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合評会レポート@寳玉義彦さんの詩のレッスン


▶「自分の言葉で書く喜び」を求めて集合

 先日、寳玉義彦さんの詩のレッスン受講生による詩の合評会が開催されました。各自、現時点での最高の詩作品を1篇ずつ持ち寄り、感想などを語り合いました。

 意外だったのは、参加者の中で詩をメインの活動としているのは私だけだったこと。他の方々は「書く」ということが生活の中で重要な位置を占めるものの、詩ではないフィールドで活躍されていました。詩作を通じて自分独自の文章表現を深めたいという高い意欲に、たいへん刺激を受けました。

 …そうなんですよ、たとえ自分に「私は詩人です」とか「ライターです」というアイデンティティがなかったとしても、何かしらを「書くこと」って、人生の大きな喜びの一つなのですよね! 現代では、ブログでも、SNSでも、文章を書いて表現する場所はたくさんあります。そして、そのようなすべての場において、書くからには自分の言葉・自分の表現で書きたいですよね。その力がつくことは、大きな喜びであり、かけがえのない人生の財産となるはずです。そこに真剣に向き合い、根本的な部分を磨いてくれる講師を求めて皆ここに集まったのだなぁ…と、お会いできたことをしみじみ嬉しく思いました。

▶作品の個性がばらばら(笑)

 合評会で披露した作品は、参加者全員、見事に個性がばらばら(笑)。皆さん、こういう詩を書かれるんだ!、と、とても興味深かったです。しかも、同じ講師に見てもらってこのバラけようですから(笑)。自由に伸び伸びとやらせてもらっていることが、面白い形で証明されました。

 もう一つ、この合評会で特徴的だと思ったのは、寳玉さんが受講生たちの作品が作られた過程を知っているということ。一般的な合評会では、お互い、どこをどう修正したということは知りませんからね。寳玉さんのアシストによって、より深い掘り下げができたと思います。

▶「かっこいい言葉の使い方」を考えた

 私が合評会で特に印象的だったのは、かっこいい言葉の使い方に関する議論。「この言葉、かっこいいですよね」といった会話をきっかけに、「かっこいい言葉を使った時、薄っぺらく感じる場合としっかりした重みが出る場合にはどのような差があるのか」という話しをしました。

 例えば「愛」という言葉。「生」や「死」もそうですかね。これらは、非常に守備範囲の広い言葉です。たいがい「それは愛(生、死)だ」と言ってしまえば、意味は通る、的な(笑)。守備範囲が広い(中に含んでいるものが多い)ゆえに、重く、かっこよさの出る言葉と言えます。しかし、守備範囲が広“すぎる”ゆえに、うまく使わないと、何か言っているようで何も言っていないのと同じ状態になってしまいます。これらの言葉を、どのようにしたら薄っぺらくならないように使えるのか…このあたりはレッスンの肝かと思いますので、ぜひ直接、寳玉義彦さんに聞いてみてください♪

 温かな雰囲気の中で開催された合評会、次回はいつになるでしょうか? 楽しみにしています。寳玉義彦さんの詩のレッスンは、初回は少人数によるワークショップ(リモート)です。このワーク、すっごく楽しいですよ♪ 私は目からウロコでした。自分らしい詩を書きたい方はもちろん、自分らしい文章を書きたい・書く力を付けたい方は、寳玉さんの情報をぜひチェックしてみてください。

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