、恩返しというと大げさだけど、資格業界に役立つことができるのではないか。

考えがまとまってきた。資格業の営業の知識・ノウハウを伝え、営業の悩みを持っている人の助けになろう。もしそれでさらにこの業界がよい業界になり、人気業界になればそれが世の中の役に立つはずだ。

方向は決まった。まずは書籍。これまでの士業のやり方とは一線を画した方法を「資格起業家」としてまとめよう。そして、スクール形式とコンサルティングを掛け合わせたようなコミュニティをつくろう。そして、できるだけ費用は抑える。開業当初の自分でもギリギリ支払えるような額で設定しよう。

こうして、私の次の目標が決まりました。

方向性が決まった私は、スタッフに応募してきた大卒の女性を採用することにしました。士業の世界は求人が恒常的に行われているのは税理士と社労士くらいのもので、行政書士事務所の求人はありません。そのため、行政書士事務所で働くことは困難を極めます。

応募してきた彼女も、何か求人情報を見て応募してきたわけではなく、単に私のことを知って、働きたいと連絡してきたのです。この業界、コネで入所することも大変多く、もしあなたがこの業界で働きたいと考えていたら、そういった情報も知っているといいでしょう。

スタッフを採用するには、6畳1間のアパートでは不可能。そこで、初めてオフィスを借りることにしました。意外と言われることも多いのですが、オフィスを持ったのは三年目。それまではずっと調布のアパートでした。初めての出版も、ライブドアで講師をしていたときも、この木造アパート。オフィスを持たなければ信用されない。そんな言葉は嘘だということを自分自身で証明しました。

オフィスはどこで借りても良かったのですが、これまで新宿に行くことが多く、慣れ親しんだ街であるので、新宿界隈で探すことにしました。しかしながら、新宿ではなかなか小さな事務所向けの物件がなく、最終的にひとつ隣の代々木にレンタルオフィスを構えることになりました。

家賃14万円。自宅のアパートと合わせると約20万円。そしてスタッフを採用するので合わせて約35万円。一気に固定費が6倍に跳ね上がりました。金銭的な不安はもちろんありましたが、これまで個人事業で貯めたお金は印税など合わせて約300万円。これなら売上ゼロでもなんとか半年はもつ計算になります。

そして、何より誰かと仕事をする。また出版をしたときのようなチームでの仕事の喜びを味わうことができる。そういった淡い期待もありました。

しかし、そう理想どおりに事は進みません。オフィスを構えたことで、お客様に来ていただけることができ、効率は良くなりましたが、社会人経験のない私にとって、営業をするより困難だったのが、組織づくりでした。

オフィスを構え、ひとり採用した女性にはロクに指示することも、会社のルールをつくることもできず、「今日は仕事ないのですか?」と聞かれる日々。そう、社内で事務仕事を回す、教えるということをしたことがない私にとっては、「スタッフに指示し、組織で仕事をする」ということは大変ハードルが高いものでした。

最初に採用したスタッフには、まともな仕事のやり方を伝えることもできず、スタッフの個人的事情もあったことから半年で退社。その後ふたりアルバイトを採用するものの、ひとりは「調子が悪いので病院に行ってから会社に行きます」と伝言を受けたまま連絡が取れなくなり、自然消滅的に退社。もうひとりのスタッフも2007年1月に緊急入院してしまい、最終的にまたひとりに戻ってしまいました。

結局のところ、オフィスを借りて固定費を倍以上払い、アルバイトに給料を払い、仕事を教えることもできないからひとりで仕事をこなす。支出だけ増え、仕事は増えるばかり。営業に割ける時間も減少し、ついには自宅に帰ることもできないような日々になっていきました。

特に、スタッフを採用し、何人も辞めていったことは精神的に大きな影響がありました。そのときそのときには最善を尽くし、組織づくりをしてきたつもりではありましたが、完全なる力不足。当時の私には、時期尚早だったのかもしれません。

「スタッフを採用して、こんなに苦しい思いをするなら、ひとりで行政書士をやって、売上1000万円くらいで抑えて、自宅で小さく仕事をしたほうが幸せなんじゃないだろうか……」

経営天才塾のオープンは2007年4月と決めていました。それまであと2カ月。カリキュラムはもう100ページ以上のものを作り上げている。申し込み用のウェブサイトも完成した。あとは告知をするだけ。

それでも私は悩んでいました。みんなが辞めていったオフィスに向かうのも苦痛だし、ひとりならあえてオフィスに行く必要もない。

もうやめちゃおうか。本も何冊か出したし、それなりに人生逆転できたんじゃない? もう十分頑張ったよ、おれ。周りの人に会えば、「次回作、楽しみにしています」とか「次のセミナーも参加します」とか、そういう声もありがたいことにいただいている。

反面、人の気持ちも知らず、のんきなもんだとも感じるわがままな自分もいました。

おれだって頑張ってきたんだよ。今のおれでも十分だって言ってくれよ。そう考えれば考えるほど、もう一度立ち上がる気持ちにはなれませんでした。

こうして2007年2月。私は再度人生の岐路にいました。それなりの仕事をして、それなりに生きるのか。それとも少しだけ頑張って世の中のために生きてみるのか。

当時最後のひとりのスタッフが緊急入院してしまってから約1週間後。彼女のお見舞いに、当時彼女とも面識があった私の本に携わっていただいていたフリーの編集者さんとともに行くことになりました。しばらくの間入院が必要だとのことで、スタッフには復帰できない旨はすでに連絡をもらっていましたが、ちゃんと挨拶をする意味でも会っておこうと病院の場所を聞き、面会に行きました。

彼女はまるで絶対安静のようにほとんど動くことのできない状況でしたが、短い間しか働けなかったこと、こんな形で退職になってしまったことなど、私に申し訳ない気持ちでいることを伝えてきました。

いいや、そういう状況なんだからしょうがないよ。早く元気になることが大事だ。そう伝えるとさらに彼女は申し訳なさそうな顔をしました。さらに彼女は続けました。

横須賀さんがどうしてもやりたいと言っていた、天才塾のお手伝いができなくて残念です。天才塾の成功を願っています、と。

彼女の年齢はまだ20歳になったばかり。そんな彼女でも、仕事のこと、会社のこと、私のことを考えてくれている。

それと比べて私はどうだ。認めてくれよ。褒めてくれよ。もう疲れたんだよ。全部醜いエゴ丸出しの承認欲求じゃないか。2003年から努力し、食べられるようになり、そして次は誰かの役に立つ、そしてひいては世の中の役に立つ仕事をすることを決めたんじゃないか。

「世の中の役に立つと決めた人間が、このくらいでへこたれるものなのか?」

答えはもちろんNOだ。事業の大小は関係ない。上場するような規模になるかどうかなんてわからないし、自分がどこまでいけるかわからない。誰に認められるかもわからない。でも、自分がやれることはやり遂げよう。

それが私の答えだった。

私は彼女に丁重にお礼とお見舞いをし、病院を後にしました。体中からもう一度エネルギーが満ちてくる。もう一度だけ、少なくとも天才塾を立ちあげ、形になるまでは全力で仕事をしよう。そう考えました。

事務所に戻った私は、もう一度求人をかけることにしました。まずは自社媒体から。ホームページ、ブログ、当時大流行していたmixiなどでスタッフ募集をかけるとすぐに数名の応募があり、ひとりの女性を採用することに決めました。それが現在も勤務している藤井里美というスタッフ。聡明でオールマイティに仕事ができる。これ以上の人材はいないと私は初めて面接途中に採用を決め、彼女に伝えました。これから始まる天才塾を中心にうちで働いてほしいと。

藤井を採用したのが2007年3月。天才塾のオープニングは4月27日。もうそれほど猶予があるわけではありません。それでも最終的に力強いパートナーを手にしたことで、私はセミナーそのものの準備に集中することができました。そして、万全の準備のもと、天才塾はその歴史をスタートさせたのです。

第6章 2007年4月27日。 天才塾ははじまった

30日で成功する! 超速・資格起業家養成講座

ただ自分のためだけに稼ぎ生きていく。最初はそれでいいと思います。しかし、食べられるようになったら、今度はそれを世の中のために考える。これが私の出した結論でした。家族の問題、スタッフの問題を乗り越え、そして最終的に2007年4月27日。天才塾のオープニングの日がやってきました。申し込みをしてくださったお客様は50名。これまでのことを思い出すと、胸にこみ上げるものがあります。でも、やっと、やっと自分が生き、自分が世の中の役に立てると思うと感無量でした。天才塾のセミナーのひとつの特長は網羅性。士業、資格起業家、そしてコンセプト経営と士業に必要なものがすべてそろっていることが特長です。

最後に、あなた自身が資格を取ったあと、どのような手順で行動を起こしていけばよいか、書籍の中でセミナーを通じてその手順をお伝えします。

本来、物語であれば、当時の流れのまま本書にも掲載すべきですが、今回は2014年に合わせて最新版をお伝えします。

想像してください。あなたは100名ほどいるセミナー会場の最前列に座っています。今会社員のあなたは、独立開業に必要な手順はこのようなものだと認識し、自分自身の計画を練ってみてください。そして普段の会社員生活にも活かせる部分は今から活かす。開業前後のあなたは、この手順に従って行動してください。すでに開業している方は、この手順の中で、自分自身ができているかどうかをチェックします。「知っているかどうか」ではなく、「できているかどうか」が重要です。

では、今回のセミナーは、士業で成功するための30日間の手順。「超速・資格起業家養成講座」です。

1日目「自分の棚卸しをする」
士業の仕事は、悪く言えば差がない仕事です。そのため、お客様から見ると業務能力の差なんてわかりません。ということは、お客様はどこで士業を選んでいるのでしょう。そう、それは「金額」と「パーソナリティ」です。士業の業務能力の差なんてどう説明してもお客様にはわかりません。

そこで、まずは「士業以外」のあなたのパーソナリティと仕事の実績の棚卸しをします。出身地、学歴、職歴、スポーツ歴、受賞歴、お客様の数、お客様の規模、開業年数などあなたの士業の業務以外の情報をとにかく書き出します。

天才塾の多くの会員様が、仕事の取れた理由が「パーソナリティ」です。お客様は、あなたが仕事ができるかどうかではなく、「好きになれるかどうか」で決めています。お金はその次の優先順位なのです。

2日目「プロフィールをつくる」
自分の棚卸しができたら、次は自分自身のプロフィールをつくります。最終学歴から、職歴、そして現状と趣味などのパーソナリティ情報を掲載します。ちょうど書籍の著者プロフィール紹介のようなイメージですね。このとき、できれば出したいのが数値による実績です。お客様の数や規模、相談件数など数えられるものはできるだけ数え、実績として掲載しましょう。

これから開業するあなたも心配いりません。過去の職歴からそういった実績を探して掲載するんです。え? 過去の職歴が士業と関係ない? いいんです。関係なくても。むしろ関係ないほうが印象に残ります。たとえば、元旅行会社の添乗員とか元システムエンジニアとか、士業に関係しないほうが特長をつくることができ、一度で覚えてもらえるようになります。

そして、士業とまったく関係のない仕事でも、「過去、しっかりとした仕事をした経験がある」というのは、今の仕事ぶりの評価にもつながるんです。

私の場合、その職歴がなかったことが苦しかったのですが、もし何もなければ今日からつくっていけばいいんです。過去を嘆いても変わりませんから、これから何か仕事の実績をつくっていくことで、あなたの信頼をつくることができるのです。

3日目「お客様の声をつくる」
あなた自身のプロフィールを見て、お客様があなたを気に入り、そして信頼してくれたらこれで仕事を取る準備は半分できたことになります。もちろんこれだけでも仕事は取れるのですが、さらに仕事を取りやすくするためにお客様の声を取ります。

なぜ、お客様の声が重要なのかといえば、それは第三者の声というのは信頼性が高いのです。たとえば、私が自分のことを「すごいでしょ」というより、他の第三者が「横須賀さんって、すごいんだよ」って言うほうが信頼性が高いですよね。すでに開業している方はすぐにでもお客様の声を取ってください。

これから開業する場合には、極端な話、無料でも激安でもいいから仕事を受けて、お客様の声を取ってしまいたいくらいです。そのくらい、お客様の声って重要なんです。なぜここまで断言できるかといえば、データを取っているから。

「なぜ、当事務所に依頼をしていただけたのですか?」と聞いたアンケートによれば、ダントツの第1位が「先生の人柄」。そして2位が「お客様の声」なんです。

お客様は、あなたのサイトを見たり、名刺を見たりして、人柄やお客様の声を見て、あなたに依頼を決めている。それが事実なんです。

4日目「情報満載名刺をつくる」
自分の棚卸しができたら、次に行うべきは名刺です。自分のパーソナリティをこれでもかというくらい入れましょう。一般的なシンプルな名刺は、仕事を取るのに適していません。たとえばリクルートとか大塚商会とか、そういった誰でも知っているような看板がある場合はそれでもいいのですが、フリーランスで仕事を取る場合には、情報満載名刺のほうがよいでしょう。

仕事は好きな人に頼みます。では、どうしたら好かれるのか。一番簡単な方法は、「共通点を見つけてもらうこと」です。トーク力がある方は、名刺交換時に軽快なトークで盛り上げていただければいいのですが、口下手な方はこの情報満載名刺がベストでしょう。あなたが喋らなくても、相手が勝手に共通点を見つけて話してくれます。

文字情報以外にも顔写真を載せる。情報をよりたくさん載せたい場合は、二つ折りなどでもいいでしょうね。すでにスタッフがいる事務所は、スタッフのパーソナリティを名刺に載せると効果的です。

会社員の方は、会社の名刺とは別に個人用の名刺をつくって、今後はいろいろなところに出るとよいです。今会社員でもできる準備はいくらでもありますから、ぜひつくってみてください。

5日目「事務所案内をつくる」
多くの士業事務所が、実際のところ事務所案内を持っていません。紹介ベースで発生する仕事も多いですから、なくてもなんとかなるのですが、やはり事務所案内はつくったほうがよいでしょう。お金をかけてフルカラーで冊子製本して……というような立派なものは、お金があるときにつくるとして、重要なのは中身です。

事務所案内は主に商談のときに渡します。その際にお客様が見るのはやはりあなたのプロフィールとお客様の声です。仮にワードで作成して、簡易製本されたものでも、真剣なお客様は必ずこの事務所案内を見るのです。その際に依頼成約率を高めるのがこの事務所案内です。なので、面倒臭がらずにつくりましょう。

特に中小企業診断士とか、その資格の固有の仕事がない場合はメニューがないとお客様は依頼できません。月額のコンサルティング料ですとか、タィムチャージでの相談料などの表記がないと頼みようがありませんので、このメニュー化はとても重要。週末起業で始める場合にも必要です。それに、せっかく依頼を検討してくださっているのに、渡すのが見積書や請求書だけってちょっと失礼な気がしませんか?

6日目「ウェブサイトをつくる」
専門家は探される存在です。つまり、早く仕事を取ろうと思ったら、サイトをつくってお客様から検索される存在になる、というのがベストです。

サイトには3つのポイントがあって、ひとつは「問い合わせしやすいレイアウト」。もうひとつは「検索結果の上位表示」。最後が「電話対応」なんです。デザインについては見ればわかると思いますが、電話対応は意外と見えないもので、この電話対応をどれだけしっかりできるかがポイントなんですね。

かかってきた電話にきちんと対応して、面談の約束を提案する。ただお客様の依頼を待っているだけではなく、自分から少しだけ積極的に提案する。会ってしまえば成約率は飛躍的に高まりますので、かかってきた電話に対しては必ず会うように打診してください。

どういうタイプのサイトをつくればいいかというと、資格名が有名な弁護士、税理士などはいわゆる事務所型サイトを。そして、資格名からは何をしているかわからない資格は、業務特化型のサイトをつくりましょう。

また、2013年からパソコン用のサイトだけでなく、スマートフォン用のサイトからも仕事は取れていますので、今後は要注目です。

7日目「リスティング広告を出す」
サイトをつくっただけでは、仕事は来ません。専門家のサイトは無数にあるので、その数多のサイトから選ばれるためには、お客様が検索エンジンで専門家を検索したときに、なるべく検索結果の上位に表示される必要があるわけです。サイトの上位表示には様々な手法がありますが、もっとも専門的知識を必要としないのが「リスティング広告」です。

この広告は、検索エンジンに入力されたキーワードに連動して表示される広告なのですが、たとえばあなたが「税理士 渋谷区」というキーワードで広告を出しているとして、その際にお客様が「税理士 渋谷区」というキーワードで検索したときに表示されるというものです。広告費もクリックされるごとの課金になりますし、1日の予算も自分で決められるので、もっとも効率のよい広告だといえるでしょう。

ところで、広告については徐々にその金額を上げていく必要があります。多くの書籍などは「広告費をかけずに」「販促費〇円で成功した」などのうたい文句が多いですが、実際に仕事を多数取るために広告は欠かせないものです。ですから、広告をお金のかかるものと考えずに、積極的に活用していくという意識が重要になります。

8日目「商工会等の各種団体に所属する」
東京や大阪など人口の多い地域では、このような団体に所属せずとも人に会うことができますが、地方都市だとそうはいきません。人に会うにはセミナーや研修、交流会などが比較的参加しやすいものといえますが、地方都市ではこの開催そのものが決して多いとはいえません。

そこで有効なのが商工会や同友会など各種団体への所属です。ここに所属すれば、すでに地元の企業や商店が会員として所属しているので、苦労することなく人に会って自分の仕事のアピールをすることができます。

ただし、地元のつながりということで、あまりにも営業色が強すぎる付き合いは禁物です。地元経済のために一所懸命活動をされている方の集まりですので、各種団体のイベントなどを手伝い、地道に会のための活動をしていくとよいでしょう。

実際に仕事が取れた事例としては、どの地域も半年以上、会のために尽力した人には紹介で仕事が回ってくるようです。

9日目「はがきを出す」
士業にとって有効な営業法のひとつがアナログな営業です。簡単に言えば、人に会って仕事をいただく、あるいは紹介してもらうなどの手法になります。具体的には、先ほどお話しした情報満載名刺を持っていろいろな人と名刺交換するわけですね。1カ月に100名前後の方と名刺交換すれば、自然と仕事は増えていきます。

好かれることが大事ということは先ほどお伝えしましたね。そのために誰でもできる手法が名刺交換した人にお礼のはがきを出すことです。メールやソーシャルメディア全盛の今だからこそ、このはがきを丁寧に、それも手書きで出すことは、とても好印象に映ります。名刺交換をしたらはがきを出す。これを継続していくだけも十分です。

10日目「ニュースレターを出す」
名刺交換をして、はがきを出す。もし幸運にもこれで人に好かれて覚えてもらうことができれば、これだけでも仕事は来ます。しかし、すべての人があなたのことを覚えていてくれるわけではありませんよね。しかもすぐに士業、専門性のある仕事を頼むかどうかはお客様次第なわけです。

となると、あなたのことを時々思い出してもらう必要があります。それが「ニュースレター」です。別にメールでも何でもいいのですが、ひとつの代表的なサイクルとして、名刺交換、はがき、ニュースレターのこの流れをご紹介しておきます。営業に絶対というものはありませんが、これはひとつの「鉄板」な営業です。

ニュースレターは、できれば毎月出したいところですが、最低でも年に四回以上は出せると効果的です。内容は、法律的な仕事の話とパーソナリティを表す情報と二種類。特に法律の話ばかり掲載しても、読み手は面白くありませんので、あなた自身の活動を書いておくとよいでしょう。

11日目「アナログ営業の計画をルーチン化する」
繰り返しになりますが、遠回りのようで、実はアナログな営業は効果的です。そして、その効果を持続させるために、やはり継続してやっていく必要があります。次第に仕事が増え出すと、後回しになってしまいがちなので、毎月10日前後に翌月のアナログ営業の計画を立てるくせをつけましょう。このように「人と会う」こともある程度計画的にやっていくことが重要です。

12日目「Facebookの登録」
優先順位の高い順にお話ししていますので、ネットとアナログが交互に出てきますが、サイトとリスティング広告以外でのネット営業は、とりあえず二〇一四年現在はFacebookに登録しておけば十分でしょう。Facebookはアナログとネットの中間にあるようなツールで、会った人とゆるくつながることができます。そのため、ただ登録しておくだけでも効果的です。

以前はブログ、Twitterなども注目のツールとして扱われていましたが、ブログもTwitterも競合が多く、また専門家を探すときにブログから探す、Twitterから探すという人はごく少数派なので、最初のうちはブログもTwitterもやらなくてもかまいません。余裕があれば、補助的なマーケティングツールとして活用していけば十分です。

13日目「各種の広告を出す」
基本的に士業としては、アナログ営業とネット営業のみで十分です。さらに効果的に仕事を集めたいと思えば、あとは広告です。効果が事例として認められているものには、役所・郵便局が発行している封筒への広告掲載、市区町村が発行している冊子への広告掲載、各地域のタウン誌などです。

ただし、こういった広告はどこに出せば絶対に反響が取れるというものではありません。出して成果が出たら続ける。成果が出なければやめる。基本的にはこうしたテストを繰り返していくしかありません。先ほどもお話ししましたが、急成長する事務所は必ずこの広告を出稿しています。士業としての仕事を増やしたい場合には、この広告が勝負どころといえるでしょう。

14日目「飲み会・ランチ会の実施」
人が集まる場所に行くことに慣れたら、自分自身でもこうした会を運営してみましょう。重要なのは、「仕事の話抜き」で楽しく行うことです。楽しい場でなければ誰も参加したいと思いませんし、仕事の話でギスギスしていても、やはり参加者は集まりません。

情報交換という名目でもいいでしょう。積極的に人と会う場をつくって、仲良くなる。営業ではなく、楽しむ場を自分でつくることによって、仕事も増えていきますし、情報も入ってくるようになるのです。

15日目「資格起業家への足がかりをつくる」
士業の仕事をただ淡々と取っていく。これが一段階目の士業です。その次が、資格業と親和性が高い、セミナー、コンサルティング、コーチング、研修、勉強会、教材制作などを並行して行う「資格起業家」という段階になります。

士業以外の仕事を取り入れていくことによって、「待ち」の仕事ではなく「攻める」ことができるようになります。旧態依然とした士業のみでは、今後10年20年、変化の大きいこの業界ではいずれ苦しくなります。柔軟性を持って取り組む姿勢を持ちましょう。ここでは、士業以外に自分自身ができることをピックアップしていきます。もしピンとくるものがなければ、もっとも始めやすい「セミナー」がベストだといえるでしょう。

もっとも、セミナーをしたことがない、できそうにないという場合には他の営業に力を入れることでも大丈夫です。私も飛び込み営業なんかは苦手ですし、合っているものを探しましょう。

16日目「講師登録サイトに登録」
セミナー講師を始めようと思ったら、自分ができるセミナーテーマを考え、まずは講師登録サイトに登録します。最近ではセミナー講師をアテンドするエージェント会社も増えており、こういったところに登録することで、セミナー講師の仕事がやってきます。

自主開催してセミナー集客するのもよいですが、最初は難易度が高いので、集客をやってもらえる講師登録サイトに登録する。まずはここから始めましょう。

17日目「ダイレクトメールを出してセミナーの集客をする」
これまでの名刺交換した顧客名簿がある場合には、その名簿あてに、もしまったく顧客リストがない場合には、顧客名簿を購入かレンタルで入手して、セミナーの告知をします。セミナーの集客は、顧客リストに対してダイレクトに案内をしなければ集客できません。具体的には、ダイレクトメールを出す、FAXDMを出す、メールDMを出す、メールマガジンを出す。このような「直接お客様に届く」ものでないと集客できません。

逆に言えば、この方法さえ覚えてしまえばセミナーの集客は難しいものではありません。

ところで、今はセミナーの集客のためのDMの話でしたが、税理士の集客方法として「新設法人」のリストに対してダイレクトメールを出すという方法も効果的です。もうこの方法を古いという人もいますが、2013年もこの手法で結果を出している事務所は多数あり、やはりどんなこともやってみなければわからないものです。

18日目「FAXDMを出してセミナーの集客をする」
ダイレクトメールと同じように、FAXでも集客をすることが可能です。FAXDMは比較的安価で多数の配信ができる手法ですが、相手方の用紙とインク(トナー)を一方的に使用してしまうので、お叱りも多い営業手法です。その点注意が必要です。

実施するものは無料のセミナー開催がもっともスタンダードな方法です。他にも無料小冊子の提供なども考えられますが、基本的にFAXは返信型にして、反応率を計測できるようにするのがポイントです。

19日目「メールマガジンを発行する」
同じくセミナーの集客に関して言えば、もっともお金がかからないのがメールマガジンです。メールマガジンそのもののブームは過ぎ去った感がありますが、マーケティングツールとしては完全に定着し、どこの企業でもこのメールマガジンなしに販促はできないくらい、効果的なツールになっています。

メールマガジンは、知り合った人やサイトから登録できるようにして、毎週一回配信する。このくらいがもっとも効果的です。内容はお客様の役に立つ情報と、あなたのパーソナリティ。これはニュースレターと同じで、やはり人間味もあったほうが読まれやすいのです。

20日目「セミナーの目的を明確にして、自主開催セミナーをする」
セミナーに関しては、とにかく目的意識が重要で、「なんのためにセミナーを開催するのか」を明らかにすることが重要です。ただセミナーをするだけでは、情報提供して終わりになってしまうので、セミナーをして収益を出したいのか、それとも顧問や各種の業務、あるいは資格起業家としてのコンサルティングを売りたいのかなど、セミナー開催の目的を持って開催することが重要になります。

このとき、コンサルティングなど単価の高いものを販売できれば、仮にセミナーが赤字だったとしても結果として利益が出ますので、このように「目的」が重要になります。

21日目「各種マーケティングの見直し」
士業としての営業は、アナログ営業、ネット営業、広告、このあたりが中心です。そして、資格起業家としては、あなた自身の方向性もありますが、セミナーの開催などをして、収益を出すために、顧客リストに対してダイレクトメールを打つ、メールマガジンを出すなどの方法があります。

これらの方法はやって終わり、ではなく何度も検証・見直しをしていくことが重要です。セミナーの集客がうまくいかなかったら、なぜうまくいかなかったのか。その検証をして、次につなげます。大変つらい作業ですが、この見直し作業をすることによって、精度は高まります。自分自身でうまくいかない理由がわからなかった場合には、第三者のコンサルタントなどに意見をもらうのもひとつの方法でしょう。

22日目「広告費を増やす、見直す」
先ほどもお話ししましたが、見直しついでに今度は広告費の額についても見てみましょう。広告費を上げることが重要だとお伝えしましたが、広告も検証が必要です。基本的には営業をして、広告費の金額が上げられるようになれば、売上は確実に伸びていきます。意外とシンプルでしょう。もちろん、ビジネスモデルもしっかり見直してくださいね。

まずはこのあたりまで、資格の仕事とそれから親和性の高い資格起業家としてのセミナー、コンサルティング、コーチングなんかと並行してやっていくとよいといえます。

23日目「個人ブランディングの強化・プレスリリース」
これは優先順位的には決して高くないです。雑誌やテレビなどのマスコミ掲載を狙うという考え方ですが、載ったところでたいして仕事は増えません(笑)。サイトや事務所案内に載せるあなたのプロフィールがより強固になるというイメージですね。

それよりも、まずは売上。そういう方は無視していただいて結構です。余裕があって取り組めるという場合には、プレスリリースという方法がありますので、ぜひチャレンジしてみてください。

ただ、実際のところはプレスリリースを出すよりも、記者やライターさんなどと仲良くなることが近道で、実際私も2004年から毎年何かの雑誌などに出ていますが、ほとんど紹介なんですね。

24日目「個人ブランディングの強化・出版」
「本を出す」なんていうと難しい話に聞こえるかもしれません。しかし、実際のところ書籍を出すのは決して難しいわけではなく、独立起業した以上はやはり狙いたいところです。

士業であれば、狙いは「法改正」です。私も2006年の商法改正のとき、初めて法律書を出しました。そのとき26歳。行政書士としてもっと実績の素晴らしい方はたくさんいたでしょう。でも、チャンスをつかんで書籍を出版するには、チャンスをつかもうとするしかないんです。

印税はそれほど大きな収入にはなりませんが、さらにあなたの実績が輝かしいものになります。ぜひ個人で仕事をやる以上はチャレンジしてみてください。

25日目「組織化の計画」
士業事務所の仕事が増えてきた場合、今度は事務所の規模をどの程度まで大きくしていくのか判断する必要があります。これは、絶対に採用をしなければならないということではなく、あなた自身の判断です。ひとり事務所があなたの幸せの定義ならば、それでよいと思います。

ただ、私なりの仕事の醍醐味は「分かち合い」だと思うんです。スタッフを育てて、また育てられて成長するのだと思います。そういう意味では、ぜひ採用はしてほしいです。

組織の採用計画として、もっともシンプルなのは、所長、リーダー、事務員という三名構成。実は所長と事務員、では仕事はいつまで経っても忙しいのです。幹部となるリーダーをいかに早い段階で入れていくか。これが組織化の大きなポイントになります。

26日目「コンセプト経営に移行する」
セミナー、コンサルティングなどを並行して行う「資格起業家」という考え方は、2006年に書籍『資格起業家になる!』を出してから、徐々に多くの士業に広まっていきました。10年以上前はセミナーをすることさえ御法度だったのが、今では多くの士業事務所が意識しているかどうかは別として「資格起業家」にチャレンジしているのです。

つまり、徐々に資格起業家としての活動では差別化ができなくなり始めているのです。まだまだ2014年の段階ではアドバンテージはありますが、徐々に資格起業家も普通のことになっていくでしょう。

そこで、その上の段階を少しずつ見据えてやっていく必要があります。それが「コンセプト経営」です。これは士業に限ったものではないのですが、事業を「業種」でくくるのではなく、コンセプトでくくります。

たとえば、行政書士業ではなく「起業支援」というコンセプトで事務所を経営する。行政書士事務所がセミナーやコンサルティングをすると、副業のように見えますが、「起業支援がコンセプトの事務所」だとこのコンセプトに外れない限り、自由に事業ができます。

今はまだ超少数派ですが、いずれこれも主流になるでしょう。今から少しずつ意識して、あなただけのオリジナル・コンセプトをつくって、同業者と競争にならないビジネスをつくるべきです。

27日目「人生のコンセプトを探る」
最初はできることをする。それからやりたいことに移行する。これがベストだとお伝えしました。そういう意味で資格業はとってもマッチしていますが、同業者も同じ仕事をしているので、ずっと競争、差別化との戦いになってしまいます。特に資格業の仕事は法律で決まっているため、商品企画もできず、なかなか苦しいという事情もあります。

そこで、先ほどお話ししたコンセプト経営が救世主になるのですが、では自分はいったいどういうコンセプトで仕事をすればいいのだろう? そう考えますよね。ここで初めて「自分のコンセプト」について考える必要があるのです。自分のコンセプトとは、「人生哲学」のようなもので、これが決まれば事業としてすべきことも決まってくるわけです。

ちなみに私のコンセプトは「クリエイティブ、積極性、楽しく」。これが私の人生コンセプトです。これを実現していくのがパワーコンテンツジャパンという会社なんですね。だから、ある程度食べられるようになったら、自分の生き方を決めるという段階になるのだと思います。

では、どうやってこの人生コンセプトをつくるかというと、あなたにとって譲れないキーワードをたくさん書き出して、絞っていく作業をするんです。「優しさ」とか「スピード」とか何でもいいと思います。で、ひとつに絞るのは大変なので、三つくらいにする。それがあなたの生き方になります。

28日目「人生コンセプトから事業のコンセプトをつくる」
組織化、という話がありましたが、やはり組織を動かしていくのに重要なのは「ミッション」「ビジョン」といわれるものです。これがないとやはり働いている人も「何のために」働いているのかわからなくなります。

ところが、このミッション。長かったり難しかったりでなかなか浸透しないし覚えられない。そこでもっとも簡単なのが「コンセプト」を使った理念の表現なんです。

結論から言うと「私たちは○○○○を通じて世の中を幸せにします」これにあなたの事業となるコンセプトを入れるのがもっとも簡単な方法です。各企業に立派な理念や社是などありますが、やはり長かったり難しかったりで覚えにくい。それなら簡単にしてしまえ、ということで最終的にこうなりました。

あとはビジョンを「数値目標」にして、目標に邁進すればいい。とはいえ、このあたりは先でも構いません。あなたの人生のコンセプトが決まるほうがよっぽど重要です。

29日目「起業から経営へ」
いよいよ終盤ですね。実際にはこれらのことを30日ですべて実践するのは難しいです。1日目~22日目までが最初は絶対に実践すべきポイントです。組織化以降の話は、人によって規模が違いますし、ひとり事務所の人もいるわけで、あとはあなたの選択です。

ただ、人生のコンセプトワークはやってほしいですね。これが決まるとすべきことがすべて決まりますので、ここは重要です。ただ、最初はやりたいこと探しをしても見つからないので、資格業としてすべきことを実践して、食べていけるようにする。自分探しの旅はそれからです(笑)。

そして、もし組織を大きくしたいのであれば、自分がプレーヤーでいることから離れて、経営に従事する体制をつくる方向に行くのがよいでしょう。採用して、事務所を借りて、借り入れをして。こうして経営者としての経験が積まれることによって、コンサルタントとしても社長としても、人としても深みが出るものです。

30日目「人生の成功の定義を再確認する」
まずはできること、すべきこと。資格を取ったのならその資格で食べられるようになりましょう。そういう話でした。そして、ビジネスモデルをしっかり見て、その上で効果的なマーケティングを実践していく。マーケティングはすべてテストでしたね。そうして、営業にかける時間配分を多くしていく。

士業としての仕事が取れるようになったら、資格起業家としての活動をする。もちろん、セミナーやコンサルティングが得意な人は、最初から資格起業家でもかまいません。そして、差別化をするためにコンセプトをつくる。そういう話でした。

そして、自分自身がやりたいことを探し始めたら、自分のコンセプトワークとともに成功の定義をもう一度見直してみてください。経済的、人間関係的、社会的、享楽的。4つの要素がありましたよね。これは1年に1度くらい、見直しておくとよいです。1年単位の具体的な目標は紙に書いて、できれば机の前にでも貼っておきたいですね。

目標や夢が叶わないひとつの理由が、目標や「夢」を忘れてしまうことなんだそうです。こうしたあなた自身の夢を忘れることなく、これから積極的に生きていきたいところです。

……以上をもちまして、本日のセミナーは終了となります。かなり駆け足になってしまいましたが、全体像というかこれからすべきことっていうのは見えてきたんじゃないかと思います。このセミナーがあなたの夢実現のきっかけになりましたら幸いです。

エピローグ

2012年から2013年にかけて、私はインド、香港、アメリカと海外視察に出向く機会がありました。行くきっかけはそれこそ些細なものだったのですが、インドから得られる果てしない人間のエネルギー、香港から感じた独特の世界観、そしてアメリカの素晴らしいコンセプトのあるビジネス。天才塾が軌道に乗り、もっと自分自身が世の中の役に立てることはないか。そうした新しいチャレンジの場を探す旅でもありました。

そこで見つけたのが、6章でも触れている「コンセプト」による経営です。特にアメリカで見たわかりやすいコンセプトを全面に出したビジネスは、私の感性を大きく揺さぶりました。そして、自分のことを振り返ってみれば、そもそも私のビジネスも単なる士業というものではなく、「資格起業家」という新しいコンセプトでした。そのほかの提携事業もそのほとんどがコンセプトによって成り立っているもので、大げさな言い方をすれば私自身はこの「コンセプト」があったからこそ、様々なビジネス展開ができているのだと確認しました。

そして、偶然にもアメリカ渡航の際に持って行った1冊の本、玉樹真一郎氏『コンセプトのつくりかた』によって、私自身の仮説が証明されたような気がしました。詳しい解説はぜひ玉樹氏の著書を読んでいただきたいのですが、コンセプトというものがビジネスに、そして人生にどれだけ大切なものかがわかる書籍です。

まずは自分の人生のコンセプトを考える。

重厚な言い方をすれば人生哲学になりますが、その人生コンセプトが決まって初めて、会社のコンセプトも決まる。そう結論付けた私は、自分自身のコンセプトを考え、そして新たに会社のコンセプトを定義しました。パワーコンテンツジャパンという会社は、「コンセプトを通じて世の中に幸せを創り出します」これが私たちの新しい理念になりました。今後、この会社ではコンテンツを通じてできるだけ多くの幸せを創り出していく。そういうコンセプトで事業をしていくつもりです。

もちろん、すぐに決まらなくても大丈夫。また将来変わっても大丈夫です。今、「とりあえず」決めることが重要なんです。

ところで、ひとつ物語の中で抜けていたものがあります。それは私の「復讐」です。そもそも解雇された会社を見返す、社長に復讐してやるということで始まった私の物語ですが、目指すものが移り変わり、少しずつ怒りの気持ちは風化していました。

会社を解雇された後、しばらくはその会社のことを思い出すのも嫌でしたが、天才塾を運営し始めて数年たったある日、ふとその会社のことが気になり、その会社の様子を見てみることにしました。もうその会社に対して、恨みも何もありません。むしろ感謝の気持ちがあるくらい。怒りに震えていた自分はいったいどこに行ったのか。そのくらいの気持ちでした。

会社にもどって自分のノートパソコンを開き、ネット検索する。いったい今どうなっているのか。業績はどうなのか。あの社長はどのような活動をしているのか。少しだけ緊張しました。

――しかし、どんなに検索をしても、その会社は出てきませんでした。本来あった会社のサイトもNOT FOUND。綺麗に消えてなくなっていたのです。

会社が倒産したのか、それとも単なる商号変更なのか。あるいは買収されたのか。今となってはわかりません。

そんなことより、怒りにまかせて本当に何かしらの復讐をしなくて良かった。そして、少しでもその会社に、私を解雇した社長に対して感謝の気持ちが芽生える自分になることができて良かった。

こうして私の復讐劇は、静かに幕を閉じたのです。

おわりに

本編に登場した彼は実在する人物です。この話には後日談があって、数カ月後、彼からは丁寧な手紙が届きました。細かい内容は覚えていませんが、こんな自分のために時間をとってくださってありがとうございます。死ぬ気で取り組んでみます。必ずこの恩はお返しします。という趣旨の手紙だったと思います。その後、彼に会う機会は現在までないのですが、どこかで自分らしく誇れる仕事をしていてくれたらと切に願います。

彼に最後に伝えた言葉は、本書の冒頭でお伝えしたことと同じです。大丈夫、決意して正しい努力をすればきっとうまくいくよ。そういった趣旨のことを伝えました。

文中で、なぜか相談を受けることにした。と書きましたが、あとになってなぜそのような行動を取ったのか、その理由が判明しました。

それは私の父親の存在です。独立開業することをなんとなく決めたとき、父親が私のアパートを訪れる機会がありました。

「決意はできているのか?」と。

比較的厳格な父ですが、独立起業を決心した私の話を聞いたあと、そうか。決意ができているなら、真剣にやってみろ。やるだけやってみろ。と。

認められたかどうかは別として、とりあえず父から許可をもらったことは私にとっては大きなものでした。私は「必ずこの恩は返す。いつか成功して恩返しをする」と伝えました。そこで、父は意外なひとことを言ったのです。

「いいか、おれに返す必要はない。いつかおまえにも子どもが生まれる。そのとき、おまえと同じことをもし言ったら、同じ言葉を返してやれ」

私はこらえましたが、そのとき泣いていました。なんて人なんだろう、と。

この父の存在があったからこそ、私は彼の相談に乗ったのだと。そう後で感じました。現在、私の両親は埼玉県行田市で大きな病気をすることもなく、静かに私の成長を見守ってくれています。本当にありがとう。なるべく電話をするときは、嬉しい報告になるよう、これからも頑張ります。

「お母さん、明日からぼくの会社はなくなります」

なんて言うことがないように。そう、新たに決意します。

最後に、勝手に名前を出したみなさま、本当に申し訳ありません。生意気言ってすみません。正直な気持ちを書いたらこうなりました。でも、きっとより多くの人たちがみなさまのことを好きになってくれるはずです。

そして、私の物語は現在進行中です。起業本としては、上場したりすることもないので、もしかしたら少しスケール感の小さい話で退屈だったかもしれませんが、少しでもあなたの人生を好転させるためのきっかけになりましたら幸いです。

さて、私の物語はひとまずここまで。あなたの物語はどうでしょうか。少なくとも本書をここまで読んでくださったあなたは、「もう駄目かもしれない」という投げやりな気持ちは少なくなっていると思います。

成功する人は、最初からものが違う。なんて言ったりします。でも、私に大きなきっかけを与えてくださった栢野さんも最初は私を見て、その言動から「ああ、この子は頑張っているなあ。でも、かわいそうだけど、多分成功しないだろう」と感じたそうです。だから、始めるときに才能があるとか、経験や環境がどうとか、どうでもいいのです。

重要なのはたったひとつ。あなたが変わろうと「決意」することだけです。もし、あなたが真剣に仕事を、人生を考えてくださるなら、今日から始めましょう。

大丈夫。きっとなんとかなります。もし、その機会があればこれから私と一緒に頑張っていきましょう。

横須賀輝尚

(↑Amazonや書店では手に入れることができない、特別限定装丁版です。これをパワーコンテンツジャパン株式会社で会社案内として使用しています。)

著者略歴

パワーコンテンツジャパン株式会社代表取締役。行政書士。
1979年、埼玉県行田市生まれ。専修大学法学部卒。23歳で行政書士事務所を開設し独立。1年で月商100万円を達成する。
25歳のときに初出版。以後、士業のマーケティング関連書籍など17冊出版し、累計部数は12万部超(「もう、資格だけでは食べていけない」すばる舎、「資格起業家になる!成功する超高収益ビジネスモデルのつくり方」日本実業出版社等)。2006年に技術評論社から出版した「『株式会社』はじめての設立&かんたん登記」は、株式会社関連の実務書では日本一の販売実績を誇る。
2007年に創設した士業向け経営スクール「経営天才塾」は、のべ全国1500名を超える参加者となり、士業向けの経営スクールとしては事実上日本一。これまでの7年間で5000通以上の相談メールに回答する。また、士業に留まらず、中小企業のコンサルティング実績も多数あり、資格の活用、小さな会社の経営に関する専門家である。現在は「コンセプト経営」という新しい経営手法でビジネスを拡大中。個人的な趣味としては無類のゲーム好きでオフィスにはWiiやNintendo3DS等が散乱している。

※掲載されている内容は、作品の執筆年代・執筆された状況を考慮し、書籍販売当時のまま掲載しています。


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