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記者たちで作る能登地震被災状況マップ(記者の現場#7)

こんにちは、採用Gの佐藤です。元日の夕方、皆さんはどう過ごしていたでしょうか。

1日夕、石川、新潟、富山県などの広い範囲を大きな地震が襲いました。帰省中で家族団らんの時間を過ごしていた方も多かったと思います。

読売新聞でも金沢支局はもちろん、本社や他県からも記者やカメラマンたちが続々と現地入りし、総力態勢で状況を伝えています。

読売新聞のニュースサイト「読売新聞オンライン」(https://www.yomiuri.co.jp/)では1日、記者たちが撮影した被害の様子を地図に落とし込んだデジタルマップ「令和6年能登半島地震被災状況マップ」を公開し、どこでどんな被害が起きているのかを視覚的に伝えています。

担当した1人、写真記者の上甲鉄記者に聞きました。

――地震当日の動きを教えてください。
元日は、泊まりキャップとして出社しており、まもなく地震が発生しました。本社のビルも音を立てて揺れ、大きな地震が起きている一報が入りました。これはただ事ではないと思い、いち早く状況を伝えたいと現場に行きたかったのですが、キャップという役割上、人繰りの調整をしたり、被害状況をまとめたりしなければいけません。会社内でできることはないかと考えていたところ、東京大学・渡邉英徳先生から学んでいたArcGISを使って位置情報をプロットしたページを公開できないか、と思いつきました。

話を聞いた日はヘリで上空から取材していたという上甲記者

――今回使用されたArcGIS StoryMapsとは何ですか?
地理情報システム(GIS)を活用して、地図上に文字や写真など様々な情報をまとめられるソフトです。昨年春から渡邉先生の下でArcGISを学ぶ勉強会があり、そこで月1回ほどのペースで、ArcGISを使ったページの作成方法やコツ、課題制作などの講義を受けていました。最近では写真部の企画「天地人」のネットページでも活用しています。

――実際にはどのように作業したのですか
一緒に勉強会で学ぶ仲間のチャットで、当日の18時過ぎにArcGISを使って位置情報をプロットしたページを公開できないか提案しました。すると、社内にいたデザイン部や社会部の勉強会メンバーが写真部まで来てくれました。取材記者が撮影した写真の背景の看板や交差点の名称などからGoogleのストリートビューを使い、位置を特定。それを地図上に配置していく作業を一緒に手伝ってもらいました。正直公開できるものになるか自信はありませんでしたが、メンバーと一緒に何とか15枚ほどの写真の位置特定を行い、午後11時には初版を公開することができました。読売新聞オンラインに掲載する作業は、デジタル編集部にお願いし、無事に読売新聞のニュースサイトから閲覧できる形になりました。


マップに掲載されている写真(1日、火災が発生した輪島市街地)

――1日以降も更新を続けていますね。
はい。翌2日は、箱根駅伝のスタートを撮影した後、このマッピング作業に専従させてもらいました。2日以降は写真部員の写真が届き始めたので、それらを私がアップしていきました。写真部員が持つカメラには、撮影した場所の緯度経度が分かるGPS機能がついているものがほとんどです。GPS機能をオンにした状態で撮影した写真は、すぐに地図上にプロットすることができます。一方、GPS機能は電池の消費が激しくなるため、ずっとオンにしておくわけにもいきません。緯度経度が分からない写真は、背景などから特定していきました。こんな作業を繰り返し、2日夜の段階で50か所ほど地図に落とし込むことができました。3、4日にかけても勉強会メンバーや写真部員の協力を得ながら、同様に作業を続けていきました。4日夜には科学部の船越翔記者(https://note.com/yomi_tokyo_saiyo/n/nc665acccdcd7)が作成した提供航空写真から分析した被災種別マップをページ内に追加しました。


航空写真の提供を受け、船越記者が作成した被災種別マップ

――なぜ地震当日に公開できたのでしょうか。
渡邉先生の授業の課題制作で、GPS情報入りの過去の水害写真を使ってページを試作するなど、自分でArcGISを使った作業をしていたので、操作方法には慣れていました。そのノウハウがあったので、ページの骨格をすぐに作ることができたんだと思います。それに、現地で被災されている方は、どこでどんな被害が起きているのか、状況をいち早く知りたいはずです。写真記者が多くの写真を撮影して本社に送ってくるのに、紙面に載るのは数枚しかない。一枚一枚に価値がある写真をただ持っているよりも活用したいとずっと思っていました。だからこそ、ArcGISの存在を知ってからは、次に災害があったときには被災マップを作ろう!と準備していました。それが今回、役立ったのかなと思っています。

――最後に
今回、ありがたいことにX(旧ツイッター)で多くの反響を目にしました。ただそれは、大変な状況のなかで現地に入り、自身の安全も危ぶまれる中、それぞれの記者が被害状況を伝える貴重な写真をすぐに送ってきてくれたからこそです。そしてそれらの写真1枚1枚に強さがあったからこそだとも思います。当日夜の火災の状況を上空から伝えることができたのも、航空部のみなさんの底力あってこそです。多くの人の協力があって、あのマップを公開することができたと思っています。

結びに

今回、上甲記者に話を伺い、常日頃から準備していたことや、勉強会メンバーはもちろん、現場にいる記者たちの「この状況を知ってもらいたい」という思い、部署同士のつながりの力を発揮できたことで、スピーディーなマップの公開につながったのかなと思いました。

電気がまだ通じないところ、ネット環境が不安定なところには新聞で届け、いち早く情報を伝えたい時にはオンラインで届ける。今後も被災された方を両面で支えていければ・・と願っています。

「令和6年能登半島地震被災状況マップ」はこちらから

                                                                                                  記者の現場#7
                                                                                     (取材・文 佐藤果林)