僕達は下品である。

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どんな愚かな者でも他人の短所を指摘できる。
そして、たいていの愚かな者がそれをやりたがる。
/ベンジャミン・フランクリン


この前実家に帰った時、母親から「スマホに下品なニュース通知が沢山出るんだけど」と言われて調べてみたら、原因はキャリアにプリインストールされていた某有名ニュースアプリだった。カスタマイズする事なんて知らない母親は、ただただ困惑。

通知内容はおそらく政治や芸能界のゴシップそういう類なんだろう。ニュースアプリのデフォルト通知がそうした「下品」なニュースという事は、運営が下品……なのではない。人々がデフォルトで求めている情報はそういう「下品」な情報という事で。


人間が何故ゴシップを好きなのか?有名人がコキ降ろされたり、他人の悪口を言い合ったりするとスカッとするのは、優越感に浸りたいからだ。

なんで優越感に浸りたいか、と言えば、自分は他人よりも優れていると思いたいからだ。僕は強い。僕はお金持ちだ。僕は権力がある。僕は頭がいい。そう思いたい。

僕達は自分が優位に立つ事に喜びを感じ、劣勢に立つ者を憐れむ事が大好きだ。だから僕達は、有名人やお金持ち、政治家と言った「強い生物」が時折見せる欠陥が大好きだ。


生物というのは種を存続させる為のシステムがいくつも用意されている。というか、ランダムに近い進化の中で、たまたま「存続出来る」ルートを選んでいたのが僕達の祖先だ。

大昔は腕力が強い事が主体だった。獲物を狩り、他人を殺し、女を奪い、子供を作る。サル山のサルと一緒で、強いヤツが群れを率いる事になる。

群れというのは多ければ多い程強くなっていく。だけど暴力で得られる集団というのには限界がある。なにせ無限に相手を殴れる訳じゃない。だからより賢い人間が、暴力を使わない手段で人々を支配するようになっていった。食料流通や、国家や宗教のような権威付けを上手く利用して、より大きな集団を作っていった。

僕達は強い集団に属していると安心する。自分の一族が強い事を喜び、オリンピックで勝利する事を喜び、戦争で勝つことを喜ぶ。より強くて大きな集団を作る為に、弱者も取り込み、隣国も取り込み、人間は平等や平和なんていう概念も生み出した。とにかく一つになって強くなるんだ。

そんな感じで、僕達は群れる事が大好きになってしまった。


ところが近代になって様子が変わってくる。

地球規模の輪郭、人類の外枠が認知されるようになってしまった。
集合になるには限界がある。つまり、全人類が一つの最強集合になる可能性に気づいてしまった。

唯一の最強集合ということは、唯一の最弱集合でもある。そうなると「強くなる」という命題がウヤムヤになる。なにせ唯一集合になったら敵がいなくなってしまう。誰かを見下す事も出来ない。どうしよう。

そこで僕達は、集合を大きくする事を中断し、自分が属する集合が何であるか気にするようになった。自分はヨソのダメな集合とは違う。他の集合に目を凝らし、少しでも劣る集合を見下し、少しでも豊かな集合を叩く事に薄暗い快楽を見出しはじめた。

隣の国が貿易黒字?ウチが赤字なのに許せない!生活保護を貰っているのにパチンコをしている?許せない!公務員の給料が上がった?許せない!若者は許せない!年寄りは許せない!異性は許せない!

許せない!許せない!許せない!

天界から垂れた蜘蛛の糸の下で、僕らはお互いを踏みつけ合いながら蠢いている。地獄の底で。


母親のスマートフォンに入った不要なニュースアプリは削除した。
そして僕は今でもゴシップニュースが大好きで、どこかの集合を踏みつけたり、踏みつけられたりしながら生きてる。

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