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晴れ女と雨女の正体


わたしは昔、自他共に認める雨女だった。

キャンプに行けば、曇り始めて雨が降る。
旅行に行けば、ゲリラ豪雨。
花火大会は、雷で中止。

外出するときは雨が降るものと思っていたから、折り畳み傘は必需品だった。
時々傘を忘れる時には、決まって急に降り始めてしまうけど、傘を買うと止んでしまう。
一時期、ひとり暮らしの家に傘が6.7本ある状態になったこともある。

なんでこうも、大切な日に限って雨が降るんだろうと悲しい気持ちになることも多かった。
別れ話の時に雨が降る時なんかは、もういいよこんな時まで…と自分の雨女っぷりを呪ってしまった。


そんなわたしが晴れ女になったのは、オーストラリアの留学から帰ってきてからだと思う。
実際、オーストラリアにいる間も晴れている日が多かったけれど、晴れが多い国なんだろうと思っていた。

思い出はいつの日も雨だった人生だった。
だけど現在日本に帰ってきてから3年が経つが、出かけていても雨が降らないのだ。

もちろん、日本の雨量が変わったわけでももちろんないはず。
留学の前後で住まいは変わらないので、土地の問題でもない。


ふと思い返してみると、わたしが晴れ女になったきっかけは『あの出来事』だったのではないかな…と思うことがオーストラリアの留学時にあった。


急に大雨が降りだした仕事帰り、オーストラリアに来てまで雨女なんて…と半ば呆れた気持ちにまでなった時に笑い声が聞こえてきた。

「雨凄くない?」「やばーい!」と大笑いしながら土砂降りの中、走り回る男性が複数人。「こんな雨ひさしぶりだ!」と楽しそうにしていた。
その男性に思わず見入ってしまったんだけど、雨を嫌がる様子も、雨宿りして雨を避けることもなかった。

雨に対して笑顔になるなんてことをしたことがなかったわたしから見ていて、すごく不思議な光景だった。

また別の日にも雨が降った。

その日はクリスマスで、友達とビーチに行ってわいわいと楽しく過ごした。
だけどその帰り道、急に雲行きがおかしくなってきたと思ったらゲリラ豪雨となった。人がバス停にあふれて、結局びしょぬれになった後にバスに乗ることになった。

その時に友達が言った。
「水着だからラッキーだね!濡れてもへっちゃら」

雨の日に笑ったり、ラッキーなんて思うことが今までなかったこともあって、すごく衝撃的だった。



そう、晴れ女と雨女の正体。

それは『物事を見る目線』で決まる。


いままでのわたしは、「雨が降っている」ことに着目して、「雨が降ることが嫌だ」と思っていた。
なので天気予報や、実際当日を迎えた時に雨降りだと異常に反応を示していた。

少しでも雲行きが怪しかったら「また雨降るのかなぁ」と思っていたし、実際に雨が降ったら「やっぱり雨女だなぁ」と思っていた。

雨を嫌なものにして過剰に反応していたのは自分だった。
そして「雨女」と言い聞かせることによって、その過剰反応に拍車をかけていた。


きっと晴れ女になった今だって、雨降りの日はもちろんあるはず。
だけど、嫌なものだと認識していないと雨が降っていても気にならないので記憶にあまりない。


休みの日に雨降りだと、仕事が雨降りじゃなくてよかったと思える。
家でゆっくり本でも読もうかな、もしくは雨の日の楽しみを見つけにあえて散歩に行こうかなぁなんて、雨の日にわくわくする日が多くなった。

旅行に行く時も、万が一雨が降った用のプランBを用意することを覚えた。
プランBも実際にやりたいことなので、雨が降ってもむしろ雨降ってラッキー!という気持ちにさえなる。

こんな風に目線や思考を少し変えただけで、見えてくる景色ががらりと変わった。
さらには、自分を「晴れ女」だと思うことで雨の日にレア感すら感じたりしている。


見る目線によって、物事はものごく多様に変化していく。

目の前で起きている事実は変わらないとしても、目線と思考を変えるだけでこころの感じ方は真逆にだってなる。
いい事も悪い事も、ポジティブもネガティヴも案外紙一重だった。

それだったらせめて、こころが喜ぶ受け取り方をしていきたいな。

おかげで今は、雨の日でもたのしみ方を知って雨の日もすきになった。
365日の中で、すきと思える日が増えた人生はたのしい。


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