「今日」という日。
今朝起きて、太陽のかがやきを見た時。
2011年3月12日のことを思った。
その時はまだライフラインがない状態だった。
電気もない、水も出ない、ガスもつかない。
携帯の電波もまだ復活しない。
時間だけはわかるけれど、太陽を見た時に一夜越したんだと安心したことをいまでも覚えている。
*
*
2011年3月11日、14時46分。
地震発生時、ちょうどシャワーを浴びてドライヤーを使おうとしていたタイミングだった。
いまのようにアラートが鳴ることもなく、急に一気に揺れた。
なにが起きたのかわからなくて、ただその場でうずくまるしかなかった。
揺れが落ち着いた時に、外に行った方がいいのかなと悩んで、外を見たら急に雪が降り始めた。
髪は濡れたままだし、いま電気がつかなくても少ししたら戻るかなと思って、髪にタオルを巻いて寝ることにした。
寝て起きたら、なにか変わっているんじゃないかなと勝手に思った。
全部ゆめになるんじゃないかなと、目の前の出来事を本当に信じることができなかった。
起きたら外は暗くなり始めていたけど、電気はまだつかない。水も出ない。
こんな経験は初めてで、いつまでこの状態が続くか分からないことが何よりも恐怖だった。
そんな時に、外から名前を呼ぶ声が聞こえて。
窓から見たら、当時のアルバイト先の店長だった。
アルバイトしていたコンビニから、食料品や電池などを分けてもらった。
一人暮らしだったので、地震発生して携帯が使えなくなって、はじめてだれかと会話をすることができて心底安心したのを覚えている。
そして夜になると、ドアをノックされる音が聞こえてきた。
ドアを開けると、そこには、複数人で遊ぶくらいの仲の人が立っていた。
ドアをノックしたのはチャイムが鳴らないからだと後から聞いて、ライフラインがいかに当たり前に生活に付随していたのかを思い知った気がする。
心配だったから、と来てくれたその人は車だったので、カーナビにてテレビをつけて初めて現状を把握した。
「大きい地震が起きる」とは噂で聞いていたけど、津波が起きるなんて聞いていなかった。想像さえもできなかった。
津波、火災、そして余震。
目の前に映る映像を本当に信じることができなかったけれど、まだ電気がつかなくて、街頭もなにもついていない近辺を見ると現実なんだと思い知るしかなかった。
その友人にお願いして、祖父母が住んでいる車で15分ほどの場所に連れて行ってもらい、周辺に大きな被害がないかを確認した。
住宅地に大きな亀裂や崩壊した家などは見られなかったけど、電気もついておらず、歩いている人もおらず、物音がなにもしない状態はすごくこわかった。
その人と話して別れてから、夜が明けるのを怯えながら待っていた。
いつ何が起きるかわからなくて、あんなに夜が長かったことは今まで一度もない。
*
少しずつ明るくなっていく空をみて、夜が明けたんだなって。
まだこれから先長い戦いになることも想像せずに、なんとなく乗り越えたような気持ちになった。
日付は変わっていたけど、12日なんだって漠然と思った。
2011年3月11日。
あの日、ひとりで誰にも会わなかったらきっともっと辛かった。
あんなに大変な状況の中でも、自分のことを思い出してくれる人がいるということ、すごくうれしかった。
万一なにかがあっても、何時ころ話したと証言してくれる人もいるんだって少しだけホッとしたりもした。
人の暖かさに触れること。
当たり前にやってくる明日があること。
しあわせなんだなぁ、と実感した。
この気持ちは3月12日以降にも、何度も何度も繰り返しやってきて目頭が熱くなった。
被害はでているけれど、今日がやってきたこと。
感謝している。
今日を、いまを、一瞬を大切に、生きる。
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