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標高3000Mからseason2~Vol.3【求めるられるもの】

2年目のシーズンがはじまって思うこと。

『求めるもの』『求められるもの』

日々、様々な人が様々な物を求め、様々な需要が生まれ様々な供給がされる。
昨今登山客は何を求め山小屋はどう応えるべきだろうか。

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山に戻って1週間

今シーズン初の足での入山。
約20日ぶりの北岳。

6月21日の林道開通から今シーズンが始まり、これからは徐々に登山客が増えてくる。
そんな中、自分の理想とする事業運営や会社像と市営の北岳山荘を比較し、1年目には見えなかったものを考え学ぶ。
そんな2年目に。

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登山

北岳、北岳山荘は南アルプスにある。
南アルプスを代表する日本で2番目の高峰、北岳。
自称、南アルプスの顔、北岳山荘。
そんな山小屋は一体他と比べた時にどのような魅力があるのだろうか。また、小屋の利用客減少やテント宿泊者の増加は何を意味していてどのような原因があるのかを考えてみたいと思う。
様々な山と山小屋がある日本であるため、この『標高3000Mからseason2』というタイトルのもと、今回は北岳山荘で勤務するなかで考えたことについて書く。

みなさんは登山をしたことはあるだろうか?
またそれらを趣味に持っている人はどれだけいるだろうか。

どのスポーツであっても、道具を揃えるのにはお金がかかるので、ある程度の余裕がなければ継続して楽しむ(趣味とする)ことは難しいと考える。
ましてや登山は時間の余裕がなければ楽しめないし、安全にも行えない。
層を考えても正直、時間とお金の余裕がある人のスポーツだと考える。

山小屋宿泊利用者は年々減っている。登山人口のそもそもの減少、登山をよくする世代の引退、若者の山小屋利用の未定着(テント泊を好む)などが考えられる。
2017年現在、年間登山人口は約800万人。2003年から2008年にかけての年間登山人口は600万人。2009年の登山人口の急激な増加により、前年比2倍以上の1230万人に達する。ただし、東日本大震災や火山の噴火などにより今に至る。
私自身は山小屋が好きである。
人との思わぬ繋がりや、同じものを愛しているもの同士集まれることに大きな魅力を感じている。

ただ、それは自分自身の仕事という目的があって、シフトがあっての山小屋利用である。

それぞれの山小屋には、独自のルールや文化があり悪い意味でも古臭さと伝統がある。予約の有無だったり、突然タメ口で来る小屋番に気を使ったり、同じ部屋で他人と寝たり...苦手という人は多い。特に若い世代に。
ならば来るなと言われ、ならば行かない、利用しない、となる。
何故煩わしさを感じなければいけないのか。

行きたくなったときに、行きたいところへ行く。

結果には様々な要因があるが、時代に合わせた変化ができなければその文化が廃れていくのは間違いない。
時代は変わるし、山小屋が軸で時代が回っているわけでももちろんない。
もはや、山小屋は必ずしも必要な存在とは言えない時代なのである。


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求められるものとして

まとまりのないブログになってしまったが、考えていることは『必要とされるには』(=求められる、需要のある)ということ。
現時点ではネームバリューのおかげで利用する人は確かにいる。必要とされているのは確かである。

ただ、今後のビジョンがない集団や個人はどうなっていくのだろう。
個人であれば変えやすいが、そんな個人の集まった集団であると、変えるのは困難である。
一度ぬるま湯に浸かってしまうと、その生ぬるさが心地よくなる。そして気づいたときには、冷たくなっているのだ。

私は、山小屋のような同じものをこよなく愛する人同士が集える、ただ、聖地ではない秘密基地のようなものをバドミントンで作る。
ただ、作りたいもの=求められるものではない。
山が好きであっても山小屋はできない。
愛だけではどうしようもできない(愛があるからこそ関連することまでしっかりとやるならまた別だが)。

愛を求められるものとして変換し供給できるか、北岳で学んだ今後の自分の課題でもある。


2019/07/12(金)

カンボジアに学校を建てたり、愛で地球を救ったりはしませんが、貴方を見たことのない世界にちょっとだけ連れていけます。