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「戦争投書アーカイブ」ご存じですか?(記者の現場#6)

  読売新聞社の公式サイト「読売新聞オンライン」(YOL)に2023年7月、「戦争投書アーカイブ」https://www.yomiuri.co.jp/serial/webkiryu/wararchive/
というコーナーがオープンしました。戦時下の暮らしを多くの人に知ってもらおうと、太平洋戦争の戦中~戦後を中心に、当時の読売新聞に掲載された読者投稿をアーカイブ化したものです。コーナー新設の中核を担ったのが、世論調査部で投書を担当する服部有希子(はっとり・ゆきこ)記者です。
 今回は「記者の現場」の6回目。服部記者にこの企画に込めた思いを語ってもらいました。

読者から寄せられた投書を読み込む服部記者

1.届く投書は毎月2000通


 世論調査といえば、「岸田内閣の支持率は~%」というニュースを思い浮かべる人が多いと思います。読売新聞も調査を行っていますが、他にも世論調査部が担当している仕事のひとつが、読者から送られてくる投書を、土曜以外の朝刊にある投書欄「気流」に掲載することです。

10月のとある日の「気流」

 「気流」に届く投書は、東京本社だけで毎月約2000通に上ります。政治や社会問題に対する主張や要望から、スポーツや文化に感動したこと、家族や周囲との関わりでほっこりするエピソードまで、世論調査部ではその全てに目を通し、幅広い意見を掲載しています。
 服部記者は2023年4月に世論調査部に配属されたものの、「投書欄を世論調査部が作っていたことすら、実はよく知りませんでした」。そもそも、投書はどのように紙面に掲載されているのでしょうか。服部記者の一日をたどりながら、その流れを紹介します。

2.どんな一日を送っているの?


 服部記者は平日午前9時30分頃に出社すると、郵送、ファクス、メール、ウェブ投稿フォームなどで届いた投書を1枚1枚読んでいきます。その時々の時事問題や政治情勢を踏まえているか、投稿者ならではの体験談や考えが盛り込まれているか、客観的でわかりやすい文章で書かれているか、といった観点から、掲載の候補となる投書を選びます。
 その後、投稿者に電話をかけ、本人から直接話を聞きます。どうしてその問題に関心を持ち、その意見を持つまでにどのような体験や背景があったのかをじっくり確認します。「投稿者と話が盛り上がり、雑談にそれていくこともしばしばで…」と服部記者は笑いますが、その雑談が、最初の投稿には書かれていなかったエピソードを掘り起こすこともあります。
 さらに、事実確認をするため、役所や関係者などにも取材をします。「裏をとる」という記者の基本動作は、投書の仕事でも変わりません。投稿者が投書に込めた思いが読者にしっかりと伝わるように文章を整えたら、再び投稿者に連絡し、間違いや違和感がないかを確認します。紙面に組んだら、校了までの間に、誤字や脱字がないかを複数人で入念にチェックします。その作業を繰り返しつつ、服部記者は保育園に2人の子どもを迎えに行くため、午後5時30分に退社します。

3.企画を立案し、さぁ始動


 服部記者は2013年に入社し、初任地の千葉支局では事件や県政を、東京本社では地方部で新型コロナウイルスの感染拡大に対応する都道府県知事の動きなどを追ってきました。常に社会の動向にアンテナを張っていますが、「自分では気づかないことを投書から教えてもらうことが多くある」といいます。
 高齢女性からの「街路樹の根が歩道の舗装を持ち上げ、つまずいて危ない」という投書は、なかなかニュースにはならなくても、生活者にとっては重要な指摘です。そんな読者の声が、他の読者の気づきにもつながると感じています。
 最近、「家族新聞」を30年作っているという新潟県の男性が、実物を送ってくれました。日常の小さな幸せを見逃さずに刻んできた営みに心が温かくなり、同じように投書欄を作っている立場として、大先輩からのエールのようにも感じました。

 こうした投書欄は実は読売新聞が1874年(明治7年)に創刊してすぐに掲載が始まり、来年で150年を迎えます。長い歴史をもつ新聞社ならではの“財産”ともいえる投書に目をつけたのが、「戦時中の投書のデジタルアーカイブ化」という新規プロジェクトでした。
 インターネットがない時代、新聞投書は、庶民が自分の考えを世間に発信する貴重な手段でした。戦時中の投書には、当時の人々の思いが残されているはず。それをウェブで手軽に読めるようにすれば、より多くの人が、戦時中の暮らしや平和の尊さに思いを巡らせてくれるのではないか。
 服部記者も、千葉支局で空襲などの体験者に話を聞いて記事にしてきましたが、戦争を経験した世代が年々減っていることを実感していました。「戦時下に生きた人々のリアルタイムの声を掘り起こして伝えることは、今後ますます貴重な史料になる」。日々の投書を担当しながら、戦時中の紙面のスクラップが保管されている東京都内の読売新聞の印刷工場に通う日々が始まりました。

戦時中の紙面のスクラップをめくりながら投書を撮影する服部記者(奥)

4.若者が「戦争」考えるきっかけに


 工場奥の倉庫に数時間こもり、スクラップから投書を探してスマートフォンで写真撮影。それをもとにテキスト化していくという地道な作業ですが、ページをめくる度に新たな発見や驚きがありました。
 当時は新聞も統制下にあり、掲載された投書も「お国のために戦う」という姿勢は共通していましたが、食糧不足への嘆きや役所へのクレームなど、生活における不平不満が想像以上に並んでいました。「戦争を勝ち抜こうと自らを奮い立たせながらも、こらえきれない悶々とした気持ち、人々のやるせない『生の声』が聞こえてくるようでした」
 「女性の化粧が派手だ」という意見に対して、まるで現代のネット掲示板やソーシャルメディアで見られる意見の応酬である“レスバトル”のように賛否両論が巻き起こったり、「偉い人のグダグダした説教で貴重な子供の時間を奪うな」という今でも聞こえてきそうな声が載っていたりと、投書欄が当時から率直な意見を交わす場として機能していたことも感じました。
 これらの投書からまずは約500本を選び、内容がわかりやすいように見出しをつけ直して、23年7月に読売新聞オンラインで公開しました。被爆地・長崎市出身のシンガー・ソングライターのさだまさしさんや、モデルやタレントとして活躍するトラウデン直美さんにも投書を読んで感じたことを語ってもらい、インタビュー記事を公開しました。
 ほかにもこの夏には、戦後間もなく上海で消息不明になった貿易商の父のことを知りたいという女性からの投書を受けて、女性の父と軍の特務機関とのつながりを取材し記事にしました。
 「戦争投書アーカイブ」は今後も更新や改良を続け、学校の子どもたちを含めて多くの人が戦争について考えるきっかけになるようなコーナーに育てていきたいと考えています。


5.「伝えたい」思いを受け止めるアンテナ


 服部記者が、戦時中の投書と現代の投書の双方に目を通して強く感じるのは、そこには「誰かに伝えたい」という思いが込められているということです。
 「戦時中、やがて特攻隊に行くだろう我が子に会いに行こうとしたものの、駅長に切符を売ってもらえなかったという母親の無念をつづった投書を読み、涙がこみ上げました」
 服部記者自身も子育て中で、自分の子どもに会えなかった理不尽を誰かに訴えたかった母親の気持ちが、痛いほど胸に刺さりました。
 服部記者は、東京本社で2度の産休・育休を取得し、現在は共働きで5歳と2歳の育児をしながら仕事をしています。2人目の子の育休明けは、地元の保育園が満員で入れませんでしたが、東京本社内の事業所内保育所「よみかきの森」を4か月ほど利用することでスムーズに職場に復帰できました。    現在も、子どもが急に発熱したら在宅勤務にするなど、柔軟に働いています。
 そんな生活の中で感じる苦労や疑問、ささやかな喜びの一つ一つも、読者からの「声」に共感するアンテナを増やしてくれているように感じています。

6.世の中の空気を記録していく


 「戦争投書アーカイブ」を手がけた服部記者は、きょうの紙面に掲載した投書もいつか同じように当時の世相を知るための史料になると考えるようになったそうです。そのため、いっそう気を引き締めて投書を読み込むようになったといいます。
 「そのときの人々が、何に関心を寄せ、喜び、怒り、どんな不満を持っていたのか。こうした世の中の『空気』を捉え、記録していきたいと思っています」

読売新聞のポッドキャスト番組で「戦争投書アーカイブ」を紹介する服部記者

 服部記者はポッドキャスト「新聞記者ここだけの話」でも、戦争投書から読みとれる当時の人々の感情を紹介しています。ぜひチェックしてみてください。

記者の現場#6
(取材・文 深谷浩隆)
※所属、肩書は公開当時のものです。