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久々に文字書きに戻って懐かしい気持ちになった

今日のは、日記です!

感情がすごく動いた時とか、すごく気に入ったものが生まれた時とか、創作方面にエネルギーの発散がしたくなる人間なので、やっぱり何かの弾みでスイッチ入るとここに戻ってくるんだなぁと改めて感じてます。

それでまた勢いに任せて書いている状態なのですが、久しぶりだったからどうなるかなーと不安でもありました。でも思ったよりずっと筆が勢いにちゃんとついてきてる感じです。

昔はめっちゃ苦しんだよなーって記憶がよみがえりました。

私は小説で表現したい映像を脳内で再生して、起きている出来事を文章に再現しなおす感じで書き進めます。その映像を何回も再生したり巻き戻したりしながら、読者に正確にこの光景を伝えるには何を書きだせばいいか?音か、動きか、キャラのセリフか、それとも情景描写か。脳内映像と、文章を見比べながら加筆修正していきます。

この方法はもうめちゃくちゃ昔からです。10代の頃から日記を書くのが好きで、その日あったことを頭の中で映像として思い浮かべながら文章にしていたので、多分そのときのやり方をずっと使っているんだと思います。

私の頭の中にぼんやりとして頼りない、ホログラムのような映像だった物語が文章でしっかりと輪郭を捉えていくことで色鮮やかになっていく感じがすごく楽しくて。さらにのってくると、頭の中の映像が鮮明になり、再生速度があがってどんどん先の映像を見せてくれるようになって、必死で追いかけたりとか。

ただ、この執筆方法、私の能力が足りていなかった頃はめちゃくちゃ苦しみました。そもそも私が最初にとったのが「一人称視点」で心理描写に特化した短編が多かったんです。これ、人物像とかを魅力的に見せたり自分の中で掘り下げたりしたい時はいいんですが、たくさん書いていくうちに、この方法ではなかなか大きな物語が動かしにくいことに気づいてしまって。

人が何人か動く場合でも、一人称視点だと、その主人公の目に映っていないものは何も表現できないんですよね。何かことが起こっていたり、主人公は実は気づいていないけど…みたいなことも全部伏せることになってしまう。章ごとに別のキャラクター視点にするなどしてカバーする方法があるとは思うのですが、私の能力では無理でした。

ということは、ある程度規模の大きい物語を動かしたい場合、文章の書き方を一人称視点から、所謂「神の視点」と言われる三人称視点にするしかありません。ここでとんでもないスランプにハマりこんだんですよね。

三人称視点になると、書けることが多すぎて今度は逆に何から手を付ければいいのか分からなくなり止まってしまいました。

そして、今まで心理描写特化でやっていたんですが、三人称視点は心理描写に向いていないと言われており、今までやっていた物語の展開方法がほぼ通用しない形になってしまいました。

もう詳細は忘れましたが、その時どうしても文章にしたいものがあって必死で試行錯誤した結果とったのが、神の視点を主人公の横に貼り付かせて勝手に人の心情とかも代弁してくる「ウザがらみ式ナレーター」を採用することでした。

それでですね、これ、まさに今日知った知識なのですが、この「ウザがらみ式ナレーター」視点採用の形式を「三人称一元視点」というらしいです。この書き方にそういう呼び方があったのか!!!という衝撃をちょっとまとめて文章にしたかったのでこれを書きました。

当時は、正しい三人称視点と違う気がして、こんな書き方してていいのかな…なんか変な文章になってるんじゃないかな、と不安だったものです。ただ、その方法で何とか自分の書きたいものが書けたので、まぁ…いっかとりあえずできた、ってなって、そのまま今日まで来ました。足掻きまくった結果流れ着くことができた「三人称一元視点」…もっと早く知りたかった!

でも、実際だとこういう書き方あるよって紹介されても、よく分からないかもしれないんですけどね。

ちなみに書いたものはnoteにて公開予定です。その時になってもしよかったら、ウザがらみ式のやつ見て行ってもらえれば嬉しいです!

そのナレーターの正体は……私だよっ。

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