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組織の終わりの始まり。その2

なぜ、組織化を目指したのか。組織化を始めようとした時、それは終わりの始まりでした。その1はこちら

上場企業での仕事、はじめての出版

ライブドアというマザーズ上場企業(当時)で講演をすることもプレッシャーだし、はじめての商業出版ということで右も左も上も下もわからない状況だった私の日常はカオス化していきました。

詳細は割愛しますが、ライブドアでの講演はなんとかかたちになり、無事終了。確か受講料2万円とか3万円の講座だったのにも関わらず、告知から一瞬で満席となり、余計緊張に拍車がかかったっけ。当時堀江貴文氏のブログなんかでもコメントされていたりして、なかなかの重圧でした。まだ25歳だったし。

で、同時並行で出版の仕事を進めていきました。企画のたまご屋さんで企画が通ったのも奇跡でしたが、最終的に10社くらいの出版社に手を挙げていただくことができ、最終的に技術評論社に決定。

2月の確か10日過ぎくらいに企画が正式決定して、締め切りが確か3月中旬くらいだったかな…1ヶ月もなかった記憶で。本来、商業出版にかかる執筆期間はだいたい2ヶ月から3ヶ月くらい取るのがスタンダード。でも、私の場合は「できるだけ早く」が至上命令とされました。

理由は簡単で、テーマが「ビジネスブログ」。2004年にブームが最高潮になり、この本が決まったのが2005年2月。ブームに乗るためには、できるだけ早く出したい。それが出版社の意向でした。

何もかも初めてだったわけですが、とにかく自分の原稿が商業出版レベルにあるのかどうかすら判断できないわけで、自分としても早く原稿をアップし、ダメ出しを早めにもらいたかった。

そこで、行政書士の仕事をほとんど断るか誰かに紹介し、執筆に専念。東京都調布市のあんな狭いアパートの中で執筆しているなんて、誰も思わないだろうけど、とにかく必死で執筆し、2月中に脱稿。この頃から私の速筆は始まっていたんだなあと思う。

そして、原稿が「本」という形になり始めるわけです。

本は、ひとりではつくれない

原稿を書いて、そのWordデータを送ると基本的には著者は「待ち」の状態になる。その間、原稿は編集部に委ねられます。原稿の手直しが戻ってきたり、紙面やカバーのデザインが送られてきたり。あとは見えないところで校正の担当者がいたり、そしてもちろん編集長がいたり。

なんというか、徐々に作品ができあがってくる。
一緒にひとつのものをつくってる感がある。

あれ…?なんかこれ、楽しいぞ?

タイトルについて意見を求められたり、初版部数の報告が来たり。プロモーションは何かできますか?とか、こちらのレイアウトの方が見やすくないですかね?とか、直接会って仕事をするわけではなかったけれど、一緒に仕事するって、何か楽しいことなのではないか…?そう薄っすら感じ始めていました。

そして2005年4月下旬。
無事に「小さな会社の逆転戦略 最強ブログ営業術」が発売されました。

結果もついてきた。発売直後に数回増刷となり、2万部を超えるベストセラーにまでなったんです(ビジネス書は1万部でベストセラーと言われる)。

そして、後日。この本に関わった人たちで小さく打ち上げをしました。ベストセラーになったから、もはやそれはお祝いの会で。お互いがお互いを労い合い、称え合い、次はどんな本を出そうかなんて話までして。それで思ったわけです。

そうか、仕事ってこうやって「分かち合う」ことが醍醐味なのか

と。それまで、会社をリストラされしょうがなく独立した私にとっては、仕事は食べるためのもので、苦しいものでした。ところが、仕事を分かち合うことができれば、こんなに楽しくなるものなのか。そう確信したのです。

ライブドアの講演が終わったあとは、やはりひとりだった。
達成感みたいなものはあったけど、満たされた感じがしなかった。

でも、この出版を通じた「分かち合い」はなんて楽しいんだろう。
まだ若かったというのもありますが、そのときから個人事業ではなく、会社で仕事をしよう。組織で仕事をしよう。そういう気持ちが芽生えたのでした。

…それが終わりの始まりになるとも知らず。

その3に続きます。

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